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この齢で見つけた新しい作業のし方:営業事務職を始めて二週間:その3、業務日誌は翌朝に。

 17年振りの五月連休は松陰神社と駒沢公園に行きました。

 17年前とは2006年ですがその五月連休をどう過ごしたかは憶えていません。いつものように適当に名古屋に行くなり地元の東尾張でゆっくりしていたのか、或いは、久々に京都に行ったのはその時だったか、定かではありません。
 京都は、東西名阪道を経て先ずは大阪に立ち寄り、御約束の如く難波の金龍ラーメンを無批判にいただき、森の宮の大阪聖マリア大聖堂の大司教ミサに参列し、そこから国道1号線を京都に向かい、今はないらしい北白川の結構なお値打ちのホテルをボーダーフォンのガラケーで予約して泊まり。
 当時にInstagramがあれば間違いなくインスタ映えしていたホテルです。
 徐に暑くなり初めるその季節感が一致するので、多分そうだったということにします。
 運転免許を得て一年、自動車での旅ということもあり、京都はどこを散策するともなく単に京都で寝て京都で起きるということをしに行く、即ち体の資本を充電するだけの日程でした。
 大阪を出て国道1号線を来ると此という前触れもなく車窓が忽然と堀川通に変わり、あまりにも直で四条通に舞い降ります。
 近年は徐にPanasonic離れでHITACHIに転換しているのですが、そこがPanasonicの本社なのかという世界史的観光を味わえるちょっとした瓶の蓋を経て京都に向かいます。電車暮らしでは観えない風景です。必然に豊田市トヨタ町との比較をします。
 国道1号線堀川通と四条通の交通の流れは著しく異なる(昇龍と竜の落とし子のほどに違う。)ので、そこを艇良く右折する(東に入る)には結構な運転の感覚が要ります。
 そして四条大橋を車で渡るという庶民感覚とは掛け離れる行為を経、おけいはんの歩く川端通〜白川通を経てお宿に着き。

 竜の落とし子といえば東京の玉川高島屋SCですが、駒沢公園の帰りは駒沢通の日本体育大学前でバスに乗り二子玉川駅を経て帰ったので二子玉川の三十年前との著しい違いをもはやどうでもいい(良い意味で。)という程に感じました。
 玉川高島屋SCは今もあるらしいですが、それと並び、二子玉川園のトランポリンとかがあった所に今は二子玉川ライズという南町田グランベリーモールを薄口にしたような劇空間が出来ています。
 拙宅との距離はグランベリーモールが近いし私御用達のKEYUCAがあったり(というか、新百合ヶ丘と青葉台でこと足りる。)、何もない方の出口にはでかいニトリがあったりなど活用させていただいている面もありますが正直に、空間造り的には二子玉川ライズは南町田グランベリーモールとの比ではない卓越を感じました。
 グランベリーモールには露店は出せないですよね。しかしライズには有象無象の露店がちゃらんちゃらんと出ています。
 ∴も、駅名も「南町田(グランベリーモール前)」に再改称してほしいと思います。やはり片仮名駅名や片仮名路線名は恥ずかしいですね。

 K本的に東京は人種が違う、好かないのですが東京でないと出くわさないナイスガイも偶にいます。
 松陰神社では健康的な老女に写真を撮ってくれと求められる一時がありました。
 その写真は彼のスマホなのでお見せできませんがほっこりしますね。

 正直、吉田松陰とか私としてはどうでもいいキャラなのですが、歴史的謎に包まれる面もあり、不用意には削除のできない人物なのかなとも思うです。
 少なくともぱっと見、ナチスの裏返しなのは怖いです。

 小田急梅ヶ丘駅と駒沢公園との四km程を歩くという目的が明確だったので偶々あまり困りませんでしたが世田谷区は隣の渋谷区や川崎市とは違い喫煙者に冷たい町だということは改めて感じました。
 往年ほどにはぎらぎらしていないとはいえ、予想外に予想通りのこんな光景にも:

 なるべく人を映さない主義なのでこのお写真には映りませんがこの看板の下には結構な行列が。
 私の記憶が確かなら、昔とは店舗の位置が逆側ではないかと思うです。

 昔の梅ヶ丘駅は北口の千歳船橋行の小田急バスと南口の渋谷駅行の小田急バスしかありませんでしたが今は駒沢大学駅〜等々力操車場行の東急バス(東急トランセ)があるといい、東秀、カワムラと美登利寿司しかなかった頃からは地味に進化しているのねと思いましたが私はそれには乗らずにそのバスの経路を歩きました。
 因みに梅ヶ丘はトヨタ自動車の張富士夫元社長の出身地でもあり、梅中の出身で、私がトヨタに勤めていた頃の社長。
 私は梅ヶ丘の栄光ゼミナールに通っていましたが今はなく、北沢法人会に代わっています。
 それが渡辺捷昭さんに代わっておかしくなり出しました(丁度先述の五月連休の頃。)。

 今時の東京は渋谷や新宿なんかもそうなように小汚い感じや薄汚い感じがなくなってすっきりとした町並みになっており、梅ヶ丘も随分ときれいになっています。
 しかし、人は昭和末期の当時とあまり変わってなく、かようの異人種を昭和的に小汚い、薄汚い風景で見るか平成的にすっきりときれいな風景で見るかの違いが微妙に雑感です。必ずしも悪いとは限りませんがやはり根本的に違うのだなと。
 それと直接の関係はないでしょうが、病み上がりのノーマスク率が衝撃的に高いのは印象的でした。マスクをしている人が韓国の親日派みたいに見えるのです。県内は例のあれの初期はノーマスク率が高くて今はまだ低いという私とほぼ一致する傾向です。初期にマスクをしろと散々に煽っておいて今は知らん顔かと、毎度お馴染みの東京的欺瞞を感じざるを得ない感じ、私も電車以外はほとんどノーマスクで行きましたけどね。

 今時に駒沢公園に休日に行く人なんて私くらいしかいないだろうと、当地をマイナーな場所と認識しながら裏技的に独り占めしに行ってみたのですが辿り着くと真逆の人集りで、代々木の国際スポーツフェアと見紛う程。
 フライヤーズには大谷翔平はおらんかったぞと突込みながら、そこで大谷が投げたり打ったりする姿を白昼夢。
 何かというと、クラフト餃子フェスTOKYO2023という餃子の万博が。

 まるで代々木。
 そこに餃子のパビリオン達がこれでもかとずらりずらっと並ぶ、壮観。
 心なしかTOKYO1964の遺跡群も餃子みたく観えます。

 いつの間にか働き方の話ではなく休み方の話になっていますが、業務日誌は翌朝に書くという主題で次の記事を。
 やはり休日には職のことは考えにくいのですね。
 あさっての月曜日の朝はそこから始まります。
 餃子フェスはあす日曜日までです。 

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