見出し画像

「自分の人生は自分で変えられる!」親の離婚を経験した辻さんからのメッセージ

親の離婚を経験して大人になった人たちからの、子どもたちへのメッセージ。 第6回目の今日は、辻朱穂さんにインタビューしました。

辻朱穂さんプロフ画

ウィーズ(以下、ウ):まずは、ご両親が離婚されたときの状況を教えていただけますか?

辻さん(以下、辻):私は親の離婚を2回経験していて、最初は1歳のときでした。父と母は初婚同士で結婚したと思っていたのですが、私が生まれて2、3ヶ月後に母が「実はバツイチでこどもがいて、2人の男の子がいる」ということを父に告白したそうなのです。そこから、母が子ども2人を父のところに連れてきて、ある日突然、父、母、私、2人の男の子という5人での生活がはじまりました。

当時20代前半で若かった父にとっては、お互いに初婚同士だと思っていたのに小学生の男の子が突然家族に加わっての生活が始まり、経済的に5人家族を支えることも難しく、この暮らしは半年ほどしか続きませんでした。

私がまだ乳幼児であったため、父は自分の母を頼りに別居し、その後は父、父方の母、私という3人での生活が始まりました。完全に離婚が成立したのは私が1歳の時のようですが、これらはすべて記憶のない頃の話なので後から聞いた話です。

次の結婚は私が2歳半の頃、初婚の女性と父が再婚しました。私は2歳半だったので、このとき父が再婚した人(継母)を自分のほんとうのお母さんと思って育ちました。私が6歳のときに弟ができてからは、父、継母、私、弟、祖母の5人での暮らしが続きました。その後、私が13歳の時のときに継母が家を出ていく形で離婚が成立してからは、父、私、弟、祖母の4人で暮らすことになりました。


ウ:すごく衝撃的ですね。
このようなことがあったと全て辻さんが知ったときはいつでしたか?

辻:中学1年生(13歳)の時、父と継母が離婚したときでした。
学校から帰ると父と継母がリビングですごく深刻そうに話をしていたことを覚えています。私は夜のお仕事をしていた父が、いつもならいるはずのない時間に家にいることと、真剣そうにしていた表情が、なんかおかしいなと思ったんです。

リビングに近寄っちゃいけない気がして、自分の部屋にすっと戻って、家にいた祖母に「今日何かあったの?」と聞きました。そのとき「お父さんとお母さん(継母)はもうダメかもしれないよ」と言われたのを聞いて、私は「あーそうなんだ、だから深刻そうな顔をしていたんだ。」といろいろと察しました。その後、私は自分で確かめたくて、リビングに行って、「話を聞いてもいい?」と言って2人の話を聞きました。そのときすべてを知りました。

私はこのときに、母がほんとうのお母さんではなくて、継母として私を育ててくれていたことを知りました。私は父の連れ子として家にいたわけですから、当然離婚したら父と暮らすのだと思って、話を聞きながら心を整理していました。でも、「私(継母)はこの家を出て行くけれど、もしあなたたちが私と暮らしたいというなら、一緒に行ってもいいですよ。」ということを継母が提案してくれました。結局は私も弟も家に残り、継母だけが出ていくかたちになりました。


ウ:2回目の両親の離婚を経験されるときは、なにか前兆のようなものは感じていましたか?

辻:私にとっては突然のことでした。父と母が話をするのは、私たちが寝ている深夜でした。それでもときどき怒鳴りあいや大きな声が聞こえるような喧嘩はありましたが、それが深刻なものなのか、よくある喧嘩なのかはわからず「たまには夫婦喧嘩もするよね」という感じで捉えていました。修復不可能に感じる出来事は目の当たりにしていなかったので、母はずっと心の中で抱えていたものがあったのだろうなと思います。私たち子どもとの関わりに変化はなく、普通でした。

離婚のきっかけには父の借金の問題がありました。父が友人の借金の保証人になった時から家が貧乏になり、継母が働きに出るようになり、生活が変わりました。継母の稼ぎは全て借金返済に充てて、その間の家事は祖母がやってくれて、家族みんなで協力して借金を返すような生活をしていました。

ところが父はそんな生活をしている現実があるにも関わらず、新たな事業を始めたりして……そこに愛想をつかせた継母が離婚をきりだしたかたちでした。


ウ:お母さん(継母)が家を出ていく時、どんな思いを抱えていらっしゃいましたか?

辻:私が聞きたかったのは、離婚をする、しない、ということではなくて、母が実の母なのか継母なのかをはっきりさせたかったという思いが強かったです。離婚の話になる前に、あるとき継母がぽろっと「私は11年間この家で頑張ってきたのよ」と話している会話が耳に入ったんです。

当時、私は当時13歳で、「あれ?歳が合わない11年...…間違えてるのかなあ」と思ったけれど、それまでに以前から父と母が私に対する態度や対応がと弟に対するものと違うなあと肌で感じていたのもあって、「もしかしたら私にはほんとうのお母さんが他にいるんじゃないか」と思っていました。

「もう別れたら話が聞けなくなるんだったら、ほんとうのことを聞かなくちゃいけない!」とこの時に思ったので、「以前、11年、という言葉が聞こえてきたことがあるけれど、もしかしてお母さんは私のほんとうのお母さんじゃないの?」と自分で聞きました。


ウ:その回答を得た時の気持ちはどうでしたか?

辻:ああやっぱりな......。って納得しました。
「なんで母は私にこんなに厳しくするのに弟には甘いんだろう
......」と思い続けていたのがそこで解明されたので......。


ウ:それまでほんとうのことを隠されていたことへの、いらだちなどはありませんでしたか?

辻:私の場合は「きっとほんとうのお母さんじゃないんだろうな」と思っていたのもあって、とくに嫌悪感を持つことはなかったです。
「他にお母さんに聞きたいことはある?」と継母に聞かれて、私は「私の疑問は解決されたからなにもないよ、今まで育ててきてくれてありがとう」とそのとき伝えることができました。どこか冷静で客観的な自分がいましたね。その頃は家に借金の取り立てが来たこともあって「ほんとにこういう人っているんだ〜」とドラマの中を生きているような感じでした。


ウ: お母さん(継母)が出ていって大変だったことはありますか?

辻:経済的に苦しいところがありました。
継母が稼いでいた分のお金が家に入らなくなりましたし、父はさらなる借金を重ねて自転車操業のようにお金を返しては借りて、雪だるまのように借金が増えていました。それでも家には、高校までの学費は心配しなくてもいいだけのお金を父が入れてくれていました

高校の進学の頃に「なんとか自分で自立して自分は家族の負担にならないようにしなくちゃ」と思っていろいろ考えた結果、看護師になろうと思いました。最短で看護師になれる方法を学校の先生に聞き回っていると、たまたま担任の先生の奥さんが看護師で、話を聞くことができました。高校卒業と同時に、資格と卒業資格も取れる高校があると知り、そこに行きたいと思いました。家から出られるし、寮もある、祖母の家事負担も減るだろうと思って、父にこの高校に行きたいと伝えましたが、大反対されました。「お前にそこまで苦しい思いをさせる気はない」と言われて、高校は普通科に通いました。

なので高校は自宅から普通科に通いましたが、看護師になりたい目標は変わらなかったので貫きました。

たしかに大変ではあったけど、借金の保証人になった父が悪いと父を責め続けていてもしょうがないし、自分が自分の人生をどうにかするしかないと思いました。家を出た継母も他の人を頼って生活していた姿を見ていたので、手に職をつけることが大事だと悟っていました。


ウ:辻さんの支えになったものはありましたか?

辻:家に祖母がいてくれたことが大きかったかもしれません。小さい頃から半分以上母親をしてくれていたので、私の心のバランスが崩れることはなかったです。お姉ちゃんの私が母親にならなきゃという負担もありませんでした。祖母も離婚経験者で、子ども3人を女手ひとつで育てた経験をしていたこともあり、いつも動じない姿で家事をやってくれていました

ウ:実母とは交流がありますか?

辻:5年くらい前に亡くなりました。
亡くなるまで一度も会うことはありませんでした。


ウ:会うことがなかった理由はなにかあったのでしょうか……?

辻:会いたいと思わなかった。というのと、継母をほんとうの母だと思って育ってきた自分を否定したくないというような気持ちがありました。
実母が亡くなったとき、異母兄弟が訪ねてきて、家族写真を見たりしました。産んでくれなければ、私はこの世にいなかったので、実母には「産んでくれてありがとう。」という気持ちです。


ウ:継母とは?

辻:離婚したとき、「なにかあったらいつでも連絡してね」といって電話番号をもらっていました。離れてからも、学校の進路面談に来てもらったり、関係性は悪くなることはなかったです。今は友達以上の関係として、支え合っています。


ウ:今振り返って、両親の離婚を経験してよかったと思うことはありますか?

辻:親離れが早く、自立の道を選ぶのが早かったことですね。女であるとしても自立しなくてはという思いが強かったですし、自分の人生を真剣に考えるのも早かったです。親の姿を反面教師にしました。

そして今は、父にも継母にも、それぞれ別の新しいパートナーがいて、継母は経済的に豊かな人と暮らしていますし、父はデレデレのおじいちゃんをやっています(笑)そういう姿を見ると、あのまま離婚せずにいるよりは離婚してよかったと思います。

ウ:最後に、今、親の離婚を経験し悩む子どもたちにメッセージをお願いします

辻:誰でもいいから自分の気持ちを打ち明けてほしいと思います。つらい気持ちを引きづり続ける必要はないですし、つらい感情に浸っている時間はすごくもったいない気がします。自分の力で親の離婚を止めることはできないし、他人の人生を変えるもできないけれど、自分の人生なら変えられる。他人のせいにしている時間はもったいないし、引きこもっていても心地よくないと思うので、どうしたら自分が心地よく暮らしていけるのかを考えて行動してみてほしいです。自分の行動を少し変えるだけで、人生ってすごく変わっていくということを実感してほしいと思います。


■辻 朱穂 さん
・メンタルトレーナー
・ブログ:https://ameblo.jp/lemurianmiho/



このnoteが何かの参考になれば、とても嬉しいです。 こんなことを聞いてみたい……といった、ご質問もどしどしお寄せくださいね★ 記事をシェアいただいたり、サポートをいただけますと、より励みになります(^^) 今後ともよろしくお願いいたします<m(__)m>