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2024/01/25:電車大嫌い

目が覚めたら猫がニャーニャー言っていた。「起きてよね!ご飯を用意するのにゃー!」と言っているのだろう。ご飯の時間になるとニャーの勢いが全然違う。ご飯を用意して、もう一度布団に戻った。疲れていた。寝転ぶと、猫が僕の身体の上に乗る。お尻を僕の顔に向けて、コッペパンみたいになってジッとしている。お尻を人間の顔に向けるのは信頼の証らしい。でも、身体の上に乗るのはただ暖を取っているとも聞いた。可愛いから何でもいい。そのまま寝た。

病院の予約があったので、お昼頃に起きた。まだ少ししんどかった。少し前だと、しんどさが酷いと予定をキャンセルしていたのだが、キャンセルしようという発想より、「しんどいけど、ちょっとだけ頑張ろう」と思い易くなったから、恐らく少しずつ休めていてエネルギーが貯まっているのだろう。

寒いとシャワーを浴びるのが余計に億劫になる。シャワーやお風呂が厄介な点は、分解しにくい所で、一度服を脱げば、水を浴びる、洗う、乾かす、まで全てやらないといけない点で、「水を浴びたから、明日乾かそう」みたいに分けられない。掃除だったら、一度始めても、数分で止められる。続きは明日できる。シャワーやお風呂は一通りの過程を済まさないと、不便を被るから、分解できず面倒臭い。「寒くなくなる」「一瞬で身体も髪も乾かせる」となれば、「あー、シャワー面倒臭ぇ」という感覚が随分とマシになると思うのだ。

シャワーを浴びて、用意をし、駅に向かう。最近、光や人の動作・表情が気になりにくくなる方法を見つけた。音楽を聴いて、眼鏡を外し、今の時点での日記を書き溜めておくのだ。「眼鏡を外す」というのが特にポイントで、人の動きを少しだけ見えなくすることで、気にしてしまう度合いが軽減する。またメモアプリで書くことで、気にすることよりも重要な課題に集中できる。

メンタルクリニックに到着した。予約時間に到着したけど、30分ほど待った。どういう仕組みで管理されているか分からないけど、時間を大切にされていない感覚を覚えた。担当の医者と話した。最近は気分の落ち込みが少ない、不眠も無い、ただ体力がやはり少なく、疲れ、怠さがすぐにやってくる。今年に入って、予約した日にしんどくてキャンセルし、それ以来の通院だったので薬を切らしていた。話し合い、一度そのまま薬無しで様子を見ることとなった。

「今は人と接することは少なく以前より安定しているが、復職に向けて、このクリニックで認知行動療法など、薬を出す以外にできないか」を聞いてみた。できるが、週一回で予約の時間枠が制限されていて、週一回で、一回7000円かかるらしい。自立支援医療制度の対象外らしい。

僕は貯金が無く失業保険で暮らしているので経済的に難しそうだった。仕事に復帰したいために、復帰した後もぶり返さないために治療を受けたいのに、働いていないから治療を受けるためにお金が無い。お金が無いから生活を安定させるために、働くためにまずは治療が受けられないと変だと思った。不思議だ。

少し期待しすぎていたかもしれない。医者だから悪い部分を「悪くなくする」場所だ、いうことを忘れていた。悪くなくなった後にどうなるか、ということまで相談する場所ではなかった。復職後の相談やサポートは他で求めよう。そして、デイケアで作業療法など、安くで受けられないか、少し探してみよう。精神の調子が悪い人はお金にも困っていることは多いだろうから、立て直すための様々な治療が届きやすくなればいいとな願う。

疲れていたから帰って眠ろうと思ったが、近くのカフェに寄って少しだけ勉強しようと思った。トーストとアイスコーヒーを頼んだ。美味しかった。あまり集中できないかなと思っていたけど、自尊心・心の在り方についての本を読んでいると、多くの気付きがあった。自分の頭だけで解決策を見出すのではなく、他の人の考えに触れて、解決策を提示してもらう。本を読むこともある種の相談なのかもしれない。

電車で帰っているときに、心が反応し衝撃を受けてしまった。他に空いている場所があるのに、席が空いたら座りたいのか、立っている僕の妙に近くに立って、無理に狭いスペースに身を割り込もうとする人がいた。疲れていたのか、僕もすぐにその人から離れれば良かったものの、気になってしまった。目線や表情から、割と意図を持って僕に退いてほしそうな感じがした。気のせいかもしれない。過剰に反応しているかもしれない。でも、脳に釣り針が引っかかったような感覚が残った。

駅から家までの道で、息が荒くなった。家に着き、ストレスや恐怖を感じイライラして少し泣いていたけど、布団に入って、柴犬の動画を見ていたら楽になった。電車は嫌いだ。酷いときは恐怖や緊張を感じる。仕事し始めたら、通勤があれば電車に乗るし、しんどいときに好きな時間に急に布団に入ってダラダラして一時間休む、みたいなことは難しいよなって少し不安になる。できれば電車に乗らず家で働き、好きな時間に休める働き方を見つけたいけど、まあ今は無職で休みたいときに休めるし、「今はこれでいい」という感覚でいよう。

電車に乗るときはもっと気を付けないとな。特に疲れているとき、過敏になっているときは危険だと思う。電車に乗らない交通手段を取る、出口までの近さより人が少なさを優先して車両を選ぶ、気にならないように夢中になれる議題や作業を見つける、しんどくなったときはその場を離れて一旦足を止め休憩する、愛猫や動物の動画を見て落ち着く、など色々試そう。でも、しんどいけど、徐々に対処や回復が上手くなっているような気がする。微々たる成長かもしれないけど、余裕があるときは向き合って次に活かそうとして、少しずつ積み上げていけば、時間はかかるけど大丈夫にはなるのかもしれない。

何かしんどいことはあったときに、その個別事象から論理的に学ぶことを捻り出すというより、「辛いことがあったら、何かしらの意味があるのだろう。より良い未来に繋がるためのサインだろう」と最近は思うようにしている。信仰心っぽさがあるかもしれないが、辛さを引き起こした事象から距離を置かないと、余計に辛い。霊的な部分での意味を信じようと思う。

疲れが酷いと、何かが気になってイライラして頭が一杯になると、優先度を見失ってしまう。心が一度衝撃を受けると、冷静に物事を考えられない。自分が幸せになるためにも、猫や家族を安心させて幸せにするためにも、無理はせず、楽できるところは徹底的に楽しまくって、どうでもいいことは徹底的にスルーして、でも頑張りたいところ、頑張る必要があるところは頑張って成果・稼ぎに変えて、何よりも毎日を楽しむぞ。だって時間とエネルギーは有限だから。

イライラが酷く、身体の内部に負の水分が流れているような感覚があったので、今日は沢山食べようと思った。唐揚げとカレーを食べた。「成果や能力に意識を向けず、価値の高低・有無という概念そのものを考慮に入れず、無条件に自分を認めてあげる。できるできない、有る無しではなく、心の在り方、『何に価値を置くか』という姿勢を大事にし、根拠のない自信を持つことが大切だ」と本に書かれていた。美味しいものを食べる、温かくする、というのは無条件で自分を愛する感覚に繋がるのだろう。

今日は電車でしんどくなってしまい、さっき一度パソコンに向かって書こうとしたら、しんどさに向き合うのが怖くて書けなくなったけど、猫と遊んだ後に、ビーズクッションにもたれながら、ダラダラと書いていたら、意外と大丈夫になった。この日記を、数年後の僕が読んだらどう思うだろうか。数年後の僕、頑張ってるんだから、ちゃんと労ってくれよ。

今日は早めに寝る。皆さんもいい夜を過ごせますように。明日もいい日になりますように。おしまい。

おまけ

エッセイの紹介です。精神疾患の当事者として、自殺未遂、生活保護での苦しい生活など、実体験を語られていました。無理に飾ろうとせず、本音がリアルに書かれていました。私にとっては、大事にしたい、お守りのような作品です。

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