「疲れていても読みたいなと思うものって、実益がないものなんです。目新しい情報はない。でも読んでいると元気になる文章ってありますよね」
昨日の朝活に来てくれた菅野有希子さんの、そんな言葉にとても共感しました。
ぼくが書きたいのも、そんな文章なのです。もちろん、実益を求めて本を読むこともあるし、誰かの役に立つことを考えて文章を書くこともあります。
だけど、心の底から書きたくて、また書いているときに心地良く感じたり、ときに涙まで流したりしてしまうのは、心を動かされた経験だったり、背中を押してくれた言葉だったり、誰かから聞いた、人の世の美しい物語だったりするのです。
実益のある文章は、往々にして読者に語りかけてきます。
「こうするといいですよ」
「これがおすすめです」
でもぼくが好きな文章の多くは、書き手の独り言のようなものなんです。星野道夫さんだったり、植村直己さんだったり、小澤征爾さんだったり、村上春樹さんだったり、司馬遼太郎さんだったり。
彼らは、どんな出来事があって、自分が何を考え、どんな選択をしたか、何を学んだか、ということを淡々と書いています。そして自身の感動をそのまま伝えてくれています。ぼくは読んでいて、強く胸に刺さりました。
「こうするといいよ」
なんて言ってこない。面と向かって言うのではなく、こちらには背中を向けているようでした。彼らに見えている小さな光の方向を目指して、どんどん先に進んでしまう。
そしてまるで独り言のように、
「俺はこうした。そしたらこんなことが起きたんだ」
「あのときは涙が出ちゃったよ」
そんな言い方をするのです。
ワクワクする。なんて素晴らしいのだろう。自分もやってみたい。そんな風に思えてくる。ぼくの自発性の割と大部分は、彼らの行動や文章に、育ててもらったような気がします。
会社員の頃は、ネットで話題の記事を毎日読み漁っていました。そんななか、社会人4年目の2014年9月、ぼくは衝撃的な記事と出会いました。
それは、和田一郎さんという方がハフポストに寄稿していた、〈「誰かの役に立つ」より「好奇心」〉という記事でした。下記に引用します。
今読み返してもドキドキする文章だけど、初めて読んだときの感動は計り知れないものでした。
「昔、浴びるように本を読んだ」から始まる、好奇心を揺さぶる文章。
そして、
「誰かのためにとか、社会に貢献するためにと言うことは、とても尊く美しい。しかし、それだけでは、いつまでも増え続ける、多すぎる荷物、大きすぎる荷物に、息切れしそうになってしまい、世の中がその「色」を失ってしまうのだ。僕らが見える世界が、いつまでも色鮮やかで、わくわくするものであるためには、心の芯に好奇心を燃やし続けなければならない。好奇心の炎があってはじめて、世界は様々な鮮烈な色に色づくのである」
この部分を、何度も読み返しました。
当時、会社員としてできることの限界を感じ、悩んでいた自分にとって、和田さんの言葉は、生きる道を指し示してくれるものでした。
具体的なやり方とか、方法は、まだわからない。でも、自分が進みたいのは、こっちだ。直感的に、そのことだけはハッキリとわかりました。
ぼくは和田さんの文章に心を打たれ、すぐにFacebookで見つけ出し、思わずメッセージを送ってしまいました。
それから一年後の、2015年の9月。ぼくは大阪で、初めて和田さんとお会いすることができました。
ご連絡したところ、「ぜひ飲みましょう!」と言ってくださったのです。難波の高島屋に入るなり、うしろからツンツンと叩かれました。
「あっ!よくわかりましたね!」
「あれだけFacebookに顔載せてれば」
「あはは笑」
タクシーで向かった先は、夜景の綺麗な日本料理のお店。おいしいすき焼きをご馳走になってしまいました。
文章どおりの優しいお人柄。そして当時の日記には、ぼくはこう書いていました。
「和田さんのすごさは、普通の人なら隠しておくような自分の弱さを、人前にさらけ出してしまう強さにあると思っています。和田さんの言葉に励まされ、勇気づけられている人がたくさんいるはずで、ぼくもそのひとりです」
不思議なことに、これは今の自分がよく人から言われていることなのです。もしかしたら、ぼくが自分の弱さをさらけ出せるようになったのは、知らず知らずのうちに、和田さんの影響もあったのかもしれません。
また、当時ぼくがやりたかったことに対しても、
「とにかく、まずはやってみたらいいじゃない」
と言ってくださいました。そのシンプルな言葉に、背中を押されました。
彼は2015年に2冊のビジネス書を出版したあと、この約10年間は小説の執筆に挑戦中。昨年の「新潮ミステリー大賞」では最終選考の一歩手前まで残っていて、いつか小説家として脚光を浴びる日を楽しみにしています。
直接お会いしたのは一度きりですが、今もときどきFacebookでは近況が流れてくるので、60代中盤になっても好奇心に従い続けている和田さんの姿に、ぼくは良い刺激をいただいています。
とにもかくにも、2014年9月、彼の好奇心と文章が、縁もゆかりもなかったぼくの好奇心に、青い炎を灯してくれたのです。