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2024年、和装はじめます

あけましておめでとうございます。
2024年は年明け早々各地でいろいろ起こって大変な一年の始まりになってしまいましたね。
私自身は今年が本厄の年にあたるので、本厄だし何が起きても仕方ないという心構えだけは出来ています。

私事だけでいうと、年末から年始にかけて仕事に関して些か不満に思う部分が顔を覗かせ始めていて、(今の仕事は派遣なのですが)仕事変えようかなと考えていたり、本厄だから今の時期に仕事変えるのはどうなのかな、とか考えていたり。

そんなネガティブになったときに意識的に気持ちをポジティブにしてくれるのがしいたけ占い。

ポジティブな言葉選びに定評のあるこの占い。
良いことだけを信じて生きたいタイプの私の心強い味方です。

私は牡羊座なのですが、そんな牡羊座の2024年上半期のテーマが「運命と相思相愛になる。私がやりたいことは、運命が私にやらせたがっていることと一緒!」なんというポジティブさ!運命と相思相愛だなんて!

ということで私のやりたいこと、それは和装

2024年、和装はじめます


着物一式、七千円也

新年早々、思い立ったが吉日!のフットワーク軽女こと私。いざ行かん、新京極へ。

以前から気になっていたお店で、着物が1g1円!?という衝撃を受けたは確か夏頃。
9月に京都に居を構え、去る12月25日、私は北野天満宮で開催されていた天神市へ出かけた。そこで古着着物や帯が1000円が大量に売られているのを見てさすが京都!と思ったのも記憶に新しい。
とはいえ、それを上回る(金額的には下回る)1g1円着物。着物はおおよそ800g前後のものが多いので、実質800円……!?

先に説明しよう!以下が上記写真内の金額内訳である。

着物:4,050円(1g5円の量り売り)
帯:990円
帯揚げ:990円
帯締め:490円
計7,172円(税込)

梅…だよね?

着物は梅のお洒落紋(という呼び名、調べて初めて知った)が入った臙脂色のもの。飾りはこれしかなく、裾や袖には何もないシンプルなもの。
店内には1g1円の着物のほか、1g3円、1g5円のものも並んでいて、私が自然と惹かれたのは1g5円のもの。こういう時だけやたらと良いもの感知センサーが働くんですよね。
そして仕付け糸がついていたので、おそらく新古品だと思われる。

帯は着物に合わせて同系色で見繕った。
金刺繍の施してあるのが好きなのだが、着物との合わせを考えて華美過ぎないものを、と帯が並んでいるところを端から端までくまなく見て見つけた。正直帯だけ部屋に飾っておいてもいいと思えるほどの一目惚れ級のかわいさ。
帯は一律990円。名古屋帯、袋帯、半幅帯、どれでも一律990円。そういえば兵児帯は並んでなかった気がするな…。

着物と帯を選んで、それから帯揚げと帯締めを探しました。
同系色でまとめるか、挿し色に緑を入れて春の装い(桃色×緑色)にするか、と悩んだのだが、彩度の合う馴染みのいい緑がなかったので同系色でまとめました。

中古品の中からこれだけ(無難だけど)まとまりのある同系色コーデ作れた私、天才では???と思ってます。

7000円でこのクオリティをゲット出来たのは御の字。
なにより帯がかわいい。かわいい!(大事なことなので2回言う)

今まで着物を始めるにはまず一式揃えるのに大金が…と思っていたが、そこは京都。中古着物の多さと安さ…!これは敷居が低くなります。ありがたいことです。


1g1円のカラクリ

wargoが1g1円を謳っているその裏側。それはもちろん中古品ということ。
よくよく見ると汚れが目立つものも多く、特に白地や色が薄めのものはシミがよく目立っていた。

調べてみるとレンタル着物をしているところと同じ母体のようなので、いわばレンタル落ちになったものを格安で販売しているよう。

とはいえ、中には私が見つけたもののように、仕付け糸が付いた状態の、いわゆる新古品もある。新古品や「中古だけど美品」を見つけられたら御の字である。宝物探しの感覚で見るととても楽しいだろう。


きっかけ

話を戻そう。
2024年、なにも「年が改まったから新しいことがしてみたい」と思って和装を思い立ったわけではない。

ご存じの方も多いと思うが(知らなかった方は改めて今回知ってほしい)、私は京都が好きで京都に移住した。
しかし「京都が好き」というと少し語弊があって、本を正すと「日本文化が好き」なのである。
日本文化と呼ばれるものの大元になったのがいわゆる国風文化。国風文化が花開いていった時代は平安時代だ。着物(和装)という、日本の民族衣装が生まれた時代でもある。

奈良時代までは唐(中国大陸)からの文化の影響が大きかった。しかし平安時代に入って国風文化がどんどんと発展していった。そういう、この国の現代日本における日本たるものの根源にあたる部分がある平安時代が好きなのだ。
平安時代といえば平安京、平安京といえば京都、と連想ゲームのように、数珠繋ぎのようにして私は京都移住に辿り着いたのである。

和装への再認識

物心を覚えて初めて和装に袖を通したのは七五三のときだろう。
写真を見て思い出される、橙色の着物。あれは母が七五三のときにも着ていたそうなので、母方の家系から受け継いでいる物である。

母方の祖母は和装をいくつか所持していて、祖母のところに大島紬があるというのだけははっきりと覚えている。それとは別に、オレンジか黄色系の着物があって、「あまりもかわいらしい柄なので着るなら若いうちじゃないと着られないね」という着物があるのも記憶している。
私が着付けが出来るようになりたいと思うようになったのは、その着物を着たいと思ったころだったように思う。

中学生の頃には、私は母に浴衣の着付けを教わっていた。
半幅帯での文庫結び。これしかできないが、浴衣の着付けだけは出来る。

母が結婚の折の挨拶回りに着たという訪問着(牛車の描かれているピンクベージュの華やかなもの)は、最近では私が友人や兄の結婚式の参列に着ていったものでもある。
和装指定のドレスコードがあったわけではなく、洋装ではなく和装が着たいとこだわったのは私の意思だ。この頃(20代前半)からすでに機会があれば着物が着たいという欲が出ていた。

着物は特別なものじゃない

「着物は特別なものじゃない」というフレーズは、どこかの呉服サイトで見たものだ。もしかしたらもう少し違う言い回しだったかもしれない。
けれども昨今の日本では、和服は非日常になっている。

京都に住んでいると、ほかの土地に比べて和服を着ている人の人口は多くてハードルは下がったように感じる。加えて私自身が和装に興味があってその界隈を調べているので身近に思っている部分もあるだろう。
しかし一般の人はやはり、そこまで身近には感じていないようだ。

だからこそなのか、私自身は「着物は特別なものじゃない」というフレーズになんの違和感もなく受け入れられた。
SNSで和装ファッションを発信している人たちを見ても、着物を特別視しているような人は多くなく、むしろ普段着として親しみをもって生活に溶け込ませている。

私もいずれそういう風に和装との関係が築ければと思うので、2024年の初めにここに記しておく。


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