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創造と表現は似て非なるもの〜遊び心とコミュニケーション〜

こんばんは。Vinoです。
今回は若干長めの記事になりました。
はじめましての方へ。

ここ数日、ずっと考えていることがありました。
モヤモヤしているのに、その明確な答えが見つけられず唸っていました。

ですが、今日やっと一つの答えを見つけることが出来ました。

わたしが、ここ数日考えていたテーマは、「創造」と「表現」は、何が違うのかということでした。

自分が今やっていることは、果たして創作活動なのか、表現活動なのか?どちらなのだろうという問いが湧いたのです。

創作していると言えば、創作と言えますし、自分の内面を外側に表していると言えば、表現とも捉えられます。

今日、わたしが見つけた1つの答えは、この論文でした。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/aaej/41/0/41_1/_pdf/-char/ja

こちらの論文は、東北大学の縣 拓充さんという方が書かれた論文です。
出典は、美術教育学(美術科教育学会誌),第 41 号(2020 年 3 月)なので、発表されてから3年半くらい経っています。

端的な結論を最初に述べてしまうと、「創造」は遊び、「表現」はコミュニケーションが、大元になっているとのことでした。

わたしたちは、特に美術分野で両者の違いを明確には意識せず言葉を使っていることが多いそうです。

絵を創作している、絵を表現している、どちらも置き換え可能な言葉です。

でも、美術以外の分野では、例えば音楽なんかだと、音楽を表現するという言葉の使い方をしても音楽を創造するとは、あまり使いません。

音楽を創造すると言うと作曲などになり、音楽に於いては、表現と創造の間にはニュアンスの違いがあるそうです。

創造には新しさという観点も重要で、子供は新しい遊びを生み出す天才です。

一方、表現の大事なキーワードとして他者の存在が挙げられます。
その表現を受け取る者が想定され、人にどう伝わるか、どう受け取られるかという視点が入ってくるのが表現の特徴らしいです。

授業なんかで自由に発言して良いと言われても、どうやって表現したら良いか分からない子が出てしまうのは、表現には内側からの切迫感が必要だからなのだそうです。

創造と表現の違いは、なるほどなぁと思いました。

たとえば、このnoteの記事を自分の内的世界の表現の場とすると、内側から何も湧いて来ない一滴の水も出ないくらいカラカラの日が時々やって来ます。

「表現」には、伝えたい!という欲求が必要不可欠だからです。

振り返ってみて、そういう書けない時に自分は何をするかというと、おそらくスイッチをクリエーションに切り替えているのだと思います。

創造=クリエーションは、遊びが発展したものなので、とりあえず何の目的もなく、ただ文字を書いて遊んでいる状態だとスラスラ言葉が出て来はじめます。

そして、自分の言葉の中で自分自身が遊んでいる感覚で書いているうちに1つの記事になります。

そこには、正しさや間違いという概念はないです。

遊びはダメって大人になると思っちゃいますが、遊び心、余裕がなければ新しいものは生まれないので、たまには自分自身を遊ばせること忘れないでおきたいですね。


最後まで読んでいただき、ありがとうございます!





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