「音を楽しむと書いて音楽だけど、英語ではそれをMUSICと言うんだ」

タイトルのセリフを言ってから、その先生は続けた。

「どこにも『音を楽しむ』とは書かれてないよね」

私は、この言葉が衝撃的で、なおかつ私の音楽に対する価値観を一変させたセリフでもあった__。

いきなりでなんのこっちゃなので、最初から順を追って説明していこう。

大学生は2年生か3年生の頃、私は単位取得のために「現代思想」と名の付いた講座に応募した。

応募した後でよくよくシラバス(授業計画のようなもの)を読んでみると、毎年応募数が多いとのことで抽選になるかもしれないとの記載があった…と思う。もうあまり覚えてない。

数週間後、ネットで私の時間割表をみてみると、普通にその講座が時間割に組み込まれていたため、その抽選に当選したようだった。

特になんの感慨もなく、「とりあえず単位さえ取得できればいい」という曖昧模糊な気持ちでその講座の初回の授業に出てみた。

その「現代思想」と名の付いた講座を担当していたのは「M先生」という方で、なるほど…確かにちょっと変わっているような感じだったように思う。

見た目は特に変わったところはないのだけれど、言葉の端々に出てくる早口混じりの難解な語彙に、私は「この先生はなかなかかもしれない」と思っていたところがある。

さらには、このような公の場では声を大にして言えないような…世間的にタブー視されているような諸問題(ある種の命題)でさえも、

私はこう思うけど、皆さんはどう思いますか?もし意見がある方がいましたらどうぞ

このような感じで、自分の意見をかっちりと述べてから、受講生たちに意見を述べさせる…という…なんだろう、一見するとソクラテスの如き知の探究心を感じさせる人物だったように思う(これは流石に誉めすぎだろうか)。

そんな風変わりなM先生の講座では、授業の最後に一枚の紙が配られる。

先生はこう言っていた(と思う)。

「その紙に、この授業で思ったこととか、感想でも良いので書いてください。もし感想などもない場合は、あなたが考えていることや興味のあることを書いてください」

初回の授業から2回目〜3回目ぐらいまでは、私も普通に授業の感想などを書いていたように思う。

しかし、確か4回目か5回目ぐらいの授業で、その講座で音楽にまつわる話が出てきたのだ。

どんな話だっただろう…どんな内容だっただろう…。

今ではどんなものだったか思い出せない。

記憶の片隅にあるのは、アメリカが話題に出ていて、そこに原住民族的な話が施されていた…ように思う。違うかもしれない。でもなんかそんな感じだったように思う。

その講座の中で音楽の話題が出てきたから、私は「授業終わりに配られる紙」に意見を書いてみた。

「『音を楽しむ』と書いて音楽です。音を楽しんでこそ音楽だと思います。〜〜〜〜〜(その他諸々。どんなことを書いたか覚えてない)」

当時の私は、『音を楽しむと書いて音楽なんだ』という手垢のついた言葉に、心のどこかで引っ掛かりを覚えながらも、その言葉の引力に抗えなかったように思う。

音を楽しむと書いて確かに音楽だし…と、この言いくるめられている感を拭えず、それこそが真だと思っていた。

次の週の授業の初頭で、M先生は前回の授業で持ち寄られた「配られる紙」に書かれた意見や感想などへの所感を述べていった。

そして、私の紙が読まれた。

「えーっと…次は…『音を楽しむと書いて音楽です。音を楽しんでこそ音楽だと思います』っていう意見ですね。これは前回の授業に対してかな。
なるほど、確かに『音を楽しむ』と書いて音楽です。うん。
でも、それは日本語だからなんですね。
日本語では確かに、『音を楽しむ』と書いて音楽だけど、英語ではそれをMUSICと言うんだ。どこにも『音を楽しむ』とは書かれてないよね。だから〜〜」

ここまで聞いて、私の脳みそはM先生に感服し、そしてその反論のしようがない真たる概念(または観念)に敬服した。

M先生はこの後もつらつらと私の有象無象な、なんの芯も通っていない形骸化した…意見とも言えないような稚拙極まれりな意見にさえも所感を述べてくださったが、私の耳はそれらを遮断してしまった。

そうだ…確かにその通りだ。

『音を楽しむ』と書いて音楽だけれど、英語ではそれらをMUSICと呼ぶではないか。

ドイツ語ではそれをMusikと呼ぶし、フランス語ではそれをmusiqueと呼ぶし、ヒンディー語ではそれをसंगीतと呼ぶ。

どこにも「音を楽しむ」なんて書かれてないのだ。

いや…まぁもちろん、MUSICの語源を辿っていくと「音を楽しむ」的な意味合いが含まれている可能性が無きにしも非ずではあるが、とはいえ日本語そのままの「音を楽しむ」ではない。

MUSICはMUSICであり、日本語の訳として適当だったのが『音楽』だった。それだけの話なのだ。

もっと言えば、
音を楽しまない」と書いても音楽だし、
音は楽しくない」と書いても音楽だし、
音を楽しめない」と書いても音楽である。

「音を楽しんでこそ音楽だ」という、ある種の団結感、もっと言えば強迫めいた感覚に慄いていた私は、M先生のおかげで別の境地へと辿り着けるきっかけを手に入れた。

私は今、曲を作ってアップする…という作業をしているが、作曲は楽しい面だけではなく、苦しい面も多々ある。

『音を楽しめない』と感じることも多々あるが、それもある意味で『音楽』だよなと感じつつ、このnoteを締めたいと存ずる。

おーわりっ!!

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