Novelber2020

01.門
掲げられた扁額の文字は読めない。この門の向こうが何処へ続くものか、今ここで知ることはできない。それでも往く。辿り着くためでなく去るために。わたしが居ては幸せになることのできないあの人のために、わたしは門を越えてゆく。さようならだけをここに残して、愛しているとは言わずに。 #novelber

02.吐息
硬く澄んだ空。晴れた夜。ここに僕がいることを、君以外の誰も知らない。胸に灯る小さな火だけを大切に守って、僕は君の帰りを待っている。いつかの日、くちづけに交わった吐息の熱も、今はただ白く凍る。ここは寒いね。でも寂しくはない。息を吐けば、その熱はきっといつか、また君に届く。 #novelber

03.落葉
指先で割れる、プレパラートのガラスを想像する。あれを一面敷き詰めて、その上であなたと踊ったら、きっと楽しいのに。ガラスが砕けるたび、二人で笑う。今、落葉の赤と黄を踏みながら歩く並木の道で、そんな事を考えている。薄く脆い枯れ葉の感触に、踏んだことのないガラスを思っている。 #novelber

04.琴
手風琴の音が聞こえる時、その瞬間だけ、君のことを思う。掠れるように笑って別れた秋の暮れ。広場の石畳の色も、花を売るワゴンの薔薇の色だって覚えているのに、君の顔は思い出せない。揺れる髪の先。爪の色。指の冷たさ。些細な記憶が音色とともに流れるけれど、どれももう、君ではない。 #novelber

05.チェス
ルールなど知らないふりの盤上で、互いの駒が彷徨っている。二人の間でだけ成り立つごっこ遊び。ナイトとビショップが盤外に駆け落ちして、僕らは大笑いした。僕らもこうなれたら嬉しい?そう尋ねたりはしない。暖炉で薪が爆ぜる。僕らはどこにも行かない。ここにいる。ずっとここにいる。 #novelber

06.双子
わたしの胸にいる、見えない片割れ。胸の内側で聞こえるくすくす笑い。時々泣いてることもある。わたしが恋をしたときは、心臓をとんと叩いてそれを教えた。わたしのこと、なんでも知ってる。でも、わたしはわたしの大切な片割れが、彼だか彼女だかも知らない。わたしの胸のどこにいるかも。 #novelber

07.秋は夕暮れ
日が落ちる。さようならの時間がくる。寒く長い夜に隔てられる前に、もう一度キスをして。明日には冬ごもりが始まるから、今年の秋はこれでおしまい。夕暮れを見納めて、わたしも君も、家に帰る。家族と一緒の、温かい住まい。でも君はいない。それだけで寂しい。また明日、と言えないのが。 #novelber

08.幸運
あなたに出会えたのは、幸運だったかしら。これほど寒くて、疲れ果てて、もうどこにもいけないどん詰まりで、この手の中にはなんにもなくて、それでもよかったって言えるかしら。あなたのためなら言ってあげてもいいわ。わたしは世界の中でも指折りの果報者。あなたの温度を知っているから。 #novelber

09.一つ星
朝靄。昇っていく太陽の光に、もう見えはしない一つ星。わたしは今日の夜、同じ星を見つけられないだろう。消えてしまうわけじゃない。でもわたしはそれを、特別なひとつとしては探し出せなくなってしまう。数え切れない瞬きの中で、見失ってしまう。そんなふうに、君を、なくしてしまった。 #novelber

10.誰かさん
わたしでも、あなたでもない。どこか見知らぬ場所、預かり知らぬ時、そこにいる誰かさん。彼とも彼女ともつかぬそのひとに、わたしたちは出会えるだろうか。何かを知りたい。誰かに出会いたい。星の果てでそこにあるものを掴めるのなら、わたしたちは行く。この手を伸ばす。きっとそうする。 #novelber

11.栞
十九の頃に栞を挟んだ。秋の、重く淀んだ曇りの日だった。大学の講義が終わったばかりで、第一校舎を出て、一緒にいたきみが笑っていた。わたしの人生にひとつだけ結び目を作るならここなのだとわかっていた。だからわたしは何度もそこへ戻る。ページを捲り直す。君との別れを、繰り返す。 #novelber

12.ふわふわ
あなたに恋をしたことはないです。あなたに夢を見たことはないです。振り返ってくれと願ったことはないです。許してほしいと思ったことはないです。愛してもらいたいと祈ったことはないです。けれどこのふわふわとした気持ちには、名前をつけずにとっておきます。それがたぶん、大事なので。 #novelber

13.樹洞
そこは大概の場合からっぽです。どんぐりがあったり、何かの巣になっていたりはします。けれどごく稀に、そこには虚ろがあります。覗けばそれが眠っています。目覚めているそれに出会えることはほとんどありませんが、それと目が合えば、あなたはもう、未来へゆくことはできません。永遠に。 #novelber

14.うつろい
どうしようもなく去っていく心に、さようならと言える潔さが欲しかった。うつろうものを引き留めようとしても、もう届かないと知っていた。なのにどうして今、こうして泣いているのだろう。わたしはここに立ち尽くしているのに、あのひとはもう行ってしまった。背中も見えないほど遠くまで。 #novelber

15.オルゴール
繰り返すその永遠を、厭うたことはない。すでに決められた詩を、すでに終わった歴史を、くちびるに乗せ続ける。ゆるやかに巡る。いつまでも廻る。誰かがわたしのぜんまいを巻き続けているから。それは神様かもしれないし、悪魔かもしれないし、ただただ、そういう仕組みなのかもしれない。 #novelber

16.無月
雲の向こう側に、今日も本当に月があるだろうか。今日別れたきみは、本当に明日もいるだろうか。今ここに見えないものを信じてもいいだろうか。信じられるだろうか。わたしに信じさせてほしい。なにもかもが幻ではないと。あるいは、わたし自身が幻ではないと。本当に、今日は明日に届くと。 #novelber

17.錯覚
わたしのことを好きでいてくれるのかな。思った一秒後には、それが錯覚だと知っている。あの子はわたしのことなんて好きじゃないし、嫌いでもない。ただどうでもいいだけの、そこにいてもいなくてもいい、そういう相手。だからあの子には近づかない。遠ざからない。そうする勇気はないから。 #novelber

18.微睡み
微睡みの中でだけ出会える人がおります。髪を撫でる手。柔らかく笑うような吐息。そうした何事かの、夢か現かもわからない曖昧な方。わたくしはその方をお慕いしておりますけれど、わたくしの目がしかと開いている時にお会いすることはきっとないでしょう。あの甘やかな眠りの狭間以外では。 #novelber

19.カクテル
グラスの中の綺麗な色のカクテルに何がどれだけ入っているのか、わたしは知らない。テーブルの向こうに座った君の遠い目が、何を見ているのかも知らない。今ここにあるもの。わたしには、あるということしかわからないものたち。君は知っているだろうか。カクテルの内訳も、わたしのことも。 #novelber

20.地球産
一瓶の星の砂だけが手元に残った。他のものはなにもかも置いてきてしまったけれど、たったひとつ、その小さな瓶だけが。二度と帰れない場所を背にして、わたしたちは流星になる。暗い場所を一心に進む。地球の終わりは見ない。故郷の滅びは。ただ、あの惑星が産んだ思い出だけを連れて行く。 #novelber

21.帰り道
行きにはあなたがいたけれど、帰りの道にはだあれもいない。さよならのひとつも残さずに、あなたはどこまでもまっすぐに行ってしまう。わたしはそれについていけない。だから、ひとりの帰り道を辿る。ただ元の場所に戻る。待っている。あなたがこの星を一周してくることを、期待している。 #novelber

22.遥かな
わたしの中にある、小さな小さな光の粒を、遠く遠く、空の果てへと飛ばしてしまう。遥かに、遠く。誰の手にも捕まらない場所へ。そうすれば、わたしたちはきっと大丈夫。大丈夫だよ。もうあなた以外の誰も触れることはなくなって、思い出はきっと永遠になるよ。わたしはそれを知ってるよ。 #novelber

23.ささくれ
触れれば痛むその場所を、じりじりと爪の先で掻いている。でも大したことじゃない。血は出ていないし、傷とも呼べない。それはただ、小さなささくれ。でも、だから、悲しい。大したことじゃない、血も出ない、傷でもない、ということが。これが、死んでしまえるくらい重大な事であったなら。 #novelber

24.額縁
額縁に切り取られた姿を見つめている。けっして振り返ることはない後ろ姿。絵の具の質感が、君を、ただ一瞬がそこにあるだけの存在にしている。いつかこの絵も、描かれた君の実存を忘れて、ただ美しいだけのものになるんだろう。でも僕は、ここで遠くを見ている、君の名前を忘れないでいる。 #novelber

25.幽霊船
白い帆に風を受け、波を切って走る舳先は、どこを向いていたのだろう。今この砂の上、打ち上げられて死んでいる船。甲板にも船室にも誰もいない。誰も来ない。けれどわたしにはわかる。この船の魂はもうここにはなくて、幽霊になって、どこかへ出港していった。行きたいと望んだ海の果てへ。 #novelber

26.寄り添う
隣にいるのは、君じゃなくてもよかった。誰でもよかったとは言わないけれど、特別、君でいてほしかったわけじゃない。わたしが選んだんじゃなくて、きっと、君が選んだ。わたしのことを、選び取った。理由は知らない。多分、知らないほうが良い。ただここで寄り添いあっている。それだけだ。 #novelber

27.外套
温かいな。ただそう思う。もう誰もいない場所、暖炉の火も消えている。それでも君が残してくれたこのぶかぶかの外套が、わたしをそっと守ってくれる。そんな気がする。それは気のせいかもしれないけれど、わたしはそれを信じている。まるで祈るように。だから今、わたしの胸もまた、温かい。 #novelber

28.霜降り
靴の裏で押し潰す、霜柱。痛いほど寒い道を、一人で歩いている。ぴりりとした空気を吸い込んでは吐く。喉が痛いな。あの日、君についた嘘と同じ痛みだ。ぬくもりの褪せていく感触だ。僕はそれを知っている。そして、二度とは忘れない。同じ場所に霜が立つように、何度も同じ嘘をつくから。 #novelber

29.白昼夢
目を閉じて、葉擦れの音がする、柔らかい静寂を感じる。瞼の裏に見えるものは本物ではない。望むものが、望むまま見えるわけでもない。白昼夢は、プリズムのように色を変えながら漂っている。夢と嘘は似ている。僕は嘘をつき、夢を見る。君はまだいる。ここにいる。そういう夢。そんな嘘を。 #novelber

30.塔
遥かな天空より、その塔を降りてくる者がある。天上のことは誰も知らない。それでも来る。一人、一人、幾人も。彼らは、己を追放者だと言う。愛の罪によって天を去ることになったのだと言う。かつての居場所にさよならだけを残して、何も持たずにやってくる。そしてここでも、愛を交わす。 #novelber

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