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この齢で見つけた新しい作業のし方:営業事務職を始めて二週間:その2、適度に詰め込む。

 17年振りの五月連休になります。
 きょうは緑の日なので壬生菜を。
 軽く蒸し、塩麹を軽く和えて山椒を見えない程に撒きます。

 noteが改訂されるに際しiOS16以上を要求するのでiOS14、iPad第五世代(2017年のを2020年に購入。)の私はもう終わりかと焦りましたが調べるとぎりぎり大丈夫とで、早速や近所のローソンに行きWi-Fiに繋ぎましたがローソンWi-Fiはダウンロードに対応する安全保障体制がないらしくダウンロードができません。
 明くる日の会社の帰りに駅のWi-Fiに繋いだらやや不安定ながらダウンロードが始まり待つこと二十分程。
 そこでiPadを再起動すると新品の時めきを思い出すような艶の良かなUIの画面が登場。

 従来のiOS14は4×5の20個のアイコンの配列でしたがiOS16は縦横とも一つずつ増えて30個のアイコン。
 20個はゆったりと余白の多さから高級感が強く感じられましたが頁数が多くなることにより頁の遷移にやや手間取り、整理のし易さの観点では必ずしも使い易いとはいえませんでした。
 それが30個に詰めると3頁に収まって余りあり、アイコンの捜索と視認、一連の操作がし易くなっています。
 整理整頓や設計にはゆとりも大事ですが適度に詰め込むことも大事です。新しいiOSはより私の思想に近づいているようです。
 高級感がするからといい余白を多くし過ぎると(iOS14も決して多過ぎるというほどではないですが、)止め処なく冗長な感じになりかねず、デスクトップ(Appleはホームと呼ぶ。)などの枚数が増すことにより寧ろ頁の遷移などによる捜索や視認の手間が増すのです。
 ネットのニュース媒体なんかも一つの記事を何頁にも分けて改頁をさせる例が多く、更には広告の位置が無秩序だったりし、報道の不信感が紙や電波においてだけではなくネットにおいてさえ広く懐かれているようです。
 noteを見てはよくあるのが改行の行数がやたらと広く、画面に3行程しかなくて上下遷移がうざいという例。その殆どは内容がないようで先ず印象としてキモい。

 さようにUIというものは5Sの一種で、業務を含むあらゆる面に重要な事柄です。
 その認識はこの齢で初めて気づいたことではないですが一つ新しく気づいたことはWindowsのショートカットについて。

ショートカットのアイコンを使う・配置する

 新卒の管理系の事務はWindows98で、Windows10が主流の今も基本の設計はWindows8を除き変わりませんが、当時はショートカットアイコンを使うことはありませんでした。
 私が使わないだけではなく当時は組織の島が強くて部署を横断する書類ファイルも少なく、あっても大抵は印刷されるし、共有ファイルにしてもファイルのあるフォルダーの位置も直ぐに憶えられるのでショートカットアイコンの必要が薄い。
 なので私はそんな機能は要るのかなと思っていました。
 Windows2000からの自分のPCにもショートカットアイコンを作成したことは殆どなく、偶にあってもファイル名の変更で「-へのショートカット」の文字を消して使っていました。

 MacintoshにもショートカットアイコンはありますがiPadにはありませんし、ショートカットキーは必要だがショートカットアイコンは無用という観念が新しい職場での営業事務のWindows10の東芝Dynabookで覆されました。

 最近に東芝を売却されて中国企業に買収されたREGZAというテレビジョン受像機が起死回生の絶好調にあるそうですがそのREGZAに次ぐ東芝の今や唯一の人気商品がDynabookというPC。
 企業の不振の理由としてよくいわれるのは開発力のなさやイノベーションのなさ、即ち時代に対応していないということですがREGZAの再生は東芝の時からの伏線があってのことだろうしDynabookが堅調(実際にその小ささと薄さで大容量のWindows10を平気で動かしており使い易さや見目の美しさも優れています。)なことからしても東芝が開発力やイノベーション心を失っている訳ではない、のに、業績が悪いのは営業部門や管理部門が弱体化しているからではないでしょうか。剰え、経営資源とその環境が東芝には不利な状況になって久しい。その不利を改善することに遅れたことは理系の問題ではなく文系の問題なのですね。

 ファイルの位置、何度もやっておれば憶えられない訳でもないですが憶えるまでに困るし憶えてもクリックの回数がその都度多くならざるを得ない。なので私はいきなりの閃きで今までは使うことのなかったショートカットアイコンを作成して自分のフォルダーに納めました。そういうのを着服とはいいません。
 因みにこの会社は業務の書類などを持ち帰ることは禁じはしないですが(事業所を跨ぐ勤務や遠隔勤務には必然にそうなるので。)ほぼほぼそうする人はおらず、業務に用いるものは個人のメモをも社外で処分してはならないという規則があります。自宅残業とか臨時ノマドはしないものなので自ずと業務の効率も良くなるようです。
 尚、クリックに関しては私はシングルクリックを用い、ダブルクリックはしません。これは2018年にWindows Vistaを購入してからの私の定式で、クリックの回数がそれだけで半減されてストレスがありません。

 東芝の程ではないにしてもこの会社の業績はやや低迷にあります。
 東芝の界磁チョッパー制御(風前の灯。)にも三菱電機のVVVFインバーター制御(今時の一択。)にも関わっていませんが市場の縮小の傾向にあります。
 しかしそれでも維持できているのはUIを含む5Sの発達や企業倫理や個人の道徳の、今逸りのコンプライアンスとかいう低次元な話ではない持ち前の高さからなのではないかと思うです。

日本を、片づける。

 適度に詰め込めば全体の容量(枚数や面積など)が無駄に増えない。
 『新しい資本主義』の解説書にも顕著なようにやたらと詰め込むことは如何にも昭和風に煩雑ですが、或る種のパワポプレゼンのように余白や隙間が多過ぎる、一枚に一言みたいなのも平成風の煩雑さを生み出しています。そんなすかすかなのをちゃかちゃかと替えて見せることに全体の無駄がある訳です。
 私は岸田政権を初めは不支持だったのが去年の夏から支持しています。
 全般の支持率はほぼ逆で、初めは支持していたが今は不支持という傾向だそうです、あの必勝しゃもじから少し上がり出していますが。
 当初の支持率の高さは『新しい資本主義』のような昭和風のびっしり詰め込み様式の根強い人気に因るものでしょう。それだけ盛り沢山な体裁だと内容がありそうに見える。満員電車が運ぶ豊かさのアナロジーですね。
 しかし、岸田総理がその話を中断して或る理由でシンプルな姿勢を見せ出すと支持率が鰻下がりに転じました。丁度土用の丑の日の頃です。
 幾ら効率化や簡素化が流行傾向になってもやはり本音ではごちゃごちゃが好きで、単純で強い姿勢や様式には無意識にか意識的にか違和を感じる。インスタ向けにはそうしていても現実の話には違うのではないかとなる。
 それが、必勝しゃもじの頃からはiOS16のデスクトップ(ホーム画面)のような適度な詰め込み具合になって来ている。
 国民の感覚がそれに追いついているとはいえないまでも、その位が理想的なのだろうという未来のイメージが感じられて来てはいる。

 ただきれいに並べる・並ぶだけではなくどこにあるのかが見えることが大切で、よく机のきれいさの話がありますが或る種のパワポプレゼンの一頁やnoteの記事やマンションの広告のようにすっきりゆったりときれいなら5Sが良いという訳ではありません。
 そこが平成風のゆとり主義も昭和風のごちゃごちゃ主義の見せ掛けの変化でしかなかった、見られる相手が代わったとか衰退を見抜かれないようにするということに過ぎないということでしょう。

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