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真夜中の雪

今夜は雪が降っている。

いつも不思議に思うけど、雪が降る日は、案外寒く無い。

降らなくても、底冷えがするほど、

寒い日が多いと感じるのに。


時刻は、もうすぐ1時になる。

私は大学受験の為に、机に向かっている。
睡眠を取ることの大切さは、知ってはいるが、どうしても深夜も勉強してしまう。

それには理由があった。

  コンコン

ドアをノックする音。

  コンコン

私がノックかえすと、階段を降りて、去って行く足音が訊こえる。

それは父が、毎晩することだ。
私が寝てないか、起きて勉強しているか。
それを確認しに来る為だ。

それまで私は早朝に起きて、勉強することが多かった。
けれどある時、疲れて寝ていたら、父が凄い剣幕で私を叩き起こしたのだ。

「なにを呑気に寝てるんだ!勉強はどうした」
と、怒鳴られた。

いくら早朝にやっていると云ったところで、納得するような父ではない。


睡眠を、しっかり取ることの大切さを、父はまるで理解しようとしない。

勉強時間が長ければ長いほど、合格率が高くなると思っている。


私の家族は、父は東京大学卒。
母は、お茶の水女子大卒。

一つ年上の兄は今、九州大学に通っている。


慶應だろうが、早稲田であろうが、
私立は大学の内に入らない。

それが父の頭の中に、こびり付いた、歪んだ考えだ。


「バッカみたい!」
父に、そう云ったことがある。

拳で力いっぱい殴られて、私は勢いで壁まで飛ばされた。

棚に飾ってある、母の手作りの、リースや、私が買った色とりどりの、キャンドルが、バラバラと頭に落ちた。
鼻血が出て、口も切れて血が流れた。


母は何も云わない。
口出しすると、自分が同じ目に合うのを知ってるからだ。


「聖佳、この家の親族には、医師や大学教授、弁護士が何人もいる。
俺も大学の学長だ。女は家に居るのが仕事だ。だから史華は専業主婦をしてるだろう。娘だろうが、男の俺に楯突くことは、許さない。

絶対にだ。名家に生まれたことに
感謝しろ。お前は運がいいんだぞ」


私はこんな父親の元に生まれたことを、何度呪ったかわからない。
名家?運がいい?
頭が狂ってるのは、自分だと気付かない哀れな生き物はアナタだ。


「床が汚れるだろうが。さっさと血を止めろ。そして自分の部屋で勉強しなさい。判ったか」


私はティッシュで鼻を押さえ、階段を駆け上がった。

部屋に入ると、窓を開け放した。

氷のような、冷気が部屋に広がる。
通る車の数も、殆ど無い道路を、ただただ見下ろした。


ふと、兄の渓のことを、思い出した。

兄は何故、九州の大学に進んだのだろう。
兄なら京大だって入れたはずだ。
それくらい、兄は勉強が出来た。

九大が悪いなどの話しではない。
兄の高校の友達は、多くが東大、京大に進んだ。

たまに東北大学や北海道大学に進んだ学生もいたが、兄の友達は、東大、京大が殆どだ。


何より私には、兄が京大に憧れている印象が強い。

ノーベル賞のニュースを見て、目を輝かせていた。
「やっぱり京大は凄いなぁ」
そう云って。


私が自分を見ていることに気がつくと、少し慌てた様子で、無表情を作っていた。



それなのに、知人が居るわけでもない、九州に行くことを選んだのは、何か理由があるのだろうか。


私は兄に会いたくなった。
親に云っても反対されるのは、十分過ぎるほど、判っている。


こっそり行くしかない。
次の休みの日に行こう。
後は、どうとでもなれ!

私は窓を閉めて、父のコンコンに返してから、ベットに入った。



新幹線で、ホットコーヒーを飲みながら、私は福岡に向かっていた。
前の晩に、兄には行くことを伝えてある。


かなり驚いた様子だったが、最後は「気をつけて来いよ」
と云ってくれた。

止めても利かない、私の性格を兄はよく知っている。


兄は医学部で学んでいる。
将来は、臨床医になりたいようだ。

そういえば父は、兄が「九大」に行くと云った時も、黙っていた。
東大だ、京大だと大騒ぎしなかった。

そして家族の中でも両親は、兄とあまり会話がなかった。
なんでだろう……。


福岡駅では、兄が待っていてくれた。
家にいた時より、晴れやかな顔に見えた。


「腹減ってないか」
そう訊かれ、福岡では有名な焼き鳥のお店に連れて行って貰った。


街中には、何軒もの、焼き鳥屋と、
水炊きのお店が、あるのでキョロキョロしてしまった。


「この店の焼き鳥は、最高にうまいぞ」
自信満々の兄の後に続いて、私も店内に入った。

兄は、「とり皮20本!」と大きな声で注文。

20本!

私が目を丸くしているのを見た兄は、笑いながら
「普通は30本頼むんだけど、聖佳は初めてだからな。先ずは20本。
ペロリと食べられるんだよ」


お皿に山盛りのキャベツが届く。

「無料だから、バシバシ食え」
本当にバシバシムシャムシャと、兄は食べている。

私も食べることにした。

「とり皮20本、お待ち」


「初めて見る、とり皮の焼き鳥だ」

「早く食べてみて」

「それでは、遠慮なく」
串を一本手に取り、私は口に入れた。

普段食べてる、とり皮と違い、皮を串にグルグル巻いてある。
何度も焼いてるのだろう。
余分な脂が無く、タレが染みてて、
次々と、手が伸びてしまう。


そんな私を、兄は嬉しそうに見ている。

「な、旨いだろ?」

「凄く美味しい。キャベツとも合うね」


「あ〜お腹いっぱい。結局、全部食べちゃった」



「よし、どこかで、お茶でもしていくか」

兄は伝票を手にすると、振り返り、
「俺に話しがあるから、わざわざ来たんだろ?」

そう云った。

兄の顔を見た私は、何故だがドキッとした。


5分ほど歩くと、落ち着いた感じの、お店があったので、兄と私は中に入った。


照明も薄暗く、店中にコーヒーの

香ばしい香りが漂っている。

お客は、数名いたが、一人で本を読んでる男性。

店内に流れるピアノ曲を、目を閉じて、ゆっくり聴いてる女性。

皆んな静かに自分だけの時間を堪能しているようだ。


兄と私もブレンドを注文した。

「何を訊いても、俺は構わないよ。
遠慮しないで、話してごらん」


そう云われると、何を云えばいいのか、判らなくなる。

「俺が九大を選んだ理由は、訊きたいよね」


私は黙って頷いた。

「九州が、俺の故郷だから。それで
九大にしたんだ」


故郷って……兄は一体、何を云ってるの?

私たちは、生まれてからずっと、東京の柿の木坂で、育ってきたじゃない。


「お待たせ致しました。ごゆっくり」

兄は直ぐにカップを手にし、口に運んだ。

「うん、美味しい」


私は頭の整理が、全く付かないでいた。

「聖佳が混乱するのは、もっともだよ。一つずつ話すね」


「さっき俺が、九州は故郷って云ったけど、詳しくは熊本なんだ」

「熊本」

「聖佳は、[こうのとりのゆりかご]って知ってるかな」

「初めて訊く名前で、判らない」


「じゃあ、これなら耳にしたことがあるかな。[赤ちゃんポスト]」


「あっ」

「知ってるみたいだね」

「確か、赤ちゃんを産んだけど、色々な事情で育てることが出来ない両親が……」


「うん、そうなんだ。その赤ちゃんポストは、熊本の医院が初めて作ったんだ」

「それと、お兄ちゃんにどんな関係が」


兄は入って来た時から、流れているピアノ曲を聴いていた。

「優しい、いい曲だね」

そして、またコーヒーを飲んだ。

「聖佳も飲まないと冷めちゃうよ」


「お兄ちゃん」

「ん?」

「故郷って、その」


「うん。[こうのとりのゆりかご]」
「[赤ちゃんポスト]に俺を産んだ母が、入れて行ったんだ」

「……」


「でもね、母は医院の医療関係者の皆さんと、会って話しもしたんだって」

「どうして、お兄ちゃんのことを」

「父も母も高校生で、経済的に俺を育てるのが無理だったのが一番だと思う。あとは会ったことは無いけど、祖父と祖母が大反対してらしい」


「その後は、どうなったの。今まで東京の家で暮らしてたよね」


「赤ちゃんが、ポストに入ると、先ずは、医師による健康チェックがあるんだ。そのあと児童相談所に行くらしい。俺も全然、覚えてないけど」

兄はそこまで話すと、
「聖佳、大丈夫か」と訊いた。

私は「うん」と答えた。


静かに話す、兄の表情を見ている内に、自然と私も冷静になっていた。


「良かった。そのあと乳児院に行き、施設で育てられるか、里親希望の夫婦に引き取られるか、決めるらしい」


「じゃあ、お兄ちゃんは、今の両親に引き取られたということ」

「中々、赤ちゃんが授からなかったらしいんだ。だけど俺を引き取った数ヶ月後に、史華さんは聖佳を妊娠した。もう少し待てば良かったのにな」

兄はそう云って、笑った。


そういうことか。

実の子供の私が出来たから、両親は、血の繋がりの無い兄に冷たくなったんだ。


「家の両親は、壊れてる。人間と呼ぶのは間違いだ。2人共、鬼畜だよ。どうしてあんな家に生まれたんだろう。早く出たい」


私は泣き出した。

兄は静かに
「わかるよ。聖佳の気持ち。俺も施設で育ちたかったと何回も思ったから」


涙が止まらない私に兄は、
「受験、頑張れ!聖佳は、どこの大学を志望なの」

「東京大学だったけど、絶対に止める。家から通える大学には行かない、絶対に」


「北大はいいらしいぞ。進学した先輩が云ってた」

「そしたら、お兄ちゃんとの距離が、もっと遠くなるもの」


「広島大学も、いいって訊いてる」

「なんで、九大に来いって云わないの?ねえ、何で」


「それは……」

「私たちは、血の繋がりが無いんだよ」

「確かにそうだけど」


「本当は、とっくに決めてあるの。私は九大の薬学部を目指す」

「薬学部って急だな。いっとくけど、難関だぞ」


「だから急なんかじゃないんだってば。お兄ちゃんが、医学部に進んだから、直ぐに薬学部を目指そうと決めてたんだから」


「臨床医って、患者さんとコミニュケーションを取りながら、治療を進めていくのよね?薬剤師とも密接に話し合いながら、お薬を決めるって知ったの。だから薬学部にしたの。九大の」


「家で、話しが出来るのは、お兄ちゃんだけだったもの。もう嫌だと
云われるまで、傍にいたかった」


「嫌だなんて、云わないよ。たぶん一生」

私は嬉しくて、また泣きそうになったので、とにかく合格する為に、
勉強を頑張ろうと、ますます覚悟が決まった。


店を出て、2人でゆっくり歩いた。


明日は2人で、熊本の兄の故郷に行く。

兄のことを、覚えている人は驚くだろう。

けれど、きっと喜んでくれると思う。
それが楽しみの一つでもあった。

「いい匂いがする」

「とんこつラーメンの匂いじゃないかな。えっ!まさかもう腹が減ったんじゃ」

「ほら、雪が降って来たよ。今夜遅くに、博多の屋台で、とんこつラーメン、最高だと思うな」


「聖佳が、こっちに住むことになったら、エンゲル係数、爆上がりしそうで怖い」

「綺麗だねぇ。夜になってから降る雪って。大好きだな」


聖佳の生き生きとした表情。

それが何より綺麗だってことに、
キミが気付くのは、いつ頃かな。


楽しみだけど、俺は寂しくもあるんだよ、聖佳。


      了







































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