アレクシア・エルレンマイヤーの消えた日

 彼女アレクシアが消えた。

 何も言わずに姿をくらますようなひとではなかった。エルレンマイヤー卿アレクシアは、自分の立場も責任も、過ぎるほどに理解していたから。
 用意された議場に現れなかった彼女に、私も含め、みな、まずは彼女の家へ向かった。
 多少の不調は押して活動する彼女が、もしそれでも動けないような状態だとしたら、と。だが家にはいなかった。家族のいない彼女の自宅に、行方を尋ねられる相手はいない。

 その時点で、すでに騒ぎになった。

 一晩様子を見る、という案は、挙げる者すらいなかった。
 どこかで倒れていたら。病気。怪我。最近ではそんなことも鳴りを潜めていたが、過去、彼女は何度も刺されかかっている。最悪の事態がないとも限らない。
 あるいは、誘拐。彼女には、彼女が工房街の全権を負っている議題がいくつもある。彼女になんとかしてうんと言わせれば、喜ぶ政敵は山ほどいる。
 どちらにせよ、何かがあったのは確実だと思われた。繰り返すが、彼女は誰にも何も言わずに姿をくらますようなひとではない。絶対に。
 それでも何かの手違いで、彼女が何事もなくひょっこり出てきてくれて、悪かったな、と一言あればそれでよかった。
 それだけでよかった。

 エルレンマイヤー卿アレクシアは、工房街に灯る星のようなひとだった。
 貴族階級の出身ではない。卿というのは、街からの尊称だ。そもそも彼女は、街にはありふれた工房の娘だった。
 彼女が両親を失ったのは、彼女が十一のころ。自殺だった。工房街が息絶えようとしていたあのころ、死を選ぶ者は珍しくはなかった。だが、彼女は両親に遺されたのだった。一人で。首を括った二人を見つけたのは彼女だったという。
 その翌年から、彼女はやがて『エルレンマイヤー卿アレクシア』と呼ばれることになる交渉人の第一歩を踏み出した。
 十二の子どもが議会の交渉テーブルに自分をねじ込ませ、蔑視と嘲笑にまみれながらもがくようにして戦って、戦って、戦い続けて十年。
 彼女は、誰を向こうに回しても不敵に笑う、工房街の揺るぎない希望になった。
 その背を支えながら、私たちは生きていた。その背に守られながら、私たちは、生きていた。

 私たちは街中を探した。路地のひとつひとつを確かめ、彼女を最後に見た者を探し歩いた。
 どこにもいない。彼女を最後に見たと思われるのは飯屋の女将で、いつも通りに店を出ていってそれっきりだと言う。

 丸二日経って街中を探しきり、これはいよいよさらわれたのだ、となった。

 市議長を筆頭に、中央都の議連をせっついて探させる。
 中央も中央で、彼女がいなければ進まない議題を多数抱えている。嫌な顔はされたが、とりあえず突っぱねられはしなかった。
 事態はどんどんと大事になり、なのに彼女は見つからない。

 しかし、さらに三日が経って、中央は早々に諦めた。たった三日で、義理は果たした、と言わんばかりだった。
 アレクシア・エルレンマイヤーの代理を立てろと通達が来て、市議長たちが抗議する。これはかなり揉めることになるだろう。

 だが本当の問題は、アレクシアという女性が消えたことだ。
 エルレンマイヤー卿という交渉人は、確かに街にとって必要な人物だった。けれどその一方で、ただアレクシアという、あの強く優しいひとが消えたことだって重大なことだった。
 私たちはアレクシアが好きだった。
 エルレンマイヤー卿の代わりに交渉の席に着ける者はいても、アレクシアの代わりはいない。
 あんなふうに私たちと一緒に頑張ってくれた、一緒に生きてくれたひとの代わりなんて。

 ああ、嫌だ。
 どこに行ってしまったのか。無事でいるのか。誰にもわからない。
 私たちはアレクシアが好きだった。大好きだった。
 あなたの代わりなんてどこにもいない。
 だから、どうか戻ってきて。
 アレクシア。
 どうか。

 神様、どうか、私たちのアレクシアを返してください。お願いします。お願いします。どうか。




 ――されど、彼女の心の疵のひとつは、『代替品』。
 ――――「あすこにいるのは、わたしでなくてもよかった」。

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