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「誰かの役に立つ」より「好奇心」に導かれて

※5月12日追記:方針変更に伴い、全文公開しました。

「疲れていても読みたいなと思うものって、実益がないものなんです。目新しい情報はない。でも読んでいると元気になる文章ってありますよね」

昨日の朝活に来てくれた菅野有希子さんの、そんな言葉にとても共感しました。

ぼくが書きたいのも、そんな文章なのです。もちろん、実益を求めて本を読むこともあるし、誰かの役に立つことを考えて文章を書くこともあります。

だけど、心の底から書きたくて、また書いているときに心地良く感じたり、ときに涙まで流したりしてしまうのは、心を動かされた経験だったり、背中を押してくれた言葉だったり、誰かから聞いた、人の世の美しい物語だったりするのです。

実益のある文章は、往々にして読者に語りかけてきます。

「こうするといいですよ」
「これがおすすめです」

でもぼくが好きな文章の多くは、書き手の独り言のようなものなんです。星野道夫さんだったり、植村直己さんだったり、小澤征爾さんだったり、村上春樹さんだったり、司馬遼太郎さんだったり。

彼らは、どんな出来事があって、自分が何を考え、どんな選択をしたか、何を学んだか、ということを淡々と書いています。そして自身の感動をそのまま伝えてくれています。ぼくは読んでいて、強く胸に刺さりました。

「こうするといいよ」

なんて言ってこない。面と向かって言うのではなく、こちらには背中を向けているようでした。彼らに見えている小さな光の方向を目指して、どんどん先に進んでしまう。

そしてまるで独り言のように、

「俺はこうした。そしたらこんなことが起きたんだ」
「あのときは涙が出ちゃったよ」

そんな言い方をするのです。

ワクワクする。なんて素晴らしいのだろう。自分もやってみたい。そんな風に思えてくる。ぼくの自発性の割と大部分は、彼らの行動や文章に、育ててもらったような気がします。

会社員の頃は、ネットで話題の記事を毎日読み漁っていました。そんななか、社会人4年目の2014年9月、ぼくは衝撃的な記事と出会いました。

それは、和田一郎さんという方がハフポストに寄稿していた、〈「誰かの役に立つ」より「好奇心」〉という記事でした。下記に引用します。

「誰かの役に立つ」より「好奇心」

アラブの富豪の息子を友達にもつ人から聞いたことがある。

この世で考えうる楽しそうなことをすべてやってしまったので、もう何もときめかない、と彼は言ったそうだ。

「この世で考えうるすべての楽しそうなこと」について、妄想が膨らんでしまうが、それはさておき、僕はもちろん、大富豪ではない。が、十分な時を過ごしてその期間はすでに55年となった。

昨日、仕事を終えて帰ってきて、ラブにリードを取り付け、いつものように散歩に行こうとしたら、急に、こんな考えが浮かんできて、アタマに憑りついた。

たとえこれから先、どんな良いことがあったとしても、たいしたことはないな、と。

加齢ととともに失った最大のものは好奇心だ。

昔、浴びるように本を読んだ。

宇宙の始まりの5分間はどんな風だったんだろうか、僕らはなぜ存在するのか、地球外生物はいるのか、いるとしたらどんな姿をしているのか、どうやって意識というものが生まれ物理的な世界との接点をもっているのか、なぜ象の鼻やキリンの首はあんなに長く進化したのか。

あるいは、最強の人事制度とはどんなものなのか、従業員と顧客の満足をともに最大にしながら勝ち続ける経営とはどんなものなのか、資本の論理を超える会社が大きく育つことはないのか。

あるいは、なぜ人間は憎みあうのか、人間の未来は希望に満ちているのか、利己心の高まりが破滅への道を一歩一歩進めているだけではないのか、宗教でも資本主義でもない人間が生きるよりどころとすることのできる新しい哲学というものはこれから先生まれるのだろうか?

あるいは、ジャガーやポルシェを運転するってどんな気分だろうか、カジキを狙ってトローリングするってどんな気分だろうか、大型犬と暮らすってどんな気分だろうか、子供ができるって、孫ができるって、どんな気分だろうか、いままで見たことがないようなとんでもなくすごい映画ってどこかにあるだろうか、『百年の孤独』がかすむような小説って誰が書くんだろうか、ボカロの次の音楽の新しいムーブメントはどこから生まれるのだろうか?

若いころは、何もかも不思議で仕方がなかった。胸を焦がすような好奇心に駆られて、本も読み、映画やドキュメントを見、また、旅行にでかけて無茶もした。

いつの頃からか、あらゆる方向に延びていた好奇心は、ひとつひとつ行き止まりになっていった。

幸運にも実現して満足したこともあるし、やってみたら案外楽しくなかったこともある。また、ある程度の答え以上には進めなくて、そこに何十年もさらしたあげく好奇心が霧消してしまったものや、夢と完全に諦めてしまったものもある。

そして、かろうじて残った好奇心の枝も、義務感に置き換えられてしまった。

家族のため、将来の介護費用を貯めるため、従業員のため、お客様のため、お取引先さまのため・・・僕の時間のほとんどは、僕の動機のほとんどは、僕のアタマのなかのほとんどは、義務感に支配されている。

義務感が好奇心を押し込めると何が起きるかと言えば、いまの僕の状態になる。

つまり、「たとえこれから先、どんな良いことがあったとしても、たいしたことはない」ように思えて、心の芯から発散するエネルギーのようなものがない状態である。

無理に考えてみる。会社の売上が20億円になったら、とんでもなく嬉しいかな。

それはもちろん、関係者みんなの幸せにつながるから、すごくいいことなんだけど、「年商20億の会社にするぞ!」と呟いてみても、僕の心の芯は発火しない。

好奇心について考えるときに、いつも思い出すのは伊能忠敬のことだ。

彼は50歳まで家業の商売に精進し功績も上げた。その後、長男に家督を譲って隠居し、それから天体観測や測量の技術を、寝る間を惜しんで学んだ。

そして、地球の大きさを測ってみたい一心で、北海道の測量を幕府に申し出て許され、結果的にはその腕を幕府から認められて、はじめての正確な日本全図の地図をつくるという偉業を成し遂げた。

そのことを僕は近年まで知らなかったのだが、そもそも彼の偉業は「人々の役に立つように正確な日本地図をつくりたい」ということから出発しているのではなく、「宇宙っていったいどうなってるんだろう、地球っていったいどんな大きさの球なんだろう」という強烈な好奇心が心の芯に燃え上っていたことに端を発している。

誰かのためにとか、社会に貢献するためにと言うことは、とても尊く美しい。

しかし、それだけでは、いつまでも増え続ける、多すぎる荷物、大きすぎる荷物に、息切れしそうになってしまい、世の中がその「色」を失ってしまうのだ。

僕らが見える世界が、いつまでも色鮮やかで、わくわくするものであるためには、心の芯に好奇心を燃やし続けなければならない。

好奇心の炎があってはじめて、世界は様々な鮮烈な色に色づくのである。

なんだか、僕は最近、とみにそう思うのだ。

そして、どうすれば55歳の僕の枯れかけた好奇心を、伊能忠敬のように燃え上らせることができるのか、ちょっと考えている。

仕事の時間を減らす、旅に出る、知らない人や昔の友人と積極的に会う、空を飛ぶとか海に潜るとかやったことのないことをする?

しかし、僕にはまだその方法がはっきりとはわからない。

もしあなたが好奇心を取り戻す良い方法をご存じなら、ぜひ教えて欲しい。

ハフポスト〈「誰かの役に立つ」より「好奇心」〉より

今読み返してもドキドキする文章だけど、初めて読んだときの感動は計り知れないものでした。

「昔、浴びるように本を読んだ」から始まる、好奇心を揺さぶる文章。

そして、

「誰かのためにとか、社会に貢献するためにと言うことは、とても尊く美しい。しかし、それだけでは、いつまでも増え続ける、多すぎる荷物、大きすぎる荷物に、息切れしそうになってしまい、世の中がその「色」を失ってしまうのだ。僕らが見える世界が、いつまでも色鮮やかで、わくわくするものであるためには、心の芯に好奇心を燃やし続けなければならない。好奇心の炎があってはじめて、世界は様々な鮮烈な色に色づくのである」

この部分を、何度も読み返しました。

当時、会社員としてできることの限界を感じ、悩んでいた自分にとって、和田さんの言葉は、生きる道を指し示してくれるものでした。

具体的なやり方とか、方法は、まだわからない。でも、自分が進みたいのは、こっちだ。直感的に、そのことだけはハッキリとわかりました。

ぼくは和田さんの文章に心を打たれ、すぐにFacebookで見つけ出し、思わずメッセージを送ってしまいました。

和田一郎さん

はじめまして。突然のメッセージで失礼いたします。
私は今、図書館で、徒歩での日本縦断計画について考えを巡らせているところでした。ふとしたときにFacebookを開いたら、和田さんの記事がタイムラインに流れてきて、読ませていただきました。
非常に感銘を受けました。心震えるような文章でした。私も伊能忠敬が好きで、日本を徒歩で歩いてみたいと思っています。私的な話はどうでもいいのですが、とにかく和田さんの文章に強く惹かれ、シェアさせていただきました。
これからも記事を読みたいと思い、友達申請も送らせていただきました。何卒よろしくお願いいたします。

中村洋太


和田さんに送ったメッセージ

それから一年後の、2015年の9月。ぼくは大阪で、初めて和田さんとお会いすることができました。

ご連絡したところ、「ぜひ飲みましょう!」と言ってくださったのです。難波の高島屋に入るなり、うしろからツンツンと叩かれました。

「あっ!よくわかりましたね!」

「あれだけFacebookに顔載せてれば」

「あはは笑」

タクシーで向かった先は、夜景の綺麗な日本料理のお店。おいしいすき焼きをご馳走になってしまいました。

当時出版されたばかりだった本の感想も伝えた

文章どおりの優しいお人柄。そして当時の日記には、ぼくはこう書いていました。

「和田さんのすごさは、普通の人なら隠しておくような自分の弱さを、人前にさらけ出してしまう強さにあると思っています。和田さんの言葉に励まされ、勇気づけられている人がたくさんいるはずで、ぼくもそのひとりです」

不思議なことに、これは今の自分がよく人から言われていることなのです。もしかしたら、ぼくが自分の弱さをさらけ出せるようになったのは、知らず知らずのうちに、和田さんの影響もあったのかもしれません。

また、当時ぼくがやりたかったことに対しても、

「とにかく、まずはやってみたらいいじゃない」

と言ってくださいました。そのシンプルな言葉に、背中を押されました。

本にメッセージを書いてくれた

彼は2015年に2冊のビジネス書を出版したあと、この約10年間は小説の執筆に挑戦中。昨年の「新潮ミステリー大賞」では最終選考の一歩手前まで残っていて、いつか小説家として脚光を浴びる日を楽しみにしています。

直接お会いしたのは一度きりですが、今もときどきFacebookでは近況が流れてくるので、60代中盤になっても好奇心に従い続けている和田さんの姿に、ぼくは良い刺激をいただいています。

とにもかくにも、2014年9月、彼の好奇心と文章が、縁もゆかりもなかったぼくの好奇心に、青い炎を灯してくれたのです。

和田さんと。2015年9月、大阪にて

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