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シュペルターと歩む15年記 #22

コラム14:心はいつもノータイム


最近は四次元時空やらEvent Horizonなど
宇宙時間に関する学説を引き合いに出したりして
noteを書いていますが、
相対性理論量子重力理論などを本格的に勉強して
宇宙の秘密を暴きたいなどとは露ほども考えてはおりません。

宇宙にだって知られたくない秘密の一つや二つはあるはずなのです。


そんな〇〇理論から導かれる『時間は伸び縮みする』とか、
時間は連続ではなくコマ送りである』などといった
にわかには理解しがたい事すら”ささいな事”に思われるような事件
2015年にあったのです。


それでは恒例の、過去のエッセイ『マンスリー管理職』に
新解釈を加えて送るアレンジ版
マンカン・ジ・アンリーシュド久々に行ってみましょう。


投稿日【2016年3月】

2月最後の週末は会社ジョーソーブへの定期報告書作成が私の当番で、
家で自宅用ノートパソコンに向かいあーでもないこーでもない
頭を悩ませていました。
この報告書は内容より文章改行の位置に気を遣わないといけない、
みんなから疎まれるヤツなんで、会社では当番制
管理職みんなで痛み分散しているのです。

今はMonthly管理職を書いていますが、
こちらは自分の好きなことを書いても良いので
どんなことを書こうかなと、別の意味で頭を悩ませています。

 家にいるってのに報告書の作成で娘と遊んでやれないと、
娘からの父親評価がダダ下がりするので、
奥さんは気を利かせて娘を連れてお出掛けしたりしてくれるのですが、
そんなわけで土曜日も家に1人ポツン

報告書の文章を考えながらだらだら時間が過ぎ、
終わった時には日が傾いていました。

同じ“イヤなこと”(いやいやジョーソーブの皆さん、
イヤではないんです。ただ気が進まないだけで)をやっていても、
決まった時間が経過すれば終わるような場合は時間が長く感じ、
それを完成させなければ仕事が終わらないような場合には
時間があっという間に過ぎてしまうとは、
なんと時間というものは意地悪なのでしょうか?

人が時間に対して感じる不思議さは、
太古から人間の哲学者マインドを刺激するようで、
特に人生時代の移ろいといった観点での時の経過は、
流れる川に例えられがちです。

美空ひばりや、鴨長明孔子までもが
川しか勝たん』と言っているのです。

歴史の証言

 

そうだそうだ時間と言えばこんなことがありました。

昨年末(2015年)12月27日報告書当番でした。
この時は、だからというわけではありませんが、
奥さんと娘は広島県にいるお友達と一泊でお出かけをしており、
やはり一人で家にいました。

報告書を書き終え深夜番組を見ていると、
光速でどこかへ行って戻って来たわけでもないのにもう深夜ですよ!)
NHKで『時空を超えて』という番組をやっていたのですが、
なかなか衝撃的な内容でしたね。

再放送のようでしたので見た人がいるでしようか?

その番組によるとですね、
時間学の父とよばれる J・バーヴァー博士の研究結果では、
なんと時間は存在しないのだそうです。

相対性理論のように
”時間に絶対的な尺度はなく、物体の速度によって長さが変わる。”
などといった生ぬるいものではなく、

時間は存在しない
よって物体は運動しない
過去も未来も存在しない

という恐るべき内容です。

さらに驚愕したのは、 多くの物理学者がそれを認めており ( ! )、
逆にその説に反対する物理学者のほうが
時間は存在する』という証明をしないといけないのだそうです。

 いつの間にこんな世の中になっていたのか⁉

うろ覚えですが、
その証明というのは宇宙から到来する某かの宇宙線の変化を計測して
それにより天体が運動している、
すなわち時間によって位置が変わっていることを立証する
というものであったような気がします。

そもそも何かを計測するということは、
ほとんどの場合”時間と対象となる物理量関係”を把握する、
ということなので、
”ある計測結果が得られることを前提
時間が存在することが証明できる”事を認めたならば、
もうその前提段階から時間の存在を認めていることに
なるのではないだろうか?

逆に計測によって時間が存在しないことが証明できるとすれば、
時間がある”ことによって可能となる計測により
時間がない”事を証明するというのは
矛盾ではないかと思ってしまいます。

まさに『悪魔の計測』

【悪魔の〇〇】といえば一番に思い浮かぶのが『悪魔の証明』

証明することが不可能ないしは非常に困難な証明を悪魔に例えたものだが、中でも『ない』という消極的事実を証明することは不可能であり、
まさに悪魔の証明と呼ばれるにふさわしいものです。

ただしフェルマーの最終定理 
aのn乗+bのn乗=cのn乗、(nは3以上の自然数)
を成り立たせる自然数a,b,cは存在しない

数学者の脳は特別?

これは紛れもなく悪魔の証明といえるでしょう。
だって自然数という数学としては非常に扱いにくい量を対象として
nだけでも無限の数があるのに、
a,b,cそれぞれ無限の数の無限の組み合わせ全てが
定義式を成り立たせない!と証明する必要があるのですから。

しかしフェルマーがこれを予想して約360年後
アンドリュー・ワイルズによって証明されてしまった!

悪魔の証明にとっての悪夢なのではないかと思います。

また私自身が勝手に考えた『悪魔の命令』を加えて
悪魔三兄弟と呼びたい。

悪魔たちの誓い(悪魔なのに正義の味方)

悪魔の命令というのは、従うことが絶対に不可能な命令です。

不可能といっても『死ね』とか『空を飛べ』といった命令ではなく、
人間を超えた能力を持つ超人をもってしても従うことが不可能な命令です。

万能だけどプライドが滅茶苦茶高くて、
絶対に人に従えない人でした。というオチではありません。

 この答は最後に書くとして話を戻しましょう。

 

えーと、どこまで話ましたっけ、
あ~まだ『時間は存在しない』と一言、二言いったきり
脱線しておりました。

それだけでは訳がわからん、という人がほとんどだと思いますが、
番組によると、
連続的に起こっていると思われる事象が、
実は時間軸を持たない静止画のように、
同時並行的に存在するのみ、であるということなのです。

それこそ古今東西過去からに有った、あるいは、
未来に有り得ると思われる無限の物事
同時に宇宙に存在しているということです。

余計に意味わからんわ

こんなイメージでしょうか?
TVは有限の画素を持ちながらもその配列
無限に近い映像を映し出すことができますが、
画素自体の位置が移動するわけではなく
一つの画素が表す状態が切り替わるのみです。

同様に現実は空間中の量子の配列によって
理論的にはあらゆるものが再現出来、
その量子の状態が切り替わっていることで
物質や運動が定義されていると考えることもできます。

ただし、量子状態が時間とともに切り替わるのではなく
我々の接触しうる範囲に同時並行的に存在するというのは
SFに出てくる、並行宇宙を超えた感があります。

量子というものは存在する位置を特定できず、
観測することで初めて確率的に存在が示されるという性質があるので、
量子力学の学者からいうと無茶な理論ではないのかもしれません。

いや最新の重力量子理論では、計測のために量子に干渉することが、
過去に変化を及ぼしている可能性すらあるらしいのです。

まるでnoteを書くことで、
当時のマンスリー管理職があたかも最初から
マンカン・ジ・アンリーシュドであったかのように変化しているが如く⁉

 
量子だろうがなんだろうが、
確かに自分は時間の流れを感じているじゃあないか!
といいたくもなるのですが、
" 1秒前の自分"と"現在の自分"がそれぞれ全く関連ないものとして
同時に存在しており、
"現在の自分"は" 1秒前の自分"より
現在までの1秒分だけ余分に経験した記憶をもっているという
違いがあるということです。


ただこの記憶というか、意識というものも良く分からないものです。

時間のない量子配列のみの世界で”意識”というのは何なのか?

なんらかの意識的なものがあるとして、
時間があるように感じるのは、“意識“あるいは”意識を持つ主体“が、
その静止画パラパラ漫画
アニメーションと言った方が適当だろうか?)のように
順々に移動しているに過ぎないということらしいのですが、
意識が静止画を乗り移る事と、時間が流れる事の違いは何なのか?
また、なぜ話の辻褄の合うような移動の仕方しかしないのか?

一を聞いて十を知るどころか
一を聞いたら十五混乱するといったところだ。

 例え時間が存在するとしても、もとより”意識”については
常々不思議に思うことばかりです。

なぜたくさんいる人間の中で自分という個体の意識しか
意識できないのか?
自分と自分以外の違いはなんなのか?

過去から未来にわたって自分の意識一度きりしか世界に現れないのか?

例えば40億年後にアンドロメダ銀河と我々の銀河が衝突するといわれれば、

ああ、その頃はさすがに自分はもう死んでいるな。と思うのですが

自分の御臨終に際して『あぁ、無事自分の人生が終わってよかったな。』
を最後に意識が消えた後に、ハッと気付くと、
地球滅亡の瞬間に臨んでいるじゃないか、話が違うよー
ということにならないのか、などと
トトム、ポコぞう二代にわたってふと心配になったりしています.
 

銀河が衝突しても、星同士はぶつからないらしいのでご安心を!

番組も終わり、考え過ぎたせいかおなかも減ったので、
Monthly管理職読者の方々にはおなじみの最寄り駅前やよい軒
晩御飯を食べに行きました。(『びきかよ』のお店です)

そこで前々から気になっていた冬季限定力レー鍋定食を注文し、
いよいよカレー鍋到着

シュペルターもビックリ!

スパイシーな匂いがプンプン。さてお味は!?

生唾ゴクリ

さっそくレンゲで最初の牛肉カレー出汁を掬い
今にも口に飛び込もうとするトトム。

このような重要な場面では、ひととき
先ほどのTV番組のことなどすっかり忘れていたのですが、
ふと宇宙が、無数にある並行世界の一つとして
カレー鍋の牛肉とカレー出汁をレンゲで掬った私
カレー鍋の牛肉とカレー出汁をレンゲを口に入れようとする私

そんなくだらない場面までも律儀に用意してくれていると考えると大爆笑

宇宙ご苦労さま

 

多くの学者が、カレー鍋定食のことまで知って知らずか、
時間は存在しないという理論を、真面目に研究しているというのが、
なかなか最新の物理学奥が深いというか
むしろファンキーな分野であると感じたのです。


 ところで、もしこの理論が完全に疑う余地もなく、
正しいと証明されてしまったら
どうするつもりなのだろう。

人間も歴史の存在も、そして未来
すべてが幻想というか量子の配列だというのですから。

 バーヴァー博士の理論が正しかったとしても、
今までの経験から、この先何も努力しなければ
確実に困ったことになるのは周知のこと。

仕事もせずにお金も稼がず、ごはんも食べなくても、
それは並行世界にいる別の自分なので構わない
と思う人は一人もいないでしょう。

学問的に観測される事実はどうあれ、
我々の意志生き方、すまわち“主観”によって
意味づけされた事実が真実であり、
その真実は変わらないということです。


そういえば『悪魔の命令』ってなに?という話題が残っていました。

私の命令には絶対に従うな!』という命令です。

はい(英語ではこういうときNoと言いますね)と答えて、
命令に従わなければ、すなわち『命令に従うな』という
命令の内容には従っていますが、
その従うなという命令の意図には従わなかったことになりますし

いいえ(Yes)、従います!と答えて、
”自分の言う事に従うな”という命令の意図沿ったと思ったところが
命令に従うなという内容には従っていないことになるのです。

ややこしくて、3回くらい書き直した後
もう一回見直して、さらに修正してしまいました。

単なる言葉遊びと言ってしまえばそれまでなのですが、
次のようなことを思うのです。

たとえばあなたが創意工夫努力を積み重ね、
自分の目指す道で大成功を収めたとします。

そんなあなたに、あなたと同じ道を志す後進に向けての
講演をしてほしいという依頼がきます。
後進にどんな言葉を掛ければ良いでしょうか?

自分の考え方ややった通りのことを、
素直に実行すれば必ず成功する。
とはさすがに言いにくいでしょう。
実際同じことをやっても、皆が成功するわけではないでしょうから。

では自分はこのようにやったけど、
あなたにはあなたに合うやり方があるでしょうから、
この話はあくまで参考として、自分でやり方を工夫してください。
がいいのでしょうか?
確かにそれが妥当なところかもしれませんが、
講演としてはあまり良い評価は得られそうにありません。

仮にあなたが成功した一番の理由
人の真似をするのではなく、
自分自身自分に合ったやり方を見つけることであると
強く思っていたとすれば、どう伝えればよいのでしょうか?

これを正直に表現すると
『自分はこのようにやったけど、
あなたたちは自分の言う通りにはしないでください。』

という『悪魔の命令』になるのではないでしょうか?

それでも講演で聞いたやり方を真似する人
自分の考えを持っていないことになるのでしょうか?

それとも『言う通りにするな!』といわれて、
その言葉に従ってせっかく講演で聞いた良さそうなことを
試さないほうが自分の考えがないのでしょうか?

自分に合ったやり方は人によって、
素直に人のアドバイスを聞くことだったり、
あるいは安易に人の真似をしないことだったり、
人によったり、場合によったりで様々なので、
結局どうするかは自分が決めれば良いわけです。

思うに、自主性が大切と思うのであれば、
人に何か教えるように頼まれた場合には
自分はこうした。という”自分の文脈”にだけに触れ、
あなたはこうすべきとかするべきではないという”あなたの文脈”には
触れないのが一番なのでしょう。

まさにこれは聞く人ではなく、
話す人にとっての『悪魔の命令(アドバイス)』なのですね。

後記【2024年】

このnoteでも書いていますが、
時間が存在することを示すデータの計測の方法
どうにもよく覚えていないのです。

NHKの番組が動画になっていないかな?と
J・バーヴァー NHK 時間は存在しない
で動画検索したのですが、まったくヒットしないんです。

”J・バーヴァー”を消して『NHK 時間は存在しない』で検索すると
動画『時間は存在しない』というのがいくつか見つかりました。

なんだあるじゃないか?と見てみるとNHKの番組そのものではなく
【時間は存在しない】という本の紹介です。
そしてその本の作者は我らがJ・バーヴァー

ではなく

カルロ・ロヴェッリ

あれ!おかしいな。と思いつつ動画を見ていると
時間は存在しない】という本がブレイクしたのは2018年なのです。

では私が2015年に見たTVはだったのか?

Noteを書くという干渉をしたことで、
当時のエッセイの文章を書き換えただけでなく、
過去の現実までもが変わってしまったのか?

なんのことはなくJ・バーヴァーで検索すると

『時間学の父で時間は存在しないと唱えた最初の人、
その理論はカルロ・ロヴェッリに引き継がれて完成し、
2018年に『時間は存在しない』という本にまとめられた。』

などと書かれているのかもしれませんが、
それでは味気無いので、調べないとこ。

みなさんも調べないでくださいね。

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