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不採用という言葉のおもみ

小さい頃から本気の受験はしてこなかった。

本気の受験。すなわち、受かるか落ちるかの瀬戸際である数センチの勝負のことだ。

高校はスポーツ推薦で、大学は指定校推薦で逃げに逃げてきた僕である。

本気の勝負をしたことは、教員採用試験くらいであろうか。一次の学力試験に通過して、二次の面接で落ちた。

「お前は教員になる資格の無い、人間性終わってるやつです」って言われた気がしてとても悲しんだ。

「学力が達してないですね〜」と言われる方がまだマシである。

そして1回目の転職時も、面接を行なってくれた1社にそのまま受かり、お世話になった。

大きく「落ちた」という経験は、あの時の教育試験くらいではなかろうか。


今、転職活動をしている。

めちゃ落ちることになった。

書類で落ちるのはしょうがない。

「この学歴ではね、ちょっとうちではね〜」

これはしょうがない。

問題は最終面接で落とされることだ。

「君はこの会社に向いてないね。うん、人間性的に魅力を感じない…社会人として終わってるね、価値なんてないじゃないか」と言われている気がする。

首根っこ掴まれて、外に放り出されたのだ。

放心状態になるしかなかった。

考えすぎであるが、変な妄想は捗るばかりである。

自分の価値は、自分で保とう。

社会の厳しさに触れていこう。

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