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この齢で見つけた新しい作業のし方:営業事務職を始めて二週間。

 続を記し出すまでに一週間が空いてしまいました。

 冒頭のカレーの写真は新しい職場での昼餉です。
 前々職の職場の社長がおととしの社内御歳暮として振舞われたことから知ったお客様の上野精養軒のカレーで、それから一年、自分への御歳暮として通信販売で二つを買っておいたのの二つ目です。上野精養軒のカレーは当店以外での店頭販売はなく通販のみです。

 Time is moneyということに関しよくあるのが呆っとしている間にも給料が発生しているという警告ですが、この新職の会社は似て非なる勧告をします。それは呆っとしている間にも金は生まれるというものです。
 前者は人件費がなくなるということを論点としますが後者は価値を生み出せるということを論点とし、文言が一見は似るようで発想が全く逆です。
 なくなる程にもない人件費だから(一時金は市況を反映して低水準です。)なのではないかという人もいるかもしれませんが多分そういうことではなく業務とその価値を一定の課題の消化達成とそのための消極的効率とは考えないということでしょう。時間とは価値の増大のための積極的効率のためにある。
 それは私の元々の思想でもあり、この記事の本題のこの齢で見つけた新しいことではないですが(いわば私の思想との互換性の高い職場が見つけられたということ。)そういう粋な小言は初めて聞きます。
 トヨタも後者の思想ですが時間と価値の追求が当たり前の取組みなので(若しくはそれが偶々全くない部署なので)それらのどちらも聞かれません。
 ここはトヨタのほどには町ぐるみでのカイゼンの雰囲気に囲まれてはいないので訓示も必要になりますが前者のようなありがちなものではありません。

 その「生まれる」というのはどうやらこの会社または財閥の全体の好む語ならしく随所に「この数字はどこから生まれたのか?」、「それはどこから生まれた話なのか?」などの言い回しがあります。大抵は「出た」、「出て来た」と言う処をです。鶏🐓と卵🥚のよう。
 価値や利益を生むという語は広く用いられますが 生む→生まれる の矢印の先があまり能く見えない話もありがちです。良きにつけ悪しきにつけ、生めば生まれるとは限らないからです。
 尤も、能く見える話を好むということで事業が保守的になる場合が多いともいえますがそれがそもそもは産業経済の最も大切な部分です。

 さて、私が入って二週間にこの齢で初めて見出す新しい作業のし方を紹介提案します。
 因みにきのうはお客様の御注文を断る提案という場面がありました。
 そして代替案を提示するというものです。
 私の入社も代替案でのことなのでその電話には聴き耳でした。

一つずつする。

 これも厳密にいうと初めてではなく、前々職の会社で短い間に営業事務を共にした同期の方に伝授されて取り入れていましたがその力をこの新しい職場で改めて実感したことです。
 一概に事務職とはいえその点が管理系(総務・人事)と営業系(販売・資材)の違いで、私は新卒が管理系だったので大量の資料とその工程を或る程度の群範疇に分けたらそれらをずらーと大量に処理してゆくという方法を主に取っていました。
 管理系の事務は事柄が多種多様ではないのでそれで作業を中断しても後で分からなくなることがなく、中断を要する場合もそう多くはないのでそれで良いのです。中断の理由となる事柄も悉く定式に則る形で来るので直ぐに対応すれば直ぐに済むし後回しにしても先方が困ることはあまりない。
 しかし営業系の事務は定式には依らない多種多様な中断の理由が生まれるため、大量処理の方式では作業を中断すると後で分からなくなり易い。
 例えば納品書や請求書の発行です。
 前々職でそれを大量処理の方式で取り掛かったら彼がそういう理由で一件ずつ処理することを奨めました。
 考えてみるとそれは実はトヨタ生産方式の自工程完結の考え方とも通じます。資料とその工程を群範疇に分けることは管理系にも営業系にもトヨタ方式にもあるものですが分け方が違うのです。営業系の分け方は基本的には客毎で、一件の顧客についての作業を全部終えてから次の一件の顧客の分に入る。項目毎や数量毎に分けるのではない。
 一件ずつなら中断が多くあっても着手済と未着手が分からなくなりにくい。
 管理系の事務に慣れていると納品書などの発行を入力、印刷、照合と封筒というように工程毎に別けて入力なら入力だけをずらーとする、次は全部を一気に印刷…という方法を取りがちです。
 しかし新しい職場で一件ずつするので良いかと訊いたら、それが良いとのこと。
 特に大量処理の方式での弱味が能く見える形で見えるのは印刷の場面です。
 全部を一気に印刷すると待ち時間が多くなり、自他共に手待の無駄が生じます。そこで何か他の事をするにしても印刷が終るまでの時間とは合わないのでそれが終わらないと生まれた大量の紙が積み放しになります。そこに次以降の者の印刷物も続けて積まれるので各々自分のを探す時間が多くなります。他のを間違えて持ち去ると誰が持っているのかとなります。
 一方では一件ずつ印刷すると往復歩行の回数歩数とその時間が多くなりますがその間に写本の印を捺くなどの附帯作業や偶発作業を一度に出来るので総じての時間の無駄は低減され易いでしょう。
 歩行の回数歩数を少なくするというのも大切ですがそればかりを単元的に追求すると思わぬ無駄が生まれることも少なくない。人間は座る時間や立つ時間が長くなり歩かなくなると能力が減衰するといいます。
 歩数に対する利益という概念がありますが何ぼの利益も0で割ることはできません。最少でも一歩は歩かないとならない。また最も重要な事柄は歩く理由にあります。

右から・下からも見る。

 一部の地域を除き書類というものは左から右へ・上から下へ展開するものです。
 一部の地域とはアラビアで、文書が右から左へ・上から下へ展開します。
 さすがに下から上へ書く地域はありません。
 しかし一部の地域ではなくても書類を右から読まないといけない場合があります。
 それは例えば承認印の欄です。
 私が管理系の事務をしていた新卒の会社は承認印の欄の捺く順が左からでした。担当の自分が左端で社長が右端です。
 しかし、この会社は右からで、全部を自分が捺く事項の欄も手順的に右からの配列。
 右へ倣えと号令が掛かれば部下に倣うということ?笑
 自ずと右からの展開や下からの展開というものを想定する必要があるようです。いわば上り下りという思想がない。今時は電車なんかも地下鉄とその先との両方乗入が普及していて上り下りといっても途中で換るためそのような分け方には意味がなくなってもいる。
 読書百遍にして意自ずから露わるという諺は左から・上から記される文書ならその順にしか読まないことが前提の難解文への対峙のし方なのでしょうがそれを右から見てみたり下から見てみたりすると百遍も読まなくてよいかもしれません。
 右から並ぶ承認印の欄に左から捺くと承認印が形骸化したり丸毎捺し忘れたりし得ます。それなんかも項目毎や工程毎に一気に処理する方法の弱味が露われ得るものです。

 前々職はクリーニング工場でしたが品物を畳む際の位置の合せ方は肩で(上から)合せる手法や裾(下から)合せる手法、そしてこれが私の秘伝の技:腋で(中から)合せる手法があります。
 因みに一度にそれらを二つ以上併せても無意味で一度に取る手法は一つです。どれか一つが合えば他も全て合うからです。尤もそれは一定の形があるからで、形のないものやあっても未定なら複数の手法を同時に取ることを要する場合もあるでしょう。
 腋で合せると背と身頃(前後)の上下だけではなく袖(左右)も同時に合います。
 腋は品物が破け易い部分でもあり、腋で合すと自ずとそこを確認することができます、あまり力が入ると自分が破いてしまう場合もありますが。
 なるべく複数の着眼点、始点や手法を持つことが大切だということですが、判子の捺き方にもそれがあるとはさすがに驚きです。

 また、照合確認なども一つの横並びの欄の左からだけではなく右からするとよい場合もあったりします。
 数値も右端が最も重要だったりしますし、数字を右から視ると目が眩まないかもしれません。

 本題は次の記事に続きます。


 照明💡が良いのかもしれませんが新しい職場でのお勤めを始めたらここ数年に漸く悪化していた老眼の回復の傾向が加速され出しているようで、偶に視えない時があっても視線を微妙にずらすと視えたりします。
 会社の建屋は自分史上最もレトロでほぼほぼおんぼろですが屋内がきれいに改装されていて5Sも良好です。
 これもまた私の思想と合う点ですが、この会社は画鋲(押ピン)を使いません。掲示物は全てワッポンという剥がし易い掲示接着片で貼られ、壁の穴もないしセロテープの残り片もありません。
 剥がし易いということは時期の過ぎている不要の掲示物が残っていることもないということです。
 私も自宅では画鋲は絶対に使わないしセロテープやティッシュペーパー(掃除機専用のと印鑑拭専用のを除く。)もありません。暦は一月分ずつワッポンで貼り(初めは吸盤の掛具を試みましたが直ぐに落ちるのでそれにしました。)、セロテープで貼っておくという場面はそもそもなく、鼻水はお手洗の化粧紙、外ならハンカチでかみます。

 次の記事にはそんな風に建前と実態の最も分離し易い5Sについても触れようと思います。

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