見出し画像

文章に責任を持つ難しさ

本が好きだという割には、哲学も純文学も説明ができないし今までそう言った本を読んだことがあるのかも分からない。グーグルで検索をした事があるけど、何が何だか分からなくてすぐに閉じた。結局その程度。

又吉直樹の人間を読んだ。これは、哲学か純文学ではないのか!と勝手に思った。難しくて何回読んでも完全に理解できない箇所が沢山あったからだと思う。
最後まで読み切れたことに自分でもびっくりした。
そして、又吉直樹を怖いと思った。人は本当にテレビやYouTubeで見ているだけじゃなにも知る事が出来ないんだな、と。

こうやって誰かに見えるところで、特定の個人名を出して文章を綴ることにもっと覚悟と責任を持たなければならないと思った。そう思うと、保険をかけたような事もださくて書けない。でも何だかもやもやぐるぐるしてしまう。

これは又吉直樹が実際に世間に対して、誰かに対して言ってやりたいことを、包むでもなく真っ直ぐに書いているんじゃないかと思う場面が時々あって、何故か胸が苦しくなった。
僕たちの罪の意識は自分が凡人であることによるのではないか、ここのページから読み進められず3日も本を置いてしまっていた。
SNSの使い方による、集団リンチについて書いてある場面は特に他人事でもなく苦しい顔で読んでいたと思う。今現在もきっとこれから先もなくならないんだろうなと、どれだけそれによって被害者が出てもすぐに風化して、むしろ、響もせず、集団によるものだから個人では罪の意識ももたず、何て怖いんだろうと。

影島とのクリントイーストウッド、あの場面はいちばん肩に力を入れずに読めて、でも理解なんかちっともできなくて、それが凄く好きでした。

とても長く文章を書いたので疲れた、人間は頭を使う。知能って怖い。お腹すいた。
私は思慮が浅いってタイトルにしようとしたけど、それは保険をかけて文章に責任を持たなそうなのでやめます。タイトルだけ壮大。難しい。難しい。

この記事が参加している募集

#読書感想文

187,064件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?