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ホストクラブの歴史 ─なぜホスクラの店舗数は30年間で50倍になったのか─

いま、ホスト産業に激震が走っている。

その原因はもちろん悪質ホストクラブをめぐる急激な世論の高まりだ。若い女性に多額の借金を負わせ、性風俗店で働くことを強要し、組織的に女性を搾取しときには時には死に追いやってしまう──。そんな「悪質ホスト」の問題が、急速にメディアで囁かれるようになっている。

こうした世論の高まりは政界をも揺るがしており、今国会において立憲民主党は「ホスト新法」なる新法案を用意しているとも報じられている。「青少年を守る父母の連絡協議会」のような「ホス狂」の保護者らによって作られた被害者団体も盛んにロビイングを続けており、ホストクラブという夜の世界が大きな転機に立たされているのは間違いない。

とは言え、本当のところ我々はどの程度ホストクラブについて知っているのだろうか。

「1回で何百万円もの会計になることがある」「何億円も稼ぐホストがいる」「客を性風俗産業に沈めて無理やり稼がせる」そんなキャッチーな噂話は各種メディアで目にするものの、ホスト産業がどのように発展し、どのような変遷を経て今の形が生まれ、どのような男女が働いているのか──という歴史を語るものはあまりに少ない。

「ホスト」をテーマにした漫画やドラマのようなサブカルチャーにしても、ひと昔前のホスト像と現代のホスト像では全く異なる。例えばテレビドラマにもなった人気作品「夜王」(2003-)で描かれるホストと、同じくホス狂いをテーマのひとつに挙げている「明日、私は誰かのカノジョ」(2019-)で描かれるホストは何もかも違う。

「夜王」で描かれるホストは女性実業家などを対象にしたゴージャスな接客業というイメージだが、「明日カノ」で描かれるホストの客はほぼ全員がメンヘラ風俗嬢であり、さらに客同士が熾烈な競争関係に立たされている。同じ「ホスト」をテーマにした作品でも、連載時期が15年違うと語られ方があまりに異なるのだ。

引用:「夜王」第3話より
引用:「明日、私は誰かのカノジョ」84話より

無論フィクションが業界の全てを正確に描写するわけではない。しかし世に流布する「ホスト像」とでも言うべきものがたった20年ほどでガラリと姿を変えてしまったのは間違いないだろう。その背後には無論のことホスト産業の、ひいてはナイトレジャー産業全体の構造変化がある。そして我々は、いや「ホスト新法」のような新法案を掲げる活動家や政治家でさえ、ホスト産業の実態や歴史というものをほとんど理解できていない。

というわけで筆者は、ホストクラブの歴史について徹底的な調査を行った。資料を基にある程度の概観を掴んだ上で、ホスト産業の生き字引とでも言うべき愛田観光株式会の野口左近専務にホスト産業史にまつわる様々な質問をぶつけさせて頂いた。

ホストクラブとは一体何なのか。なぜいま様々な問題が盛んに論じられるようになったのか。ホストクラブの過去、現代、未来について、少しでも関心のある方は是非目を通して頂きたい。

【今回お話を伺った方】
愛田観光株式会社 専務
野口左近氏

「愛本店」などを中心に展開する愛田観光株式会社のキーパーソン。「愛本店」は現存する最古の超大型ホストクラブであり、1971年のオープン以来50年以上の歴史を持つ。野口氏は愛田観光の創業社長として辣腕を振るった伝説的ホストクラブ経営者愛田武氏の右腕として、1990年の業界参入以来30年以上に渡ってホスト産業の第一線で活躍中。

Twitter : @Mv0IR7EIXvQkjFy


ホストクラブはかつて「有閑マダムの集うダンスホール」だった

聞き手:小山晃弘(以下「小山」)
本日はお時間を頂きありがとうございます。私、ホストクラブ産業について多少のリサーチはしてきたのですが、何分門外漢なもので的外れな質問などあるかもしれません。ご容赦ください。

昨今、「ホストクラブは反社会的で悪質だ」「若い女性を騙して売春を強要してる」といったメディアの報道があるわけですよね。特に売掛金というシステムが悪玉扱いされて、そのせいで若い女性が何百万円も借金を負ってしまうんだという議論がある。

でも一方で、ホストクラブについて書かれた20-30年前の資料を見ると、どうも「若い女性」は顧客にあまりにいなくて有閑マダムの社交場としてホストクラブが描かれていたりもします。でも最近ですとホストはやはり若い女性のカルチャーですよね。例外もありますが、やはり二十代の女性、特にセックスワークに携わっている女性がメイン顧客という感覚があります。

これはなんだろう?ホストクラブって一体何なんだ?なぜ今の形になったんだ?という疑問がむくむくと沸いてきまして。50年以上この業界の中心となってきた愛田観光の方なら、何か我々の知らないことを伺えるんじゃないか…と考えて今回取材に伺わせて頂きました。実際どうでしょう。例えば最初期のホストクラブってどんな感じだったんでしょうか。

野口左近専務(以下「野口専務」)
じゃあ歴史から話しましょう。先日2023年の11月25日で、この「愛本店」は52周年だったんですね。1971年に新宿二丁目で「クラブ愛」というお店がオープンして、それがのち「愛本店」になって、2号店の「ニュー愛」ってのができたり、おなべのお店とか色々業種も増えていったんですけど。

小山
確かマリリンでしたっけ。おなべクラブの。

野口専務
そうですね。ニューマリリン。マリリンも二つあって、そんな形で色々なお店をうちは出してきたんですが、やっぱ一番古いのはホストクラブ。

1960年代になるのかな。日本最古のホストクラブと言われてるお店が東京駅の八重洲口にあったんですよ。「ナイト東京」という。今はもうないですけどね。(愛田観光の)創業者の愛田武もナイト東京の売れっ子でした。ただ業態は今と全然違います。「ナイト東京」は基本的に社交ダンスが踊れるダンスホールです。

小山
ダンスホールですか!もうその時点で、今のホストクラブとは何もかも違いますね。

野口専務
ホストクラブは起源はダンスホールなんですよ。戦後の高度成長期の中で、当時のお金持ちの女性、いわば「有閑マダム」のような人しか行けない社交ダンスを踊るダンスクラブが流行って、そこにこは「アテンダント」と言ってダンスを一緒に踊ってくれるダンスアテンダントさんがいた。

そのアテンドさんたちはいわばダンスの先生です。お客さんから「あの先生と踊りたい」という指名料が入って、それが収入になる。それで一緒にジルバであったり、ワルツであったり、タンゴであったりっていうのをお客さんはダンスアテンダントの方と一緒に踊ってそれで楽しんでた。

そこから少し変化があって、ダンスの先生とダンスだけではなく一緒にお酒を飲んだりもできるようになったんですね。お酒を頼むとやはりその何%かがダンスアテンダントさんの収入になる。「ナイト東京」はじめ、最初期のホストクラブというのはこういう形です。

小山
先ほど「有閑マダム」というワードが出ましたが、やはりダンスホールとなるとお客さんも先生もそれなりの年齢の方が中心になるんですかね?1960年代に20代の若い女の子がダンスホールに行くというイメージがあまりないのですが…。

野口専務
年齢層は高いですね。お客さんに若いひとはほとんどいなくて、30代のお客さんで若いと言われてた。

小山
となるやはりマダム層というか、既に結婚して子供もいて、でも資産家なので時間はあって──という40代から60代くらいの中高年層が中心だったんでしょうか。現代のホストクラブからするとかなりの違いです。そこから今のような業態に変わっていったのはどういう経緯だったんでしょう。

野口専務
当時のダンスホールには「時給」というのがなかったんですよ。むしろダンスアテンダントさん側がダンスホールにお金を払う必要があった。お金を払って「場所を貸してください」とお願いする立場だったんです。

時期やクラブにも依りますが、だいたい出勤1回で500円ほど「場代」をダンスホールに払う。500円と言っても大卒初任給が3万円くらいの時代ですから、今の価値で言うと5000円だとか1万円だとかの感覚。それでお客さんがつかめないと全部自分の支出ですから、一握りの売れっ子以外はどんどんダンスアテンダントさんが辞めていくんですよ。

小山
確かに昨今のコロナ禍もそうですけど、水商売は売れる時もあれば売れない時もある仕事ですし、それで場代がかかるのはキツそうですね。

野口専務
それを見ていた愛田武が、「これなんとかなんないかな」ていって立ち上げたのが愛1号店である「クラブ愛」です。それまでのダンスホールとはシステムをガラッと変えて、出勤するにあたり「場代」を取るのではなく、逆に「最低保証」として報酬を支払う形を整えた。

小山
今でもホストクラブの間で主流になってるシステムですよね。指名の売上がなくてもヘルプさんだとかっていう仕事をして、1日5000円なり1万円なりの最低保証の報酬がもらえるっていう。

野口専務
そうです。それに当たって「黒服」っていう制度をなくしたんですよ。黒服さんっていうのは、ダンスホールであれば先生を助ける役。ホストクラブであればホストを助ける役。オーダーされたものを取りに行ったりとか運んだりとか。当時のダンスホールでは、アテンドさんがこうやってライターで火を付けるとそれが呼んでる合図だから、黒服が飛んでくんです。注文聞いたりとかね。

小山
ウェイターであるとか清掃だとかといった雑用を全部ホストがやる代わりに、最低保証をつける。なるほど。ホスト側、特にまだお客さんを掴んでない新人からすると嬉しいシステムですね。1971年に生まれたシステムが、2020年代にも現役で動いてるのはちょっと凄い。

野口専務
だからこれを愛田が生み出さなかったら、今現在のホストクラブっていうものはなかったのかな、と思います。いま各所300店舗ぐらいホストクラブあるけど、どこの給料システムも土台は愛本店が作ったものをいろいろ改良したものです。「最低保証+売上分の歩合給」という形。このシステムがホストクラブの基礎になりました。

小山
愛本店というのが、ホストクラブという産業のシステムをシステムを完全に整備したというのは色んな文献にあたっても必ず書いてありますね。ナイトレジャー産業の資料にあたって調べさせて頂いたんですが、愛がこのシステムを作って、それを模倣する形でいろいろなお店が生まれていったと。有閑マダムの集う「ダンスホール」から、現代型の「ホストクラブ」に変化した切っ掛けはこのシステム改革にあると言えそうです。


売春のカジュアル化とホスト客の低年齢化

小山
次は顧客層の変化について質問させてください。今のホストクラブのお客さんって、どちらかというと20代の若い女の子で、ナイトレジャー、まあ性風俗店とかキャバクラだとかで働いてる女の子っていうのが圧倒的な主流っていうイメージがありますよね。でも1960-1970年代はマダム層というか、お金を持ってる有閑夫人が多かったというお話でした。それが今のように若者化と言いますがホスト客が低年齢化していくには、どんなターニングポイントがあったのでしょう?

野口専務
風俗産業の女の子で言えば、一番わかりやすく変わったのは

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週に1-2回程度更新。主な執筆ジャンルはジェンダー、メンタルヘルス、異常者の生態、婚活、恋愛、オタクなど。

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