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「愛は勝つ」以外知らない私が、つい最近、KANの音楽を好きになった話

新年が明けた! と思ったら、もう5月も半ば。
無情に過ぎていく時間に恐怖を感じるのは、自分の人生にも終わりがあるのだ、と実感する年齢になったからでしょうか。

「愚か者よ。人生最大のムダは悩むことじゃ。元気になる音楽を聴いて、年齢という恐怖を吹き飛ばすのが一番じゃ」心の声が私をいさめます。

元気になる音楽? Mrs. GREEN APPLEとか、緑黄色社会とか? 
若者の音楽もイイけれど「ムリしてる感」があるしなぁ、と自問自答していたら……見つけました。年齢や悩みを吹き飛ばすのに、ぴったりの音楽を!

J-POPを代表するアーティスト、KANの最後のアルバム「23歳」です。

どのように元気になるか、と言うと……

・「これはビートルズ!」「えっ! ボン・ジョビ?」「スティービー・ワンダーってどんな感じだった?」と、若い頃聴いた音楽をもう一度聴いてみたくなり、ワクワクウキウキする。

・「恋する気持ちとユーモアいっぱいの、心にすーっと入る歌詞」で、心が元気に。年齢なんか気にせず楽しく生きよう、と開き直る。

・大人のやさしさと、恋する少年の心を持ち続ける、KANのラブソングを聴いていると、忘れていた「人を好きになる気持ち」がよみがえってくる。
「夕ごはん作るのしんどい。夫も作ればいいのにさ」と、ぶーたれていた私が、最近は「早く家に帰って、夫に会いたい」と思うようになった。

もしかしたら、あなたにも楽しい変化が起こるかもしれない、おすすめのアルバムです。

しかし「おすすめされても「愛は勝つ」以外、KANの曲は知らない」という方も多いかと。私もそのひとりでした。

ここから先は、私が「23歳」を聴いたきっかけと、KANのプロフィールと魅力を綴ってみました。お時間のある方は、よければ一緒に。

私が「23歳」を聴いたきっかけは、昨年末届いた友人からのメールでした。

最近、息子(8歳)とKANの「よければ一緒に」をよく聴いています。
2人で手をつないで歌っていると、何だか心が温まりました。
11月にKANが亡くなられたのをきっかけに、名曲を聴きたい気持ちになり、最近曲を聴いたり、動画を見たりしています。

心やさしい彼女が、国民的応援ソングを作ったKANのファンというのは納得。文面からは、急逝したKANへの思いが伝わってきます。

でも、KANの歌は「愛は勝つ」以外聴いたことないしなぁ……とためらいつつ、メールに添付されていた「よければ一緒に」を聴いてみることに。

もしも ぼくに手伝えることなにかあるなら
よければ一緒に そのほうが楽しい

よければ一緒に/KAN作詞・作曲

「寄り添い系ソング」とでもいえばいいのでしょうか。

シンプルな歌詞と、やさしいメロディは、昨今の若者の歌を聴きとることができない中高年でもすぐに歌えそう。
歌いやすさも、全世代に寄り添っています。
さりげなくも思いやりあふれる歌詞は、KANの人柄そのものなのでしょう。

じわじわとKANに興味がわいてきました。他の歌も聴いてみたい。
若い頃のアルバムよりも、自分の年齢に近いアルバムの方が、共感できそうです。

KAN58歳、亡くなる3年前の最後のアルバム「23歳」を聴いてみることに。

「ビートルズ? それとも懐かしのグループサウンズ?」
1曲目の「る~る~る~」は、初めて聴くのに、妙に懐かしい音楽です。

2曲目以降も、1980年代に流行ったAOR(大人向けの都会的なロック)や、カントリー調やフォーク調、ボン・ジョヴィを思わせるハードロックに、テクノポップ、スイング・ジャズ、ディスコミュージックに、しっとりバラード……10曲入りのアルバムは、どの曲も、聴いたことがあるような、耳馴染み良く心地いい音楽。

しかし、J-POPのKANとハード・ロックのボン・ジョヴィとは、意外な組み合わせ。洋楽っぽいグルーブを感じる曲があるのも予想外でした。

J-POPに興味が薄く、どちらかと言えば洋楽派の私は、曲が終わるごとに、親近感が増してきます。

KANがどんな人で、どんな音楽を聴いてきたのか知りたくなり、プロフィールを、本やネットで調べてみることに。

KAN(本名:木村和:きむら かん)は、1962年、ビートルズがレコードデビューした年に生まれる。福岡県福岡市出身。

幼少の頃から中学生まで、クラシックピアノを学んでいたおぼっちゃまだったが、中高時代から、友人とバンドを結成。ビートルズやビリー・ジョエル、スティービー・ワンダー等々の洋楽に夢中に。

大学進学後は、バンドとバイトに明け暮れ、バイト先のディスコやパブ、レストランで、デュラン・デュランやカルチャー・クラブ、ワム! 等々最新の洋楽を浴び続けながら、日本のヒット曲もチェック、の音楽漬けの毎日。

いくつかのアマチュアバンドコンテストに出場した後、レコード会社の目にとまり、1987年に「KAN」としてデビュー。

1991年に「愛は勝つ」でレコード大賞を受賞した後も、年1~2枚のハイペースなアルバム制作、毎年のコンサートツアーと、10年以上走り続ける。
多忙な活動ペースに疑問を持ち、2002年~2004年活動休止。
その間、パリに移住。音楽院でクラシックピアノを学ぶ。

2005年コンサートツアー再開。その後は、自分のペースを守りつつ、コンサートツアー、アルバム制作を精力的に行う。
新旧様々なアーティストと共演、多くのコンサートをプロデュース。
共演者は、山崎まさよし、桜井和寿、aiko、平井堅、スターダストレビュー、トータス松本、キマグレン、スキマスイッチ、秦基博等々。

2023年に病気治療のため、活動休止。
2023年11月に、天国に移住。

KANの音楽のルーツは、1960年代~1990年代の洋楽だったのですね。

ファンのみなさんには周知のことでしょうが、私のようにKAN=J-POP≠洋楽と固定観念をもった人間からは「目からウロコ」なのでした。  

でも、考えてみれば当然のこと。KANは私より5歳年上で、ほぼ同世代。
私たちの幼少期から青春期は、インターネットで世界が繋がっている今とは異なり、世界は広くて遠く、外国のモノや文化は、憧れの対象でした。

音楽も、邦楽より洋楽の方が断然カッコいいと思っていた若者も多かった。

田舎の女子中学生だった私も、ラジカセから流れる、歌詞もわからない洋楽を聴きつつ、広い世界に思いを馳せ、いつかは外国へ、と夢見ていました。

まだ日本を出たことはないけど
夢はもちろんロックミュージシャン

23歳/KAN作詞・作曲

KANも同じように夢見ていたのでしょう。憧れのアーティストのような曲を作って、ロックミュージシャンになりたいという、若き頃の気持ちが現われている歌詞がありました。

「愛は勝つ」は、ビリー・ジョエルの「Uptown Girl」みたいな曲が作りたくて、作った曲とか。尊敬しているアーティストの音楽を、独自の感性でアレンジして、自分の音楽を生み出したKAN。

影響を受けた音楽がいっぱいに詰まった彼の音楽の泉は、いくつになっても、枯渇することなく、素晴らしい曲を作り続けていたのです。

KANの魅力は曲作り、だけではありません。
「愛と恋心とユニークさがいっぱいの、心にすーっと入る歌詞」は、聴く人の心を元気に、かつ愛でいっぱいにしてくれます。 

恋する少年の如く、永遠の思春期のおじさんの歌は、思わずツッコミを入れたくなったり、クスッと笑ってしまったり。
一方では、客観的に俯瞰しつつ、自分の思いを肯定も否定もしない、ストレートな思いがこもった歌詞は、心に響きます。

自分の体験や思いを、誰もが共感できるやさしい言葉で表現した歌詞は、多くの人々の心を掴み、KANを人生の先輩・師とする熱烈なファンが、数多く存在することを知りました。また、後のJ-POPアーティストたちへも、多大な影響を与えています。

そして知られざる魅力は、ファンの心を鷲掴みにする「ファンも自分も楽しむ」エンターテイナーとしての才能。

音楽作りと同様、自分の理想を追求し、決して妥協せず、納得いくまでステージを作り上げ、共演アーティストにもコスプレやコントをやんわり強要。

私と同じく、亡くなった後にKANを知ってファンになる人も多いでしょう。急逝されたことが、とてもとても残念ですが、友人のメールのおかげで、KANの音楽を知ることができて感謝、です。

KANの音楽を時々、聴いたり、口ずさんだりして、くよくよ悩まずに、人生を楽しんで行こう、と思うのでした。

そのうち、友人親子と「よければ一緒に」をいっしょに歌ってみよう。
「よければ一緒に、その方が楽しい」ですよね!

♬  ♬  ♬

最後まで、おつきあいいただき、ありがとうございました。
また、お会いしましょう。やんそんさんでした。

♬ おまけ:アルバム「23歳」の私的ライナーノーツ

1曲目:「1.2.3~」のかけ声から始まる「る~る~る~」は、KANの原点であるビートルズ、それも初期、メンバーが発情期の青年だった頃になりきって作ったであろう作品。恋する男の子の心を持ったおじさんの歌に、思わずニンマリしてしまいます。

2曲目:AORの雰囲気が感じられる「23歳」は、スティーヴィー・ワンダーを意識して作った曲とか。「スティービーってどんな曲だった?」と聴いているうちに、スティービーにもハマってしまいました。
KANが、がむしゃらに音楽と葛藤していた、23歳の頃は、ディスコやイタめしと、バブル全盛期。あの頃、自分も夢と希望にあふれていたなぁ、思わず人生を振り返ってしまいます。

3曲目:「ふたり」は、ほのぼの、あったか、あるある、の歌。
この曲を聴いた後は、いつもそばにいてくれるあの人が、とても愛おしく思えてきます。

4曲目:「君のマスクをはずしたい」
KANのロック仲間、TRICERATOPSが参加。コロナ禍の元気をなくした人々の鬱憤を吹き飛ばすような、爽快なロックナンバー。
これはボン・ジョヴィの「BAD MEDICINE」だ! と叫んだあなたは、私と同じ中高年?

5曲目:「キセキ」は、人と人が、めぐりめぐって出会うことの奇跡を歌った美しいバラード。
秦基博の「カサナル」と同時再生録音した「カサナルキセキ」は、KAN発案の2つの異なるメロディが同時進行するスタイル。バッハに代表される「ポリフォニー様式」のよう。KANの音楽性の深さを感じます。

6曲目:「メモトキレナガール」は、KANがリスペクトする中田ヤスタカを思わせるデジタルポップ。目もと切れ長女の子って、きゃりーぱみゅぱみゅのこと?

7曲目:「コタツ」は、”ワンルームマンション”ではなく、”6畳一間+台所+便所+風呂つきアパート”のイメージ。スマホどころか、携帯もポケベルもなくて、駅の伝言板で連絡し合っていた昔を思い出します。

8曲目:「ほっぺたにオリオン」は、シンプルで洗練されたスウィング・ジャズ。おしゃれなコーラスは、KANの声だけの多重録音。
そして、おしゃれなイタリアン、スイーツの名称がたくさん出てくる歌詞は、おしゃれすぎる。粋でおしゃれな男、それがKANなのです。

9曲目:「ポップミュージック」は、KAN風のジャパニーズ・ディスコミュージック。KANの人生の代名詞といえる「ポップ・ミュージック」への思いを、ユニークかつちよっぴりせつない歌詞で綴っています。

10曲目:「エキストラ」。KANの歌は、殆どが実体験によるもの。
かなわない恋を重ねれば、重ねるほど、人は詩人になり、音楽家になり、広く、あたたかい心を持てるのかも。

♬KAN自身が、アルバム「23歳」について語っているインタビュー記事。

♬参考書籍


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