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レースから落ちて

 これまで欲していたものは、誰かが欲していたものだったのかもしれない。誰かが目の前に提示したものを、必死に追い求めていた。誰かが欲しているから、「私も欲しないと」と思って、駆られていたのかもしれない。ふと周りを見渡すと、みんな走っていた。だから私も走り始めた。どこに向かっているのか、何を目標にしているのかも、全く分からないまま。

 私は、ほぼ強制的にレースから追い出された。悔しかった。「こんなに走ってきたのに」「あの人より速く走れるのに」と思った。逆恨みのような感情も抱いた。そして、時間が経って、「あれ、あれは何のレースだったんだろう? みんな何に向かって走って競争しているのだろう?」と不思議に思った。私は何に向かって走っていたのか。

 お金はある方がいいんだろう。社会的に成功する方が安心だし、胸を張れるのだろう。ただ、私は苦しくなっていた。大した距離を走れた訳でもない、競争に勝つために誰よりも努力していたなんて言えない、それでも死にたくなるほど疲弊していた。ある同僚が「仕事場は戦場だ」と言っていた。そうなのかもしれない、でもだったら戦いたくない、別の場所で生きていきたい、と思ってしまった。

 挫折、と言われれば、そうなのかもしれない。まだ拭いきれない悔しさや自責がある。今までのレースで勝ち進んでいる自分を想像してしまう。今キラキラと走り続けている人を見て、毒のような感情が心から広がっていくのを感じる。でも、挫折なら挫折でいいじゃないか。ある視点から見れば「挫折」で、ある視点から見ればただの「別の会場への移動」なのではないか。

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