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光はここに⑤

光はここに ー その5

 人間、神の子ということばがあります。宗教などに見向きもしない人には意味がわからないと思いますが、これは真実のことばです。なぜなら、生命とはエネルギー存在であり、元なる意識体のエネルギーが無数に分散したものだからです。

 元なる意識体を神と呼ぶなら、神の子というのはその通りです。しかし、この世の私たちに必要なことは神の子が真実であるか否かを研究することではありません。記憶を白紙にして、生まれてきた私たちなら、わからなくて当然です。

 分からないままに生きる人生は手探りになるのは当たり前です。迷って当然、間違えても仕方がないのですが、問題は何を押さえなければならないかということなのです。人生というものが永遠の生命が進化を目指して生まれてきた試行であるとすれば、何をもって合格とするのでしょうか。

 それは、生命というものの本質に基づいて生きることができたかということなのです。生命の本質とは、神の子です。光り輝く神の子なのですから、この性質の一端を表現した人生であったかどうかということです。

 難しいことはいらないのです。神の無限にある素晴らしい属性の一部を発揮して生きられたかということです。ポジティブ、勇気、英知、優しさ、優雅など数え上げればキリがないほどあります。そのうちの私はこれを表現してきましたと言えれば合格なのです。

 人間は神の子ではありますが神さまではないので間違いを犯す存在です。イエス様の時代でも、ペテロは弟子であったにもかかわらず、三度も自分は弟子ではないと言ったのです。それはイエス様が捕まってしまい処刑されるからです。

 自分も同じように捕まり処刑されては困るので嘘をついたわけですが、それをどれほど彼は後悔したことでしょうか。そしてイエス様が処刑された後に復活されて、彼を含めた弟子たちはイエス様の教えを強く胸に刻み必死の伝道が始まったのです。

 そして、今でも世界に数億を超える信者を有する教えとして残っています。このように、ペテロの弱さ、強さの両方が出ています。人間とはそういうものなのです。強くも弱くも、ポジティブにも、ネガティブにもなるのです。

 問題は、トータルで見た時に神の属性を表現したかということです。間違えても仕方ないし、迷っても仕方ないのです。それでも神のように輝く瞬間を表現したのかどうかという問題なのです。それを目指して生まれてきているのですよ。

 聖人になる必要はありません。間違えても反省すれば良いのです。道を間違えたら戻ってやり直せば良いのです。いくらでもやり直せるし、いつでも変われるのです。それが神の子である証拠なのです。

 永遠の生命という福音を無駄にしないように、神の子として自分だけのオリジナルな人生をより豊かに生きることです。それは、たった今からでもやり直せることなのですから。

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