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逍遥涼

「りょうさんに会いたいな」と子どもが呟いた。トーハクの、『びじゅチューン!』展の松林ズライブ観客席に腰掛け、しんみりと。「井上涼さんにね、いつか会いたいな。あんなにすごい人、いないんだ。涼さんに会うの、夢なんだ」と、ちいちゃなお手々を膝の上でぎゅっと握りしめて言った。

『びじゅチューン!』を初めて観たのはEテレだった。たしか《おりがみのよりとも》の再放送だったと思う。わたしは「なんじゃこれは」と凍りつき、子どもは「もっかい見ゆ」と花のように笑った。わたしは「そっか、今の…今のアレ好きだったのね」とPCで検索し、過去作を二人並んで全部観た。全部。

子どもは完全に『びじゅチューン!』にハマった。日常語の語彙も文法もまだままならない幼児なのに、「ゴーギャンさんの気持ちは、ゴッホバイバイちて寂しいけど、豊かだったかも知れないのよね」などと口走るようになった。わたしは子どもの知的興奮に資する作品を次々生み出す井上涼氏に帰依した。

COVID禍の自粛に次ぐ自粛。公園さえ行くのを控え、なるべく移動せずなるべく大人しく、文字通り息を潜めて暮らした2020年。わたしは春先に失職して鬱と不安で不調に陥り、子どもはそんなわたしと密室で保存食を食べるほかなく、限界ギリギリで過ごした時期、井上涼氏の存在にどれだけ救われたことか。

頻繁な配信では、大好きな『びじゅチューン!』のキャラクターたちを、視聴者のコメントに答えながらスラスラ描いていく涼さんの筆先を、子どもは真剣に見つめていた。画面をタップするとハートが出る仕様に気づいて、指が痛くなるほど「涼さんにハートを贈った」日もあった。

連綿と続く日々に、メリハリが齎された。次の配信までにお風呂入っちゃおう、お昼寝しとこう、来週のびじゅチューンはどの作品かな、今日の涼さんはどんな話を聞かせてくれるかな。そうやってCOVID以外の明るい話題で楽しく盛り上がり、夜も『びじゅチューン!』の本を読んで幸福に眠りに就けたこと。

あの緊張感の中のオアシスのような安堵を、わたしはこれを生き延びたら、感謝とともに語り続けるだろう。「あの年は二人密室で大変でさあ…でもね、涼さんが一緒にいてくれたんだよ。涼さんってすごいんだよ。『びじゅチューン!』知ってる?世界観めちゃくちゃ面白くて素敵なんだよ」と。

今年の最後のお出かけは、『トーハク×びじゅチューン!』千穐楽。謹んで涼さんの作品を体験し、ベースである実物も拝見し、いい年だったと締めるつもりで、わたしたちは上野にいた。本館前の大イチョウが、陽光で黄金色に輝くのを堪能しながらキッチンカーのザンギを頬張り、緊張を解して本館に突入。

「こちら風神雷神のバルーンロボットです。ユニコーンのバージョンもあります」と子どもがガイドになりきって示す。展示入り口のテレビで、見慣れた『びじゅチューン!』のアニメをしばらく楽しみ、風神雷神のインタラクション展示へと進む。

最初に来た時は音が怖くて目を開けられなかった子どもも、案内動画で繰り返し予習してきたので、今度こそ風と雷の発生を体験することができた。靴マークが描かれた床に乗ると雷鳴が轟く。屏風のエフェクトを直視する子どもの眼差しに、なんだか泣きそうになるわたし。楽しいことがあって、よかったね。

続く松林図の静謐な空間。本当に雪山にいるかのような底冷えを感じさせる屏風の映像、吹雪く音。等伯がこれを見たら、どんな気持ちになっただろう。そんなことを考えているわたしの横で、子どもは涼さんに思いを馳せていた。こんな企画に結びつくものを作ってしまった涼さんは、凄まじい偉人なんだ。

夢を語った子どもの手を引き最後の展示、八橋蒔絵螺鈿硯箱のデザイン体験に並ぶ。普段「列に並ぶ」とか「順番を待つ」といったことがほぼ不可能な当未就学児も、好きなことに関しては仰け反って泣くことなくいくらでもじっと待てるらしい。30分も大人しく並べた。

順番が来ると、慣れた動きで画面を操作し、黒地の硯箱に波の模様を次々載せていく。「上手だね」と優しく声掛けしてくれるスタッフさんに、「120秒以内だから。こういう風にすると決めてたから」とはにかんだ。できた展開図データは壁の画面に移って3Dで表示され、輝きを放ちながらゆっくりと回る。

出来栄えに照れた様子で、床を泳ぐプロジェクション・マッピングの鯉を捕まえながら、名残惜しそうに展示を後にした。そして休憩所でアイスを買って一休みして、庭園を散策し、埴輪を見てまわり、一旦本館を退出して、隣の東洋館に移動した。初めて仏頭を見て「体、ないね」と呟く子ども。解説タイム。

そうこうするうちに館内シアターの上映時刻になり、入場した。VR『国宝松林図屛風 乱世を生きた絵師・等伯』、上映時間約30分。子どもが暴れず見られるかドキドキしながら等伯とその息子・久蔵の人生にダイブする。楓図・桜図の辺りで感受性が決壊して泣くわたしの横で、子どもは静かに鑑賞していた。

会場が明るくなり、スマホの電源を入れると、涼さんのライブ配信開始の通知が鳴った。配信画面を開けば風神雷神バルーンの前でいつもの涼さんが手を振っている。子どもに「ねえ、これ」と見せると、「え?」と一瞬ぽかんとして、そして「いカナきゃ」と声を裏返して駆け出した。

普段走らない子が走っている。普段自走しない子が自走している。疲れているだろうに「ママダッコー」とグズらず一心不乱に本館を目指して競歩している。わたしは何百回目か知れない『涼さんありがとう』を念誦して、そこにいるかも知れないしいないかも知れない涼さん目指して歩を進めた。

本館に入ると展示室の入口で、スタッフさんが「奥へどうぞー、井上涼さんがいらしてますー」と親切きわまれりのアナウンス。親切さにビビるわたしの手を引き、子どもは「リョウサアアアン」と泣きそうな声で囁きながら走り続ける。ああ、この子、生まれて初めて急いでるよ。

風神雷神インタラクションを抜け、廊下を走り、松林図ライブ会場を抜け、蒔絵に続く廊下に出ると、人垣ができていて、でも涼さんは見当たらなかった。スタッフシャツを着た人はいるけど。涼さん配信終わってしまったのかな、とスタッフさんに尋ねようと近づいて「あの」と話しかけたら、涼さんだった。

(※相貌失認の真価を発揮)
(※近くにいた方ほんとごめんなさい)

しまった配信中に話しかけてしまった!と思い謝って下がろうとしたら、「だいじょぶだいじょぶ、ちょうど途切れてたからー」と涼さんは知り合いに話すみたいに話してくれた。そして「いくつ?おなまえなんていうの?」と子どもにきいてくれた。それまでリョウサアアンと連呼していた子どもが押し黙る。

「あんまり近づけないし、握手とかもできなくて、ごめんね」としつつも、固まったままの子どもの名前を呼んでくれて、わたしに「あ、撮っていいですよー」と言ってくださり、子どもに「ほら、撮るから、あっちみてー」とお目線ガイドまでしてくれて、写真を残してくださった。

非常に恐縮なので丁重にお礼を述べてズザザと距離を取り、ギャラリーの背後に移動した。子どもはずっと黙っている。「涼さん会えたね、夢叶っちゃったね」と言うと、うるんだ瞳を細めて「アエタ。ウレシ」と震える声で言った。

子どもはその後、夢心地な様子で「びじゅチューンメドレー」を口ずさみながら電車で眠りに就いた。帰宅してからも終始ご機嫌に叫び続け、「涼さん嬉しい」と全身を震わせ、本日の配信を遡って視聴し、涼さんの世界を逍遥して宝物のような一日を満喫した。

古今東西の芸術を独自の解釈で1分半のアニメに昇華する、異色のクリエイター・井上涼さん。その制作物だけでなく、生き方に、立ち居振る舞いに、紡ぐ言葉に魅せられるファンはとてもたくさんいて、みんな、とても心酔していて、そして、とても幸せです。

井上涼さん、ありがとうございます、心から。

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