見出し画像

海の向こうで怯える人。


最近、アメリカ人の友人ができた。
と言ってもTwitterでDMをやりとりするだけなので、まあ客観的に見たら相互フォローというだけの関係なのだが、
彼は「自分たちは友達だな!」と言ってくれているので、友達だと思っているし漫画を描く仲間だ。

彼と知り合ったきっかけは、最近日本の漫画やアニメが海外から様々な形で露骨なリジェクトや圧力を受けている事件だった。

自国内で人種差別や移民差別を大っぴらにはやりにくいご時世である。
社会的不安の捌け口として、英語力に劣り海を隔てている日本人(そして日本の漫画文化を好む人間)なら反撃してこないだろうと踏んでの差別ではないかと正直自分は疑っている。

海外から日本のコンテンツが批判される際、ほぼもれなく「未成年者に見える」という理由でバッシングや排斥がなされる。
だが、特にPatreonの事例を見てもらえばわかるが、「未成年者に見える」とはあくまで建前で、実際に彼らが批判し攻撃の対象としているのは「日本アニメに特有の表現手法」そのものだ。

「大きな瞳、小さな鼻、短い手足でカラフルな髪色」これらの日本アニメに特有の絵柄を「未成年に見える」とリジェクトした一方で、アメコミ風やアカデミックなタッチの未成年に見える作品はお咎めなしだった…というのが実態だ。

「未成年に見える」を理由とした児童ポルノ認定の危険性

まず第一に、成人が出演した合法なポルノであっても、出演者の身体的特徴如何によっては逮捕拘束される事態が起こりうるという点。
これは児童ポルノの単純所持規制を行う以上、どうあってもついて回る問題だ。なんせ被害者の親告なしで逮捕や処罰ができるのだから、こういう事態が起こるのだ。

人間の外見から年齢を推測するタナー法による未成年判定の不確かさについては以下のような判例がある。

タナー法による分類に基づく年齢の判定は,あくまで統計的数字による判定であって,全くの例外を許さないものとは解されない。その統計的数字も,例えば,現在のDNA型鑑定に比すればその正確さは及ばない。身長や肌の艶,顔つき,あるいは手の平のレントゲン写真などといった判断資料は一切捨象して,胸部及び陰毛のみに限定して判断するタナー法の分類に基づく年齢の判定は,あくまで,18歳未満の児童であるか否かを判断する際の間接事実ないし判断資料の一つとみるべきである。

しかしそれでも生身の人間が出演するポルノであるならば、不当に逮捕立件されたとしても、出演者本人に「撮影当時、自分は成人であった」と証言してもらうことが可能である。

問題は、「未成年に見える絵」の場合だ。

「非実在児童=イラスト・漫画」は児童ポルノたり得ない

これを何度も説明せねばならない相手が多くて非常に頭が痛いのだが、
児童ポルノとは「児童の売買等に関する児童の権利条約選択議定書第二条(c)」において以下のように定義されている。

現実の若しくは擬似のあからさまな性的な行為を行う児童のあらゆる表現(手段のいかんを問わない。)又は主として性的な目的のための児童の身体の性的な部位のあらゆる表現

「擬似の」という部分が「児童」にかかるのか「性的な行為」にかかるのか、この文では判別不可能だと読み取る人もいるであろうが、その点に関しては、我が国の内閣は以下のように答弁している。

同条(c)に規定される「児童」は、実在する児童であると解され、同条(c)に定義される「児童ポルノ」には、およそ実在しない児童を描写したものは含まれないと解される

つまり「擬似の」とは「性的な行為」にかかる修飾語であり、解釈の余地があるのは「児童」が何を指すかという点のみである。
そして本邦においてはそれは「実在の児童」に限られる。

また、カナダやイギリスなどをはじめとした他国において、絵や漫画などの創作物が児童ポルノと混同され処罰を受けることに対して、本邦はそれらを「準児童ポルノ(みなしポルノ)」としてはっきり区別し、慎重な立場をとっていることも忘れてはいけない。

「未成年者に見える」と「非実在児童」が合わされば気に入らない人間は誰でも犯罪者として陥れられる

そしてまた、忘れてはならないのが、
日本の多くの漫画を翻訳してきたシーモン・ルンドストローム氏が自身の漫画コレクションを児童ポルノの証拠として押収、逮捕された事件だ。

取り調べによって性的虐待では無罪となったが、調査のためパソコンが押収され、そこにエロ漫画などのダウンロード画像があったことで、児童ポルノ所持で起訴された。約300枚の画像のうち、警察は描かれた女性キャラクターの胸の大きさに着目し、胸の小さな女性キャラクターを「児童」であると判断し、51枚を「児童ポルノ」とした[5]。ほとんどはアマチュアの作品だったが、中にはアニメ化もされ、スウェーデンでも販売されている人気シリーズ漫画『ラブひな(翻訳名:Love Hina)』の表紙画像も含まれていた[8][9]


この事件は、そもそもが親権をめぐる争いから妻に児童虐待の冤罪で通報された漫画翻訳家が、自身の仕事道具である漫画のコレクションを理由に逮捕拘束され、非実在児童のイラストを理由に裁判にまでかけられ最高裁まで争った事件である。

引用太字部分で、先ほど「あくまで統計的数字による判定であって,全くの例外を許さないものとは解されない」と日本の判例を紹介したタナー法で児童ポルノだと警察が断定している。

これだけでも十分恐ろしい話だが、
押収されたデータの中にあった児童ポルノとされる作品のなかに、日本のメジャー少年誌で連載されていた全年齢向けラブコメ作品「ラブひな」が混ざっていることにも注意したい。

つまり海外においては、幼く見える少女の絵が描かれた日本の漫画というだけで、児童ポルノと判断され拘束される可能性があるのだ。
大袈裟でなく、表現の卑猥さやその露骨さの度合いは関係がない。
(該当するラブひなの表紙は、ロングワンピースで水遊びをする健康的と言って差し支えのないイラストである)
日本の漫画・アニメ絵の特徴そのものが「未成年に見える」として無条件に攻撃のターゲットにされうるわけだ。

ちなみに海外では押井守版攻殻機動隊の主役、草薙素子が「少女」と表現されて紹介されたことさえある。

このキャラデザが「少女」とみなされる文化圏による「児童ポルノ」認定を相手に、日本人アーティストの安全圏など無いと思った方がいい。

話がそれたが、この時のスウェーデンの最高裁は
「当該の絵に関しては、実際の暴行を描いている内容ではないという事は明らかである」
「漫画絵は日本の文化に深く定着しており、その背景を鑑み言論の自由及び情報の自由を可能な限り重視する理由がある」
などの理由から、無罪判決をくだした。
しかし、被告であるルンドストローム氏が支払った犠牲はあまりに大きく、このような不当な逮捕や裁判が続くことは、すなわち日本の文化を好む親日外国人への弾圧と攻撃になりうる。

ルンドストローム氏の言葉もここに紹介する。

シーモン・ルンドストロームは、漫画を読んで感動する大人が少ないため、漫画は文学だという考えがなく、規制してもいいと思う人が多いと述べた。スウェーデンの若者向け小説には、13~14歳同士が性行為をするシーンは珍しくないが、小説は聖域とされ規制はされない。しかし漫画は普及してないため、規制してもどうでもいいと思われているとした[4]。来日時には、うぐいすリボン代表の荻野幸太郎に、「もし伝統的な油絵のような芸術作品なら摘発はなかっただろう。一部の人々は性表現の有無に関係なく、漫画・アニメやその読者を気持ち悪いと嫌っている。ゲイの人々への嫌悪と同じようにだ」と述べた[10][40][41][42]。
(Wikipedia「スウェーデン漫画判決#シーモン・ルンドストロームの主張」)

欧米のOTAKUは日本のおたく以上のマイノリティ

あなたは「ゲイ」という言葉をどういう風にとらえるだろう。
単に性指向を指す単語として、当事者として、もしくは知人や友人、あるいはフォビアの対象としている人もいるかもしれない。

欧米ではいまだに「ゲイ」というのは揶揄の言葉としての側面が強い。

日本人からすると、本当にびっくりするようなものを
「ゲイっぽい」「おまえゲイか?」とあげつらってバカにしてくるという。
例えばトートバッグを肩に掛けた男性、
紫色を身に付けた人(身に付けているだけで、である)、
同性のアイドルやボディビルダーが好きな人などは、下手をすると彼らの写ったポスターが見つかれば親から殴られる時代さえあったという。

そして何より、日本文化の愛好者も欧米のマジョリティの間では「ゲイ」だ。

少し前にアメリカ国籍の女性が、日本の漫画とそこから派生したロリコンショタコン文化に対して非常に差別的なツイートを行った。
(まあ例に漏れず、上述の児童ポルノとイラストや漫画を混同するような人間の亜種にすぎないので、改めてまたここに書き記しはしないが)
それに対して批判的リプライをぶら下げておいたところ、海外ユーザーと思われるアカウント(当該のアメリカ人女性ではない)からDMがきた。

たった一言「okama」と。

彼らの文化圏における特上の侮辱なのであろう「ゲイ」をわざわざ日本語にして送ってくれたのだろう。

しかし、残念ながら私はオネエと呼ばれる人も、オネエを仕事としてこなす人も、またオネエではない同性愛者や単に異性装を好むだけの人、更にはトランスセクシャルやただ単に女性的な仕草が板についているだけの人、
いずれの属性についても自分より社会的地位が下と思っていないし(むしろ自分よりよほど自立自活している人がいて個人対個人としては羨ましい時さえある)

また、それらのいずれも全て別物と認識して混同していないので、
この単純極まりない一語が罵倒として機能してしまっている彼の文化圏に本気で哀れみを覚えた。

もしも私が男性だったとしても、おそらく心境は丸切り同じだったろう。
なんて単純で粗雑な価値観か。
こんなものに脅され、ときに密告のような真似をされ、海の向こうの同好の士たちは怯えたり苦しんだりしているのか、と。

虐げられている側の OTAKUたちより、この言葉がぽんと出てくる側の人間が哀れでしかたない。
キリストも、聖書も、彼らの精神に何ら救済を与えていないのか。
手足に杭を打たれて磔にされるまで「律法を尊ぶあまりに人を蔑ろにするな」と説いた男は結局無駄死にか。
神の愛もキリストの贖いも、空中で霧散して人間には一切届いていないと、これで本当によくわかった。

私はただ海の向こうで怯える仲間のことだけを憂う

今、コロナウイルスの感染拡大で世界中が不安と混乱のなかにいる。
アジア人への差別が横行している国も多いと聞く。
これにともなって、日本人と日本文化をターゲットとした差別は今後ますます厳しくなる可能性がある。

現在のポリティカルコレクトネスや反差別という思想は、
人種や民族、性別(性指向)で寄り固まるマイノリティに対しては優しいが、
趣味や嗜好を頼りに互いを鼓舞したり癒したりしているコミュニティには非常に辛辣だ。
ポリコレで守りたくない属性に対しては、「それは性指向ではなく性嗜好だろう」と言葉遊びのようなことまでする。

まさか国単位でのナショナリズムが時代遅れ扱いをうける代わりに、自分たちの肉体的特徴や性的特徴で寄り集まる部族間闘争みたいな様相になるとは正直思わなかった。

今流行のポリコレの傾向からしたら、日本の漫画やアニメを愛好することで繋がる人間たちが不利な立場であることは疑いようがない。
しかしそれでも人種や性別ではなく、趣味嗜好と文化を同じくする(同じくしたいと願って集まる)者たちと結束したい。
海の向こうで弾圧や迫害の恐怖をヒリヒリと感じているであろう人に、どうにか手を差し伸べたい。

これは単なる人種や国籍による差別ではなく、日本の漫画文化を愛する人までも巻き込んだもっと大きな差別だ。

一部の英語話者アカウントは、Twitter上の一部の日本人の一方的なツイートを英訳して拡散し、「日本人女性の性差別解消のためにも日本の漫画やコンテンツをリジェクトし違法にすべきだ」と持論を展開している。

それらの攻撃を主に受けているのは海の向こうのOTAKUであり、そのうちの一人は私の友人だ。
「日本人女性としてどう思う?」と彼に訊かれたときの、心境はもはやどう説明して良いかわからない。
彼は日本風の漫画を描く。彼の夢は漫画家だ。
そして彼がその夢を自国内の誰かに語るとき、きっと彼は私がそうする時よりも遥かに大きな勇気を必要として生きている。

私は正直無力に近い。
しかし、ただ一つ幸運なのは私が無性愛者自認のセクシャルマイノリティで、体は女性で、非定型発達で、田舎の閉塞的な環境の中で適応障害を起こしてきた人間だということと、
そんな自分が唯一生きる希望にしたのは「けいおん!」や「ガルパン」という(広義の)萌えアニメで、どん底からなんとか這い上がったのは萌えやエロも含めたイラストが描けるからだった、というこの事実だ。

何度でもいう。必要とあれば英語でも言う。

私はこの国の、性も死も混沌としたあらゆるコンテンツのおかげで、自身のストレートと言い難い性指向と向き合えたし、マイノリティの多様性を知る多くの機会に恵まれてきた。
志村けんも京都アニメーションも私の血肉になっているし、生業とするイラスト講師の術に必要な知見を与えてくれたのは、優れた技巧で描かれた同人誌やエロ漫画の絵だった。

私は日本人女性です。
貧しいが自立しようと必死にもがく日本人女性です。
私や、私と同じように孤独に戦って自力救済につとめる仲間たちから表現の自由や知る権利を奪わないでほしい。


サポートくれた方、本当にありがとうございます。 絵の資料とかうまい棒を買います。