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アクアリウムをやり、おまえは神になる


よくきたな。おれはツツ・マキシミリアノ・マリア・コルベ・ウラウラだ。おれは毎日ものすごくかわいいアクアせいぶつたちを愛でているが、ひとつもわけてやるつもりはない。遠藤周作が神の沈黙を叫んで久しいが、おれは割りとけいけんなクリスチャンであり、この洗礼名(ツツとウラウラの間のそれだ)も気に入っている。……神、そう、おまえがメキシコで飢えとかわきにむせび、なにか神秘に祈る時、結果がどうあれそいつはダンマリを決めこむに違いない。それを賛美してもいいし、シットよりきたないことばで呪ってもいい。おまえが何を捧げようが何をしでかそうが、我らが戴くむっつり概念はすべて、むっつり顔で受け止めてくれるだろう……神を肯定する意義はそこにあり、それこそが救いであると……ヘイ、こんな話をしたいわけじゃない。


逆噴射聡一郎を知っているか?

おまえはおれが、とつぜんおかしなかんじで語りかけてきたことに面食らっているはずだ。おれはノードラッグで、まったく沈着れいせいであり、あまつさえ面白いと思ってやっている。これはいわゆるリスペクト、ミスタ・逆噴射聡一郎テキストの作法、そのうわずみをもっておまえになにかを教え伝えようという趣向だ。いま、ミスタ・逆噴射聡一郎のことを初めて知ったなら、おまえのいちばんのお友達:スマッホンで検索し、あらかじめ本物のグルーヴを体感しておくほうがけんめいだろう。そしておれの、初めての逆噴射リスペクトテキストを、あたたかく、おてやわらかに見ていってほしい。なにをかくそう、アクアリウムの話だ。

水族館のほうではない

そう、アクアリウム。アクアリウムもまた紛れもないメキシコであり、祭りの屋台でもしゃれたプロショップでも、とにかくアクアせいぶつを買ってきたその日から、おまえはとうめい(または、非とうめい)な壁に隔たれ、陸のおきてがつうようしない修羅のちまたの運営を強いられる。たとえば、あまり知られていないことだが、いくらウマイからといって、フィッシュにドリトスやタコスを食わせてはならない。シュリンプにも、スネールにもだ。コロナビールに満たされた風呂は病をことごとく癒すが、連中が浸かれば……死ぬ。ひじょうにやっかいで、しかし、どうしようもなく魅力的ないきものたち、それを、双方ができるだけ幸福で、かつ、健康的に共存を試みるいとなみこそ、アクアリウムだといえる。

真の男の水槽を目の当たりにしろ

よく、水が臭くなるだの、すぐにコケが生えたり濁ったりしてきたなくなるだのと言うあほの腰抜けがいるが、適切に管理された水槽を覗き込めば、グランマが精魂こめて耕した畑のような、ネイチュアのかおりに気づくだろう。さらに目を凝らすと、じゅうおうむじんに泳ぎ回り(あるいはゆったりとリラックスし)、溌剌と発色するアクアせいぶつたち、また、ガラスの一枚一枚が瑕疵無く透きとおり、水はとうめいをこえて輝くようであることにおどろくはずだ。おそらくその水槽の責任者は、おまえが家に来る前、パパッとガラス面だけは掃除しただろうが、それも大したことではない、もののすうふんだ。コケは紛れもない水生生物であり、健全な水槽においても生息してしかるべきものだが、ちょっとした工夫と手間で、人間が気づかないレベルにまで抑えられる。そう、ちょっとした手間と工夫が、お前を神にする……愛しく、ささやかで、輝かしい世界の神だ。それも、むくちな傍観者ではない。たえず観察し、分析し、より良い方向へ介入するものだ。おまえの水槽の遠藤周作・アクアティカが、『沈黙』を発表することは無い。

やさしくしろ

前置きが長くなったが、大目に見てもらわねばならない。いま、とにかくおれがたのしいために、適切なぶんりょう配分とか、もはん的逆噴射作法とか、そういうものはためらいなくおろそかにするだろう。オーケー、わかればいい。本題は、いまアクアリウムに興味があるが、なんか小難しいふんいきだし、高くつくかもしれないし、インターネットが広すぎて情報のしゅしゃ選択もままならないし、とモジモジしているおまえに、おれなりのハウツーを提供したい、ということ。くれぐれも言っておくが、以下のテキストを丸々信仰しろということではない。このアクア・メキシコをサバイヴするための、いちるの道しるべになれたらとねがうものだ。


ライブで最初に用意するもの、ハコだ

腰抜けでも思いつくことだが、水槽が要る。ここの選定はかなりじゅうようで、おまえが飼いたいいのち、かけられる手間と費用、運営したい世界のスタイルまで、行動の前によくよく考えることをすすめる。置き場所はどこか?どれくらいのスペースか?飼いたい生き物はでかいか?ちいさいか?たくさん飼いたいか?少しでいいか?水をあたためる、または冷やす必要があるか?おまえがやりたいこと、そのためにやるべきことをあげつらねれば、自ずと適したものが見えてくるだろう。今回おまえは、ヒーターを使用する淡水熱帯魚水槽で、水草の育成を楽しみつつ、〜5cm程度でキュートな生体を、できるだけバリエーション豊かに飼おうとしている、と仮定する。これはこの国において、金魚、メダカの次にポピュラーなアクアリウムのかたちといえる。ここを抑えれば、あとはそれぞれの事情に合わせておうようしていくだけだ。

王道はよく整備されている

おまえのあばら家において、水槽に割くスペースが充分に確保され、今後ある程度アクアリウムを長く楽しむ気概があり、かつ大きな水槽に抵抗が無いのであれば、フチ無しオールガラス製60cm規格水槽(幅60*奥行き30*高さ36)を買うといい。やってみればわかるが、この選択を取れるとそうとう有利に事が運ぶ。入る水量が、多い。水が多ければ多いほど、おまえの世界はタフになる。温度や水質の変化がゆるやかであることは、なににも代えがたい強みであり、少々のやらかしをなんかどうにかしてしまう冗長性が、選択をするだけで降って湧く。初心者にこそ60cm規格水槽がすすめられるゆえんだ。挙げればキリはないが、幅広い用途/スタイルに応えられる汎用性、スタンダードな規格ゆえの周辺用具/機器の充実性、経済性……。こういった恩恵は、この規格から外れるほど、受けにくくなる。60cm規格の加護は、おまえのアクア・メキシコの旅路をあらゆる側面で快適にしてくれるだろう。ちなみにフチ無しなのは見た目がいい事、ガラスなのは傷が付きにくいという理由で、なにか気に食わなければ自由にしていい。ただ、フチ有りとフチ無しではかなり見え方が違ってくること、アクリルは少し拭いただけでも傷つき、白濁していくことには留意しておきたい。

しかし、王道の前におまえは自由だ

無論、先の前提のなにかが引っ掛かれば、他のサイズの水槽にするほかない。1つ言えることは、今回仮定したスタイルを志向するならば、置ける範囲でできるだけたくさん水が入る水槽を選ぶべき、ということだ。もちろん、ミニマルなアクアリウムのスタイルも確立されているし、おしゃれでかわいらしく、手軽で気軽で、ひじょうに魅力的だ。ただ、難しい。水槽がタフでないぶん、管理者のタフさが求められる。おまえが真の男、あるいは真の男へと過たずまいしんする者であれば、それは美しく、繊細で、MEXICOの風が吹く誇り高き世界になるだろう。いつか是非とも挑戦し、ツッイッタアーやインスタグラムーにフィルタ盛り盛りでシェアし、おれをニッコリさせてほしい。

さて、仮定上のおまえは、自室の広さや水槽のサイズ感、形状の好みなどを総合的に考えて、30cmキューブ水槽(幅30*奥行き30*高さ30)を選択した。げんじつのおまえは、おれからいいだけ60cm規格礼賛を講釈されながらとんだ肩透かしをされたと思い込み、今にもブラウザバックをこころみているだろう。おまえの行動はみえみえで、ここがアフリカのコンゴ川水系ならすぐにゴライアスタイガーフィッシュに噛み砕かれ、エビにも慰めてもらえない死をむかえていたはずだ。30cmキューブ水槽は、ある程度の水量(タフさ)と、立方体ならではのオシャレさかわいらしさ、そして手軽さが高いレベルで備わった真の男の水槽であり、仮定上のおまえはけんめいな状況判断をしおおせたと言える。では、次に考えるべきは?

SORRY

正直、長くなりすぎたため、一度区切りをつける。これは真に肩を透かしたため、スキを押したらブラウザバックしてよろしい。ほんとうはうおまとめ記事を書くつもりだった。信じてほしい……。次があるならば、水槽運営における心臓部、濾過について記すつもりだ。これはある程度の道筋はあるものの、水槽選びほどシンプルなものではなく、長くなるうえ、確固たる正解が無いために抽象的な話になる。それでもよければ、なんらかの反応を糧に、伝えられることは伝えたい。ほかならぬ津々浦々をきっかけに、アクアリウムに魅力を見出してくれた善き隣人たちの力になれれば、これ以上のことはない。

さいごに

アクアリウムを始めた瞬間から、おまえはその世界の全責任を負う、一柱の神になる。そこでは過言でなく無数の生命が躍動し、食い食われ、産み育ち、そして死ぬ。それは、見ようによってはおぞましくさえあるものだ。アクアリウムというエゴに、どのような捉え方をしても構わない。水の中で息をする、理解しがたいものたち、それらへ思いを馳せる時間を提供できたのなら、今回の試みはおおむね成功した。次はうおまとめで会おう。どうして、こんなことに……。


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