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【愛の行いとは何だろう】

愛の行いをしましょう。

一愛をしましょう。

あなたの中の愛を使いましょう。

そんな投稿読んだり、愛を使おうと聞くとね、えっ自分にできるかな。。と少し怖気づいたり気が張ってしまい、何か体を張って大きなことをしないといけないのかと思ってしまいますね。

少なくとも私はそう思っていました。

ずっと長い間、愛とはなんぞやと思い、愛の行いをしては、反省する事もあったりしてずっと愛とは何だろうと今でも自分に問いかけ、考え続けています。


そこで今回は、自分が起きた出来事の経験を交えて皆さんに自分ならどうするか考えて頂きたく質問してみますね。



・目の前で知らない人が車にひかれそうです。貴方ならどうしますか?


‥………………………………………………………………


これはその時にならないと、わからない事が多いでしょうね。


もしかすると怖気付いてしまったり、腰が抜けて動けないかもしれません。
助ける事で自分の命も失う可能性もありますからね。

だからといって放っておく事はできないでしょう?

愛の行いとは瞬間的な事であり、とっさに心がこうしようと思う事なのかもしれません。

先日仕事帰り運転中の事。その日はとても疲れていて、なるべく早く家に帰りたいって思っていると、反対車線に小さな雛鳥が道路にうずくまっていました。

運転席の人は小鳥の雛に気づいていません。
車にひかれちゃう!もうダメだと思っていると、雛鳥は無事でした。

その瞬間、「早くこの子を助けないと」という気持ちが生まれ、車を近くの駐車場に停めて、走ってくる向かい車線の車に止まってもらい、その雛鳥の所までいき手を差しのべると、近くの木までパタパタと飛んでいきました。

雛鳥は飛べたのです。

ホッと胸を撫で下ろし、止まってくれた車の運転手さんにも手を上げて、感謝を伝えました。

そんなふうにね、やっぱり愛とは瞬間的な心。心のまま、かつ冷静に行うことだと実体験でも感じました。



さて、もう一つ例題を出しますね。



・あなたの目の前の人がお金を恵んで欲しいと手を出してきます。困っているようです。あなたは手助けしますか?


‥………………………………………………………………


これも悩みますよね。
自分が毎日汗水流して働いて稼いだお金です。
ただ困っているのではなく、働くことが嫌いな人で、詐欺師かもしれません。もしくは同情をかってもらいたい人だったり、誰かから遣わされた可哀想な子供かもしれません。

その人の家庭環境や、まだ働けるのかどうかなど、相手の身体や表情やボディーランゲージから瞬間的に相手を見抜く目も必要になりますね。

これは私も実体験があり、何度も小銭を渡した経験があります。

あるいは、「ごめんなさいね。今、手元にないの。」と断わらないと場所によっては次から次と集ってくるかもしれません。

でもね、考えてみてほしいのはこんな環境の人もいるんだなとハッと気づくんです。

私ももしかしたら同じような境遇になっていたのかもしれない。。と慈悲の気持ちも出てきますよね。

ただ与えるといった、お金をただ渡すだけが愛ではないですよね。

もちろん、あなたの小さな手助けは相手の瞬間的な安心にはなるでしょう。

愛の行いとは、その人が正しい道を歩めるようにする事。

生活保護を申請する方法であったり、働き口を紹介してあげたり、ホームレス支援団体へ連れてってあげたり、過ちを犯す前に引き止めることだったり、もしくは、ただちょっとした心の拠り所を必要としていたり、ただ話を聞いて欲しいだけかもしれませんし、心を打ち明けれるような友達が欲しいだけかもしれません。

こうして、分かってくるのは自分を含めて、人はみんな不完全だという事。

人は皆迷ったりもしますし、心も揺れる人もいるでしょうし、間違いも起こす人もいます。

依存してしまう事だったり、人には言えない情けない所もあったり、人には弱い部分ってあるんです。

そんな弱い部分を持つ目の前の人を、批判したり、否定できますか?

その人の人生が自分の人生だったらどうでしょうか?

この辛い人生から逃げ出したり、もう死んでしまいたい。って思うかもしれませんよね。でもね、その人は生きているんです。

ここまでよく生きてこれたね。頑張ったね。
大変だったね。と賞賛すべきことだと思いませんか?

誰かが辛い時、悲しんでいる時はね、相手の気持ちを理解しようと強く感心を持ち、辛抱強く優しい言葉をかけることであったり、相手をホッとさせること。

『愛とは、自制心であり、一点に集中する事であり、忍耐であり、相手に関心を持ち続ける事。あなたの中にある温かい気持ちを表す行為。』とドイツの精神学者エーリッヒ・フロムさんのお話から深く納得したことがあります。

あの時のあれは、お節介だったかなって思う事もありますよ。
その人の心の状態にもよりますが、その時は優しい言葉でさえも受け入れてもらえないかもしれません。

受け入れてもらえない時は、救ってあげたい衝動を抑えてそっとして見守ってあげることも相手にとっては有り難いこともありますね。

誰かの為に動いたり、優しい言葉をかけるとね、笑顔が返ってきたり、有り難うという言葉が返ってくるのです。

そしたら、あぁ間違ってなかったんだ。。
やって良かったと思うのですね。

日々、生活しながらニュースを読んだり、ドキュメンタリーで悲しいことや、辛いニュースを読みますね。

愛を使うとは、どこかに募金をしたり、誰かの命を助けたり、貧困を助けたりすることだと思ってしまいました。

そう、それも愛。

でもね、みんなみんなが聖人でもないですし、人間ですから、生きていく為にはお金も必要ですし、毎日できることではありませんね。

では毎日できる愛とは何か?
余裕の心で誰かに優しくしてあげること。
自分を犠牲にしない、余った野菜や果物などを「もしよければどうぞ」というようなお裾分けの行いです。

挨拶もそうですね。
近所の人に、職場の人に、明るく微笑みながら「おはようございます」って話しかけると、あぁこの人ステキだなぁって思いませんか?

仕事場で疲れてる人にも、「最近どうしてる?」悩みを聞いて、できるだけ手伝うからね、今日も頑張ろうねと励ます。

やっぱり気にかけてもらうことで、相手は嬉しくなるでしょう?

え?こんなことが?ということが小さな愛の行いになっているのかなぁと思うのです。

そしてね、この小さな事で世界が変えれないなんて思いますよね。

変えれるんですよ!

でも、どうしたら変わるのかも分かりませんよね。

だって今までやっぱり変わってこなかったんですから。。

でもね、できないことをすることを人類はやり続けてきたでしょう?

良いも悪いもありますが、成長し続けてきたから今の世界があるんです。

今現実がそうでなくても、あなただけはねご機嫌で、みんなの笑顔が溢れる世界を想像すること。

それがあなたのユートピアに繋がり、希望を持ち続けるという事なんです。

例えそれが微力でも世界を自分が変えなくても、自分以外の誰かがあなたの愛の行いを見て感化してくれ、同じように、もしくはそれ以上やってくれるかもしれませんよね。

ゴミ拾いもそうですね。

最近は嬉しいことに、福拾いや夢拾い、運拾いと呼ぶ人も増えてきましたね。

実はね、私は最初ゴミ拾いが本当に苦手でした。

第一に触りたくないです。人の目も気になります。

汚い物を触っている人だと思われたくなかったんです。

自分が落としたものでもないですし、誰が落としたのかもわからないですからね。

最初はやっぱり躊躇しましたよ。
何で自分がしないといけないんだろう。と何度も嫌だ嫌だと思いながら拾っていました。

置いてった人に、落とした人に、怒りさえ湧いていました。

そしてね、ある日やっぱり嫌だなぁと思いながらゴミを拾おうと思っていました。

そこへ小さな鳥が食べ物をつつきにきていてハッと気づいたんです。

そうか、、ただ汚した人の尻拭いの為だけではなく、散歩している犬や猫が変なものを食べないため。そこで生活している鳥達のため。みんなが住んでいる地球の環境のために拾っているんだなぁと。

それからは、だんだんゴミ拾いが少しずつ楽しくなってきました。

やっぱり勇気がいったり、やりたくないって思う日もありますよ。

心がモヤモヤする日もありました。
今でも、ゴミはなければないだけ嬉しいって思います。

でもね、心境がただただ今生きている地球が少しでも綺麗になるならこの体を使わせて頂こうという気持ちになってきたのです。

だから誰でも最初からゴミ拾いが好きな人はいないのではないだろうか?と思うわけですね。

コツコツ自分がやっていることを夫や子供達に見せていると、自分の知らない所でみんなも少しでもゴミを拾いを意識し始めてくれています。

今やらなくてもね、頭の隅にそういやお母さんは拾っていたよなぁ、、と思い出してくれるでしょうね。一緒に散歩するとたまに手伝ってくれるので、あぁ嬉しいなぁと感じています。

愛の行いは誰にでもできます。

私ができるならね、あなたもできますよ。

だからね、やりましょう。

小さなことから、コツコツと。

チリも積もれば山となるっていうでしょう?

細く長く続けることです。

あ〜今日もできなかったと失敗しても大丈夫!
ちゃんと次のチャンスがありますからね。

人ってね、心の奥底である深層心理では皆が誰かの役に立ちたい!誰かを笑顔にしたい!って思っています。

誰かを思う温かな愛の気持ち。

優しい気持ちからする行い。

そんな暖かな灯火は、みんなみんなにあるのです。

そう、あなたは愛のロウソク。

だから失敗してもね、火が消えてなくなりそうでも、必ず次があると信じてね。

愛の炎を燃やし続けましょう。

その情熱の灯火は、きっときっといつか誰かに伝わります。

そしていつか、あなたの愛の灯火が誰かの心にポッと灯りますように。。🕯️❤️


※これはモシエルさんの1月広報コンテストで入選した作品です。今回のテーマは「愛の行い」です。

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★一日一愛運動
一日に一度は愛の行いをしましょう。みんなといっしょにあなたの優しい愛を形に表して社会を明るくしましょう。

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