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一昨日、PMスクールの講義後の検討会を行なっている最中に、高齢者アパートのケアマネさんから私の携帯に着信があった。

父が、浴室で転んだとの事。

今、病院にいるとの事。

何事かと思い、聞いてみると、額のところを1.5cmくらい切った様で、血が止まらなかったそうだ。

もともと父は、心臓に異常があり、高血圧と心臓の弁の異常もあり、血液サラサラの薬を飲んでいるのでそれは仕方ないとしても、頭を打った可能性があり、心配なので、頭の検査をしてもらっていますとの事だった。

実は、その前の日も浴室で転んだとの事なので、連続2日はどうしたのだろうかと心配していた。

父は、自宅では、薪を切ったり、手を使うことを常にしていたが、高齢者アパートに入り、手を使うことはめっきりと減ってきいる。

そんな事が、もしかしたら影響しているのかも知れないなと思うのだが、そうは言っても88歳を迎えていることもあり、仕方ないのかもしれないなとも思う。

父は兄妹が多く、8人くらいいたそうだ。(正確な人数は知らない。)

生まれてすぐに亡くなった子もいるし、最近亡くなった妹さん、弟さんもおり、残った兄妹は、3人になっている。

一人は、体調が悪くほとんど寝ている事が多く、弟さんも心臓の手をしていたりと、年齢には勝てない状況が見えて来ている。

そう考えると、あとどのくらい父に会えるのだろうかと思う事がある。

私は一人っ子だったが、東京の会社に就職するのを許してくれ、36年も今の会社で仕事を続ける事ができた。

これも、父、母が働いてくれ、大学まで行かせてくれたおかげだと思っている。

私が父、母から受けた恩を、二人に返すことは、出来ないと思っている。

母からは、親切を受けたら、それを、他の人に自分がしていきなさい。

私たちのことは気にしなくても良いからと常に言われていた。

一杯のお茶でも、人は幸せを感じるものだよ。

人には、親切にしないとね。 と。

母の教えは、私のベースになっている。

父は、何も語らない人でした。

小さい頃は、怖い人だと思っていました。

でも、先日、父の子供の頃を知る人に出会い、父は本当に面白いことを常に言う人だったと話してくれました。

私は、どれだけ、父の事を知っているのだろうかと、その時初めて思ったのです。

父は、子供の頃から、長男は家を継ぐのだと言われ、育てられました。

祖父はとても厳しい人で、怒るとものすごく怒るので、父はさぞかし嫌だったろうと思うのです。

そんな父は、私のことを怒ったことは、ほとんどありません。

口下手な父に見えていましたが、息子の私との距離感が分からなかったのかもしれないなと思います。

私は、子供の頃は、本当に面倒くさい子供だったと、我ながら思います。

大人になるまで、周りの人は、皆信用できない存在だと思って生きて来ました。

そんな私だったので、父も手を焼いていたのかもしれないなとも思います。

父と会える回数、時間は、後どれくらいなのだろうかと思う事があります。

今は、会う時に、昔の話を聞くようにしています。

父の子供の頃、何を思って生きて来たのか、などなど。

毎回、知らないことばかり話してくれます。

耳が遠いので、なかなか会話が難しいですが、こらからも、父と時間の許す限り、話して行きたいと思います。

ちょっと、前から思っていた事を、書いてみました。

今日も、皆様にとって、良い日であります様に。(^^)

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