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道に迷った時にこそ問われる。それが真価

僕たちはなぜかゴールに向かっていた。

人生というものはスタートした瞬間から、誰しもがゴールに向かって歩んでいく。それは不変の真理であり、ランニングレースにおいても、スタートしたなら、ゴールに向かうのは至極当然のことだ。

しかし、スタートから間もないのに、ゴールに着きそうとなると、いかがなものだろう。レースとしてのドラマが生まれる前に、ゴールの瞬間を迎えそうだと、何かダメな気がするはずだ。

1週間前に走った愛媛のトレイルレース「鬼ヶ城ピークストレイル」で、僕はまさにダメな展開をたどっていた。それも自分だけでなく、後ろに3人を引き連れて。

山中の分岐でコースを間違え、いつの間にか登ってきたルートを勢いよく駆け下りていたのであった。こんなに下るコースだったろうかと、わずかに疑問に思ったものの、考えると疲れるのですぐに思考停止。体調がよくなかったこともあり、消耗は避けたかった。

そのまま進んでいたら、後ろのランナーに声をかけられ、ようやくコースロストしていたことに気づく。すぐに足を止めたものの、テンションの下がり方にブレーキはかからない。

地図を確認すると、コースを間違えた地点まで戻ると往復で5kmほどの距離損、500mの登り返しになる。

これくらい、ウォーミングアップかなと虚勢を張るが、不調だと地味にキツい。
花粉症にも関わらず、わざわざ松林の中でリモートワークするくらいにキツい。

さらに2kmほど下れば、ゴール地点である。トップで6時間以上かかるコースが、わずか1時間ちょっとでフィニッシュできる。1人であれば帰ってリタイアしようかとも思ったものの、後続の3人を巻き込んでしまった責任がある。全員で再び走り出した。

上位を狙う3人にしても、少なからず動揺はあっただろう。序盤から、時間にして40~60分ほどの大きなハンデを背負ってしまったのだ。しかし、「いい経験」「頑張りましょう」と常に前向き。その姿だけで、もう優勝である。

人生において、僕たちは道に迷うこともある。その時にこそ、人間としての真価が問われる。その瞬間に新しい道を切り開けるのか、座り込んでしまうのか。
僕たちのコースロストも同じだ。ランナーとしての真価を発揮するのはトラブルに見舞われた時だ。そうだろう?

などと、いいことを言ってる風にごまかしているものの、すべては僕が道を間違えたせいだということを忘れてはならない。戦犯は僕だ。

「ほかの選手よりも長く楽しめて得したよね」とA級戦犯がよく分からないことを言いつつ、2度目の登りを行く。間違えた地点に戻るまでの時間は長く感じられた。

こんな機会はないので、登りが終わったら4人で記念撮影しようと提案され、待ち望んでいたせいなのか、なかなか終わらない。通った記憶のある道を登り直すのは気持ち的にダレていたのかもしれない。

それでも、道を間違えた分岐にたどりつくと、そこからは早かった。正しいルートに乗ってしまうと、まもなく山頂部に出た。眺めのいい開けた場所に立ち、4人で喜びを分かち合う。空は晴れ渡り、みんなの表情も明るい。

そして、この日一番の笑顔で記念撮影。しかしながら、考えてほしい。まだ最初の山なのだ。エモさだけは大作映画のクライマックスシーンさながらだが、レース全体の5分の1を終えたばかりである。

ちなみに、4人が待ち望んでいたこの山の名は「四本松」。4人をマツ。おあとがよろしいようです。

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