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【Mt.FUJI 100】20代最後に表彰台に乗ろうとしてDNFした話

3年連続3回目の出場となるこの大会は、北麓公園エイド(約100km地点)でのリタイヤとなりました。
過去2回と比べても(それどころか過去15年のランニング人生の中でも?)一番練習を積み念入りに準備をしたつもりだったのですが、100マイルレースはそう甘くありませんでした。

忘れないうちに今回のレース展開や、そこから見えてきた自分の課題などをしっかり残しておこうと思います。
1年前のレース後もnote書こうと思ったけど下書きの途中で力尽きて終了してしまったから、今回は頑張って書きあげるよ。

レース前まで

直前期(4月)練習内容

※3月までにどのようなトレーニングをしてきたかは1つ前のnoteに記載

4/1〜4/7    :70.8km、累積標高1206m
4/8〜4/14  :58.9km、累積標高1603m
4/15〜4/21:35.9km、累積標高205m
4/22、23は完全休養。4/24(前日)は3kmジョグ

3月までは距離も標高もゴリゴリに追っていましたが4月に入ってからは少しずつ落とし、1週間の疲労を翌週に残さない程度の練習量に留めていました。直前までしっかり山や階段で練習を積まれている方の投稿を見ると焦るけど、とにかく我慢。
脚の疲労感や痛み、身体の不調は一切なく、良い状態でした。

レース当日~スタート前

時間は覚えていないけどアラームはかけずゆっくり起床。
朝食はいつも食べているスクランブルエッグとご飯、R1ヨーグルト。
木曜日は丸1日の有休を取っていたので、必携品を改めて確認したりしてのんびり過ごしていた。

他の人のように綺麗に並べられていない
どんだけ青なの

昼は近所のパスタ屋でボロネーゼ大盛を食べた。
練習量を落としていたせいか、はたまた緊張か、全然食欲はない。
食欲なくたって何でも食べれる体質ではあるけど、いつものようにバクバクたくさん食べようって気分にはならなかった。

その後14時ごろにサポーターと合流。
2022年、2023年のFUJI(UTMF)でもサポートを務めてくれたしのちゃんに今回もお願いした。彼は学生時代にUTMBを完走しているすごいランナー。
最近赤ちゃんが生まれたばかりで大変な時期に、わざわざ有休を取ってまでサポートを務めてくれて本当にありがとう。

一旦家に戻って荷物を確認し、去年のグレートレースを見ながら時間を潰した。そして15時頃に出発し、16時半くらいには会場着。
EXPOで買い物したり写真を撮ったりしつつ事前受付も済ませた。

サポーターのしのちゃんと
富士山がきれいに見える最高のタイミングだった

その後は一緒の車でスタート会場まで移動するペヤング、西山さん、りささんと合流し、近くの藍屋で夜ご飯を食べた。
とんかつ定食のご飯大盛にしたが、これ普通盛りじゃね?って思うくらい少なかった(笑) 
そこから車で移動して、21時半くらいにスタート会場についた。

昨年までは15時スタートだったので、夜の富士山こどもの国は初めて。
例年とは全く異なる雰囲気に、とてもワクワクしていた。

スタート地点の様子
ライトアップされていてとても綺麗だった

0:00のスタートまでは荷物チェックしたりトイレ行ったり仲間と写真撮ったりしてのんびり過ごした。夜だけど寒すぎることもなく、快適な気温。昨年のようにお腹が痛くなることもなかったので、R1ヨーグルトを1週間前から毎日食べて腸の調子を整えていたのが良かったのかもしれない。(10日くらい禁酒していた効果もあるかも?笑)

どんなレースでもスタートまでの数時間は本当にあっという間。
30分くらい前からスタート地点に並んだ。先頭からは4,5列目くらいだったかな。
何度も聴いてきたFUJIのテーマソングが胸に響いていた。

いよいよスタートって瞬間

レース展開

➀スタート~富士宮エイド(25.3km)

例年よりこどもの国エリア内のロード区間が長くなり、総距離も増えた。
序盤のテーマはとにかくゆるゆるリラックスして飛ばさず走ること。走りやすい林道が続くけど決して飛ばしちゃいけない。
ATGでも一緒に走らせていただいた岩垂さん(最終的には総合14位)の後ろ姿が見えたため、少し後方からつかせてもらうことにした。
トレイルの鉄塔区間では鷹丸さん(最終的に総合10位入賞)と一緒に走り、特に脚の違和感もなく坦々と進むことが出来た。

水分はフラスク1本ちょうどなくなるくらい飲み、食料はANDOを4,5つくらい食べたような気がする。
富士宮エイドでは水を300mlくらい飲んでからフラスクを満タンにチャージ。クリームパンを1個食べ、トイレに行ってから出発した。

◆富士宮IN:総合53位(2時間19分05秒)※エイド滞在は1分~1分半

②富士宮エイド~麓エイド(27.2km、合計52.5km)

誰しも苦しむ序盤の難所。
標高1330mの天子ヶ岳まで一気に登り、アップダウンのある尾根が続いていく。
天子の取り付きから岩垂さん・長尾さん・鷹丸さんのトレインに合流し、ずっと一緒に登らせてもらった。天子の山頂が近づくあたりから、今回女子総合2位だった清宮さんとも合流した。

雑談しながら天子を登る。
今回のレース中で一番楽しい時間だった。

天子山頂から続く尾根伝いのトレイルでも他の選手と一緒に進んだ。ただ、岩垂さんを先頭に進むトレインは自分にとって気持ちちょっと速いペースで、すこーしずつ離されていくことに。
ただこのトレインに無理してついていくことに大きな意味はないため、自分が快適に進めるペースを守り、一人になろうとも焦らず進んでいった。

ただ、この時点で昨年の余裕度はなく、ちょっとキツイと感じる状態に。
熊森山からロードに降りていくまでのダウンヒルでも後続のの選手に毎回譲るような状態だった。
水はフラスク×2に満タンの状態(つまり1L)で富士宮エイドを出発していた。水切れ対策に実はもう1本の空フラスクを持って走っていたが、思ったより気温が高くなかったことと、富士宮エイド到着時点でも大して汗をかかず水の減りも遅かったことから、3本目に水を入れることはなく走っていた。
1Lの水を切らさないようにチビチビと飲んでいたのは、今振り返ると失敗だった。おそらくこの影響で少しずつ脚のダメージが大きくなってたように感じる。

ロードの峠道を下り終えたあたりで2人のランナーが見えていた(いずれもゼッケン番号は10~20位くらいで、昨年の上位フィニッシャーだということは分かっていた)。麓までは残り3kmくらいという地点からずるずると離されていた。

麓エイドでは水をガバ飲みし、エイドの焼きそばや、しのちゃんが準備してくれていた食べ物を食べた(何をどれくらい食べたかはあまり覚えていない笑)。

この区間で補給したジェルのゴミを出すと、しのちゃんからは「もっと補給したほうがいいんじゃない?」と言われた。
割と40~50分おきに補給していた気がするので足りていると思っていたが、あの区間のあのペースで進むうえでは恐らく水も食料も不足していたのかもしれない。自分は割と感覚で補給するタイプだったが、もっと厳密に考えて、自分が思っている以上に早いペースで補給しないといけないと今になって思う。

◆麓エイドIN :6時間04分04秒(総合40位)
◆麓エイドOUT:6時間11分36秒(総合41位)※エイド滞在7分32秒

③麓エイド~精進湖エイド(18.2km、合計70.7km)

麓を出た直後も数人に抜かれた。
ただ、竜ヶ岳の登りでは別の疲れている選手を抜き返すことができ、悪くないペースで進んでいたと思う。
ただ、この竜ヶ岳のつづら折りが登りも下りも長すぎてちょっとしんどかった。その分、富士山の眺望は最高だった。写真撮る余裕はなかったけど。

竜ヶ岳を降りて本栖湖周辺のロード&林道を走る区間は割と調子よかった。両太ももの痛みは既に結構強かったけど、痛みを抱えつつ気持ちよくジョグが出来ていた。
結果的に、麓エイドまではちょうど計画通り、精進湖エイドまでは10分短縮するというペースで進んでいた。
精進湖エイドではスープパスタを食べて、水も食料も色々補給した。
このエイド出るときはめっちゃ元気だった。

◆精進湖エイドIN :8時間48分59秒(総合41位)
◆精進湖エイドOUT:8時間56分37秒(総合41位)※エイド滞在:7分38秒

ほら元気そう


④精進湖エイド~北麓公園エイド(26.7km、合計97.4km)

エイドを出た直後はダラダラと5kmくらいロードを登る。ここで山本諒馬選手を追い越した。インスタではいつも活躍を見ていたものの、直接お話しするのは初めてで嬉しかった。

ロード区間が終わると足和田山のトレイルに入る。
急登はないもののこれまたダラダラと登る林道的な道がずっと続くため、ここでかなりの体力を消耗した。昨年までは夜のうちに通過する区間だったため先が見えなかったけど、今回は良くも悪くも先の道が見える状態。もうそろそろこの区間のトレイルも終わりかな、と思ったらまた先に登る山が見えてくる。それがとにかく辛かった。前後には誰もいない単独走の状態で、登りは基本は知らず歩き通した。
平坦なトレイルや下りは出来る限り走ろうとしたけど、きつかった。

足和田山の山頂から街へ降りるまでのトレイルは、前腿に疲労がたまり、着地するのがとてもしんどい状態だったためあまり走れず、ここで5~6人に抜かれたかな。
そしてロードに出てちょっと頑張って走れば北麓公園のエイドかなーと思っていたものの、何と登りのロードが10km以上も残っていた。ここの絶望感は本当に大きかった(たぶん他の選手も全員そうだったと思うけど笑)。昨年からのコース変更点をあまり気にして事前チェックしていなかったのも反省。
既にほとんど走れない状態となり、水も残っていない。
途中にあった自販機で水を買っている選手もいたけど、自分は現金を持っていなかった。
富士スバルラインというとんでもない直線の登りも当然ながら走ることはできず、辛すぎてサポーターにLINEしたり、妻に電話したり。
もう既にこの時点で心はほぼ折れていた。
そしてこのあたりで、同じくニューヒーロー賞を目指して出場した大西元気くんが総合4位5位くらいで、コートニー選手と一緒に走っているという衝撃の情報をもらった。彼凄いな、、、とても自分が敵う相手ではなかったのだな、、、という思いになり、更に落ち込んだ。

やっとの思いで北麓公園に到着。
地面に横たわり目をつぶった。もう既に走ることはおろか歩いて進むのもキツイ状態で、リタイアを考えていた。

しょうさん応援ありがとうございました。
明るく応えることはできなかった・・・

歩いていたら復活するかなと思い、北麓公園を出て3,4kmくらい進んだのかな。骨伝導イヤホンで芸人のラジオ聞いて気を紛らわそうとした。
けれど脚の痛みは強まる一方で、歩くのもしんどい。何回か道路のわきで立ち止まり、座り込んだりもした。
これくらいきつくなってくると、車と事故ったり滑落したりしたほうが楽になれるなーという最悪な思考になる(いや、俺だけじゃないよね笑)。

そして、妻やサポートとやり取りしているグループLINEでリタイアを伝えた。

この時はDNFの悔しさよりも
支えてくれた2人への申し訳なさが一番大きかった

ということで自分のMt.FUJIは約106km、時間にして15時間26分という短い道のりで終わりを迎えてしまいました。

◆北麓公園エイドIN:12時間43分01秒(総合52位)
◆北麓公園エイドOUT:13時間25分22秒(総合62位)※エイド滞在約42分



レースを終えて

DNFしたことについて

1年近く時間をかけて準備してきたレースだったにも関わらず、自らDNFすることにはあまり迷いはありませんでした。そしてレース翌日や、今noteを書いてるレース2日後になっても脚の痛みは強く、あのままレース続行は厳しかっただろうなと思います(特に怪我などはありません)。

ただ、あの後諦めずに進み続けていたら復活したりしたのだろうか・・・

ちなみに私が目指していたニューヒーロー賞は最終的に以下のような結果に。

ニューヒーロー賞
受賞者:水谷冠太選手
順位:男子31位
記録:26時間06分10秒

自分が潰れていた北麓公園エイドには数分後ろで入っていたらしい。
最後の富士吉田エイドからゴールまでの区間でも順位を上げており、すごいとしか言いようがない。

「もしあの時レースを継続していたら・・・」というたらればを考え始めても全く意味はないけれど、決して自分に手が届かなかったタイム・順位ではないように思うので、それを考えるとどうしても悔しさが募ってしまう。
心臓がバクバクするくらい悔しい、悲しい。

けれどこれはペース配分や補給のみならず、気持ちの強さやレース全体のマネジメントとか色々なものを上手くはめられるからこそ出せる結果。
自分にはそれができなかったまで、言い訳など何もできない完敗。
自分はFUJIに負けました。

※ちなみにコートニーと走っていた大西元気くんは二十曲付近?でDNFになっていたらしい・・・総合入賞ペースで120km以上走ったのは本当に凄い。何かの機会に一緒に走れたら嬉しいな。

課題・反省点


  1. 水も食料も足りていなかった。もっと計画的に、もっとたくさん

  2. 自分が思うよりもっとペースを抑えるべきだった。

  3. あれ、そもそも長いロードを走る脚ができていないんじゃね??

  4. 昨年までのレースと開始時間が変更になったことで、昼夜の感覚がちょっとおかしくなっていた。

  5. 心が折れた後にどうするかをもっと突き詰めて考えるべき。


◆1:補給について
昨年のこのレースでは各エイドごとに水1Lを一気飲みするというルールでやっていた。あまり細かいこと気にしない脳筋プレーだし万人にお勧めできるやり方ではないけれど、結果的にはそれくらい水を採るべきだった。
気付かぬうちに脱水になっており、それが脚の強い疲労感に繋がっていたのかも。

また、食事についても不足していた。
今年も一緒にFUJIに出場したペヤングの話によると、あの万場大選手は20分に1回のペースで100kcalのジェルを摂取しているらしい(だから各エイはザックがジェルでパンパン状態で出発する)。ペヤングもエイドでコーラやパン、おにぎりを大量摂取しているとのこと。
※食べ物ばかりで混乱しそうですがペヤングはカップ焼きそばのことではなく仲間のトレイルネームです笑

自分は昔から陸上やマラソンをやっている割にランナーらしい細くて軽そうな体形にはなれず、筋肉質でがっちり目の体系です。
体重だって重い分、平均的な100マイル完走者と同じ量だけ食べていたら間違いなく足りなくなる。過去2回もこの大会に出ておきながら、そんなシンプルなことへの意識が回っていなかった。

◆2:ペース配分について
23時間切りという目標設定で各エイド間の走破時間も計画していた。
だからと言ってこまめにウォッチ見てペースをチェックするようなことはしていない。細かいペース調整こそ負担になるということは分かっていたから、自然体で、今の自分がある程度楽に進めるようなペースで走り続けていた。
ただ、100マイルレースであればもっともっとペースを落とすべきだった。
なんかちょっと遅すぎるかも、、、ってくらいで良かったはず。
目標設定としては25時間とかにしておいて後半に余力を残し、結果的に目標を大きく上回るタイムでフィニッシュするという計画にすべきだった。

これも、去年や一昨年のレースでは無意識にできていたこと。今よりもっと経験値がなかった分、もっと謙虚な目標設定ができていた。

◆3:長いロード耐性がない
他のトレイルランナーと比べてロードは得意という意識を持っていた。
中学から陸上を始めて、大学以降はずっとフルマラソンをメインでやっていた。
だから他の100マイルレースと比較してロード区間が多く、”走れる”レースということでFUJIは自分に向いていると思っていた。

その考えは別に間違っちゃいないはずだけれども、フルマラソンより長い距離でもうまく走れるかというと決してそんなことはなかったのだ。
自分は過去100kmのウルトラマラソンに4回出場していますが、実は一度たりともうまく走れたことがない。
※2回は60km付近でDNF、他の2回は完走はしているものの70km以降で脚が完全にストップし、死に物狂いでゴールにたどり着いた。

今回のFUJIのDNFは、自分がウルトラマラソンをうまく走れない原因とも繋がるような気がしています。昨年出場した隠岐の島ウルトラや秋田100kmでも脚が止まってしまったが、今回も同じような感覚だった。

フルマラソンはそこそこ走れるせいでロードは得意と考えていたけれど、実はその前提は大間違いだったんじゃないかと。苦手なウルトラマラソンに向き合わなかったことが今回の失敗の一因になっていたんじゃないかと。

今年3月に一度、80kmを超えるロングジョグを実施したのですが、そういう練習をもっと増やしたほうがよさそう。

こういうの毎月やろうかな
月例100kmとか

◆4:昼夜の感覚の違い
15時スタートだった昨年までは、自分のペースだと足和田山を下りたあたりから少しずつ夜明けになり、忍野を通過するあたりですっかり日が昇っていたような感じ。だから、序盤が終了して夜が明けてやっと中盤戦だーって気持ちだった。
一方今年は0時(夜中)スタート。早く朝が来るということで、ナイトトレイルが好きではない自分にとっては有利な時間設定だと思っていた。
けれど実際には麓~精進湖あたりですっかり夜が明けて、まだまだ序盤であるはずにも関わらず、何だかもう後半戦に突入みたいな感覚になっていた。
それが序盤のオーバーペースに繋がっていたような気もする。
(これは対策が難しいところではあるけれど。)

◆5:心が折れたときにどうする?
ここは少し時間をかけて考えていきたい。
自分はメンタルが弱いってことだけは事実。
キツイ、苦しい、辞めたいってなったときにどう立ち振る舞うのか。
本当にレースをやめたほうがよい危険な状態と、実は表面的にきついだけでもう少し頑張れば復活するという状態があると思う。
前者だったらもうしょうがないけど、いつも諦めていては後者のまだ可能性のある状態を拾い上げるということが出来なくなってしまう。

これは色々な人の考え方や戦い方を知って、もっと強いメンタルを作っていきたいところ。

また、これは単にメンタル強くするという根性論的な話に限らない
レース後のSNSの投稿や報告会での仲間の話では
・必携品のテーピングを前腿に貼ったら痛みが引いた
・道端で1分寝るだけで割と復活した
といった情報もあった。
こういう状態になったらこれをやる、という具体的な対処法の選択肢が少なく、結果的に諦める決断をするのが早くなってしまった。

総括、今後について

自分はランニング歴でいうと15年以上、トレラン歴は3年ちょっとくらいだか、今回の結果は過去一番のレベルで悔しい。

自分なりにたくさん練習して、準備も積んできて、大きな目標を恥ずかしげもなう周囲に公言してきた。
目標を発信するのはめっちゃ怖い。マジで怖い。できるならやりたくないかもしれない笑
だって達成できなかったら恥ずかしい気がするし、そもそも自分に見合った目標なのかも全然分からない。

けれど、目標を周囲に伝えることで色んな人に応援してもらえたし、何より自分に対して「ニューヒーロー賞は単なる理想や憧れじゃなく、ガチで目指す目標なんだぞ」と意識づけることができた。

結果的に目標は達成できずとても悔しいけど、やっぱり目指してよかった。この高い目標目指して頑張ってきたからこそ、フルマラソンのPBを6年ぶりに更新して、ATG優勝できて、これまでよりもっとたくさんの人に支えてもらえるようになった。

失敗とか後悔から
「覚悟すること」を学んだ
逃げられない苦しみに
悲しみに勝つために
大きな夢をひとつ持ってた
恥ずかしいくらいバカげた夢を
そしたらなぜか小さな夢が
いつの間にか叶ってた

福山雅治「生きてる生きてく」

今回のDNF。
トレラン始めてこれまでなーんとなく上手くいってきたような気がするけど、これ以上は通用しないんだぜと学んだ良い機会だったと思います。

嬉しいことに、トレランは年齢に関係なく努力量やマインドセットでどうにでも上位を目指せる競技です。
西村広和という私が憧れるランナーはUTMF第1回大会の時に31歳で総合82位ですが、その10年後の2022年には41歳で総合優勝を果たされています。

自分は後5か月くらいで20代が終わるけど、トレランは40代でも50代でも高みを目指せるスポーツ。
ようやっとトレラン歴の序章が終わった程度に気楽にとらえて、これからまだまだ続く挑戦に向けて頑張っていきたいと思います。

来年出るかは分かりませんが、FUJIは必ずリベンジします。
いつまでやるかというと、自分があの表彰台に乗るまでです。総合入賞してあの高い高い表彰台に乗るまで、必ずFUJIはやり続けます。

俺はこのレースを、この悔しさを忘れんぞ!

Xにてhiro.Tさんが投稿されていた内容
自分にとても刺さりました。

次の喜びに向けて、一旦脚を休めてから、また走り続けたいと思います。

また必ずやるぞ!
その時は笑顔でフィニッシュゲートをくぐれるように。






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