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私にとっての婚姻届

2022年08月04日
英国に帰国して早い物で1ケ月近く
私と陽ちゃん、2人で役所に
婚姻届を提出、正式受理されました。

彼女の日本国籍は削除されたけど
これで英国人に、凄く喜んでくれました。

私は依然として二重国籍だけど。

8月と言えば、
唯一 愛した方の誕生月
その方の死と共に
人に対する興味を失い、愛を捨てた。

婚姻届を一緒に出した彼女を
愛しているかと聞かれたら
本当の所、良くわからないのです。

2人の在り方に対してケジメをつけたと
お答えするのが 正しいんだと思います。

彼女が 突然、家に来られた時、
彼女自身に
何かがあったんだと直感はしたが
当時の私には
彼女に対しても何の興味も無く
理由すら聞く気にもならなかった。

こうして彼女は私家の居候として
2021年11月 2人の生活が始まった。

当時の私は彼女に対して
一流のモデルだったらしい事と
私の友達と言う事以外、何も知らなかった。
知る必要すら感じ無かった。
しばらく共に生活して
私が下した彼女への評価は
家事、料理全てに置いて “何も出来ない女” 

数ヶ月経って 彼女自身の口から
私への思いを初めて聞き
10年以上もの長い時間、
私を慕い見続けていたのを知った。

私が彼女と初めて知って会話したのは
7年?5年?前、
(ちゃんと覚えてねぇ〜 (笑))
友達のモデルさんに依頼されて
行ったパーティで知り、初めて会話した。
彼女は、同伴した友達に
私を連れて来る様に御願いしてたらしい。
その後、友達として数人で数回出かけた事も
(顔だけ何となく覚えていた)
その程度としての友達であった。

性格上?精神上?
私から人を誘う事などアリはしない。
極端?歪(いびつ)な程に人との接触を避ける。
人に対する興味も持ち合わせてはいない。
そんな物は、
とっくに思考から無くなっている。

“何を考えてるのかわからない”と
言われる事も数百回?数万? (笑)
人との会話では興味がある様に
振る舞ったりもしては居るが・・・

幼少期の頃からの両親、兄弟、学友からの
虐めが尾を引き、13才の時の未だに残る
PTSDを引き起こす事件との遭遇。
愛した たった1人の方との死別。
それらが私の心や精神を破壊していた。

彼女は、当時、当然 そんな事を知る事も無く
時々 倒れたりしてた事で
私の体と精神状態が不安定である事を
知っただけ。

彼女は私に寄り添う事を選択し、
試行錯誤しながら寄り添ってくれていた。
彼女の私に対する思いが
いつ愛になったのかは知らない。

2022年05月23日の最愛の方の命日で
私は彼女の愛を受け入れる決断をした。

2022年08月03日
彼女にとって10年以上の思い
彼女の愛を受け入れた私は
愛が何なのかを
彼女を見ながら踏襲(とうしゅう)し、
私なりに改変する事が必要になって
生き方に加えるべき重大な責務となった。

その一つのケジメとしての位置付け
それが今回提出した 私にとっての婚姻届。

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