見出し画像

父のこと5 空回りの中2病と泰然自若

父との外出は、小学校の高学年あたりからあまりしなくなり、中学以降は、滅多になくなりました。ロケ現場の見学や撮影所見学は楽しかったのですが、常に「高品格の息子」と言われることに反発を覚えるようになっていったのです。

ロケ現場や撮影所はまだいいのです。普通に街を歩いていても、レストランで食事をしていても、他人の視線が気になります。気のせいではなく、実際に見ているのだから、一緒にいる家族はどうも居心地が悪い。当人は、どんなときにも泰然自若としているので、どういう神経をしているのだろうかと、僕は不思議に感じていました。

なにしろ演じている役は悪役ばかりですから、みなさんの反応も「わー!すてき!」ではないのです。なんとなく、値踏みする視線みたいなものを感じていました。友達からは悪役ぶりをからかわれたりモノマネされたりしました。その程度なら笑って済ませたのですが、中には喧嘩になった時に、「河原乞食」なんて言葉を投げかけてきた悪ガキもおりました。彼は、きっと親からその言葉を教わったのでしょう。

さらに困るのは、父の真面目さです。父は、四六時中セリフの練習をしています。一緒に歩いていても電車の中でも、ずっと小声でセリフを呟いています。知らない人が見たら、怪しいおじさんということになってしまうのではないかと、ヒヤヒヤしたものです。

元ボクサーで、当時暴力的な悪役が多かった父は、荒っぽい印象を持たれがちだったのですが、実はとても真面目で、セリフは自分のものだけではなく他の出演者のものまで覚えていたみたいですし、台本にはメモ書きがいっぱいありました。撮影現場には、自分の出番の2時間前ぐらいには行っていたようで、なんでそんなに早く行くのか聞いたら、「途中で交通トラブルとかあっても間に合うように」ということでした。おそらく、時間がたくさんあっても、そこでセリフの練習をしていたのだろうと思います。また、初めて時代劇への出演が決まった時には、「江戸時代の生活」についての20巻ぐらいある本を買ってきて、自分の役柄の参考にしていました。

しかし、それはそれ、これはこれ。隣でブツブツ呟いている人と一緒にいるものですから、僕はますます他人の目線を意識するようになり、父と歩いていると、落ち着かなくなり、歩き方もぎこちないものになっていました。親は呟き、子はぎこちなくひきつっているのですから、周りから見れば、どっちもどっちだったのだろうと思います。

僕が中学の頃、父はテレビ番組の「清水次郎長」というドラマに出演していました。当然父は次郎長の敵役でしたが、全42話中15話に登場するという当たり役になったのです。登場するたびに次郎長に嫌がらせをするのだけど失敗に終わるという、悪は悪でもちょっとお間抜けなコメディータッチの役でした。そのカッコ悪い役どころが、元祖中2病の息子には耐え難いものだったのですが、一方で、番組を見ると父のドジぶりに笑ってしまいますし、複雑な心境であり、そのアンビバレントな心理は、僕の中2病をますます悪化させました。

そんな頃、たまたま父と二人だけで出かけなければならないことがありました。父と僕は東横線のドアのところに立っていました。ふと視線を感じ目をあげると、20歳前後と思われる赤い服を着たとても美しいお姉さまが、反対側のドアのところに立って、こちらをじっと見ています。瞬間、まずいことになった!と思いました。

そして、その予感は当たり、突然、その赤い服が、こちらに向かって、いや、厳密には父に向かって近づいてきたのです。

彼女は、父の前で立ちどまり、なんの躊躇もなく、一言発しました。
「ども安さんですか?」

「ども安」とは、「清水次郎長」の中での父の役名です。

中2病にとっては、絶対絶命のキラーワードです。

しかし、父はニコニコしていて、おまけに彼女の手帳にサインまでしていました。


※イラストは、ChatGPTで作成しました。


そんなわけで、僕は普通の時に父と出かけるのは避けるようになりました。また、「俳優の息子」というラベルを剥がして、自分は自分だという自我同一性への渇望が強くなったのでしょうか、「自分は、父と別の生き方をするんだ」と意識するようになりました。今にして思えば、「自分なりの生き方をする」ということと「俳優の息子」という事実は、関係はないのですが、その頃の僕にはそうは思えず、もがいていたのです。

当時は、いろいろな書類に父親の職業を書かなければならないことがあったのですが、多分小学校の高学年ごろからか、そういう時には、「自由業」というわけのわからない職業名を書くようになりました。高校時代は、誰にも父の職業は言わなかったのですが、結局、友達が遊びに来たりするうちに、表札が二つあって、一つの表札はどこかで見た名前だと気づかれたあたりで、ばれてしまいました。それでも、高校の友人たちは普通に接してくれたので、ありがたかったです。

僕は、反抗期だったので、父には反抗的な態度をとっていました。今から振り返ると申し訳ないことをしたものだと思います。

大学に進学した頃に反抗期は終焉を迎え、入学した時の何かの手続きの書類には父の職業欄に堂々と「俳優」と書きました。しかし、隣に座っていた同級生が、僕の書類を覗き込んでいたらしく「俳優!?」と大声をあげてしまったので、みんなにバレてしまいました。

会社に入った時も人事の手続きで父親の職業欄に「俳優」と書きました。人事の担当者が普通のトーンで「芸名はなんとおっしゃるのですか?」と聞くので「高品格です」と答えると、静かに「ああ、いい役者さんですね」と言われました。「さすがに大きな会社ともなると、親がどうのこうのというのは気にしないで、普通にしてるんだな」と思ったのですが、僕の最初の勤務地の岡山では、赴任前にすでにみんなが知っていたようです。個人情報を勝手に流すなんて、今だったらありえないことですが、そういう時代だったのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?