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アンチユニバーサルな介護保険 〜万能ワークチェアに見るその矛盾(前編)

お金を取る事には八方手を尽くすが、払いは渋いのが行政の常である。
だが、公が推している理念と、その振る舞いが矛盾している時は、民はきちんとツッコミを入れろと、かつて民主主義の礎となった本を書いた人も書いていた。とNHKの100分で名著という番組で知った。

それは民主主義を健全に保つための、民主主義における民の義務、不断の努力である。ジャン=ジャック・ルソーがそう言っているのである。

なのでここでは、ユニバーサルデザインを推さない介護保険の運用について、ある椅子の話からツッコミを入れておくことにする。

Vermund Larsen、VELA社(デンマーク)のワークチェアである。


この椅子、基本形は一見するとただのキャスター付きの事務椅子なのである。でもそれもそのはずで、

「VELA社は、障害のある人々が職場に積極的に参加し続けることができる適切な椅子についての長年の経験を持っています。」

との、メーカーの売り文句なのだ。デスクワークのための椅子なのだから、机の前で仕事をするための形状でなくてはならないし、さらに障害のある人にそれをアジャストした、というのがこの椅子の始まりだろう。


一見、どこか障害のある人に合わせてあるのかわからない椅子なのだが、特徴はそのブレーキにある。肘掛け外側後方に、キャスターの辺りからブレーキレバーが生えており、それを立てることでキャスターにブレーキがかかる。
特筆すべきは、後ろの左右の車輪が回らなくなるだけでなく、そのキャスターの角度にもロックがかかり、しっかりと止まることである。

これがなぜ大切か。それは乗り移りの時に、その移乗先が動き回ると容易に転倒転落につながるからである。車いすの乗降には必ずブレーキをかけなさいという、アレである。


そしてこの椅子、座面の高さと前傾角、肘掛けの高さ(座面と同じ高さまで下げられる!)と間隔、背もたれの高さと前後位置が調整できる。
特にその背もたれが秀逸で、腰痛持ちとしてはいちばん有難い、おへその裏からちょっと下くらいの、脊椎の急所範囲をきっちりとサポートしてくれて、とても調子が良い。

今でこそ、腰痛予防チェアは事務系の椅子にも結構出てきたが、この椅子メーカーは何十年も前からこの機構を磨いているのであった。

そして、介助者なしの車いすユーザーはそれを常に手で操作しているとは限らず、片麻痺の方などは足蹴りで使う。
残っている下肢の機能をフルに使うという意味でもお勧めできるし、ハンドリムがなければそれだけ車幅が削れるので、室内での小回りも効きやすい。

そこに注目してつくられたこの椅子は、座面が少し前方に傾けられる。さらに先割れスプーンのようになった座面を持つコキシットタイプなら、その角度を左右で変えられる。これが何を意味するか、イメージできるだろうか?

車いすは座面からのずり落ち防止のための、クッションの前方の出っ張り(アンカーサポート)をつける傾向があり、足蹴りの際に前傾姿勢が取りづらい。だがこのVELAの椅子は、お好みに合わせて、片足側だけでも、操作性を優先したポジショニングができる。また左右で異なる股関節の可動域制限がある方にも、この機能は対応できるだろう。


そして、足蹴り動作の邪魔にならないように、足元は広く解放されていて、キャスターは通常の事務椅子より広く、座面から少し左右離れた位置に設置されている。
片麻痺の方用には、可動バー型の脚乗せのほかに、車いすのものと同形状の片側フットレストのオプションもあるので、動きにくい足を引きずり車輪の下敷きにすることもない。
また、座面も脚に対して回転するようにできていて、90度ごとにロックがかかる。だから、狭い部屋に置いた机に入る時も、横から進入して座面だけをくるっと回せば移動が終わってしまう。

これ、以前に推しておいてなんだが、6輪車いすなんか目じゃないレベルで自由だ。

自分がこの椅子に出会ったのは、この仕事を始める頃に福祉用具プランナー研修を受けていたときなので、もう20年以上前の話になる。

印象に残っているのは、その話をしてくれたメーカーの方が、まるで子供のように自社の椅子に乗って足で蹴りながら、とても誇らしげかつ楽しそうに部屋中を動き回っていたことで、参加者もおもわず同じように童心に帰ったのは言うまでもない。下の階のみなさん、申し訳なかった。

開発者の方もご愛用の椅子です

そして案の定、衝動買いしたい気持ちにもなったのだが、ベーシックなタイプが当時でも15万円近く、さすがに手が出なかった。残念。



ここまで推しの椅子の話を書いてきた。足蹴りのできる片麻痺の人などは、この椅子を使って室内ではかなり快適に暮らすことができる。
そして見た目はただの事務椅子である。自分はここに「すべての人を目指すデザイン」と言われる、ユニバーサルデザインの積み重ねの成果を見る。

しかし、デンマークでは当たり前に使われているこの椅子に、なぜか日本の在宅介護の現場ではほぼ出会わない。果たして、この椅子は介護保険で車いすとして使えるのだろうか?

答えはお察しの通り、NOである。

ただし、法令の隙間を潜り抜けた、ひとつの例外がある。そこに介護保険の矛盾が見えるのだ。

そして次回、その謎解きにつづく。


※参考文献


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