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喧嘩するほど仲が良いの正体とは?

「喧嘩するほど仲が良いってことだからそこまで気にしなくて良いんじゃない?
喧嘩出来るってことはそれだけ互いに本音でぶつかり合えてるって証拠だよ」

なんて無責任な言葉だろうか?
喧嘩して良い気になるものなんていない。
それが本当に仲が良い証明になるのだとしたら、人間関係なんて本当に必要なのだろうか?と疑問に感じる日々を過ごした先に、いや待てよ?喧嘩とは自分勝手な感情と感情のぶつかり合いなだけであって、自らを制御出来ない者が正当化した結果"本音のぶつかり合い"と表してるだけなんじゃね?
と、解釈するに至る。

そもそも喧嘩の発生源とはなにか?
個人的には、

・相手に期待した結果とは全く異なるものが返ってきた反動から怒りに変換されたもの

・己の価値観で解釈し続けたシコリが肥大化し爆発した反動の怒り

・余裕が無い理由を他責に変換し他人に怒りをぶつけることで解消したいと願う自分勝手さ

喧嘩の起爆剤とは、常に己の中にある。
この部分を理解して上手い具合に咀嚼し自分自身に落とし込めれば、そもそも喧嘩は発生しない。
よって、喧嘩が発生しやすいということは、双方か互いが己の問題を対象にぶちまけて解決させたいと願う"未熟さ"にある。



では、この未熟さを成長させるにはどうすれば良いのだろうか?

それは、"己の怒りの沸点の理解"が1つ。
もう1つは"己の器を増幅させることこそ魅力において重要なポイント"という2点を理解することこそ成熟に繋がるとは思っている。

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