誰と一緒にひとりになるか(自分をその場に留めるために)。
僕の幸せ論の一つ「誰と一緒にひとりになるか」。
図書館で自習はなぜはかどるか(したことないけど)。
良いカフェではなぜボーっとできるか(すぐ何かしたくなるけれど)。
自分をその場に留めてくれる、場所や人や空気。そういうものがある気がします。
そういうとき自分に集中して「ひとり」になれる気がします。
その話をさせてください。
パートナーさんがお出かけのある日。久しぶりの一人ランチ。チーズナンを食べに行く。
熱くてとろっとしたチーズ。口にきゅっとした甘さ。
なのにアレレ。美味しいのに満たされない。楽しみだったのになぜ!
BGMがよく聞こえる。あれこれ頭に思い浮かぶ。
それも悪くはないけれど。チーズナンを楽しみ切れない…!
そんなこと、ある気がします。
この日一緒に誰かといて。美味しいねって話せたら。ちゃーんと味わえた気がします。
頭がどこかに離れて行かず、美味しさに留まれた気がします。ごめんよチーズナン。
旅や写真展も僕はそうです。一人じゃスタスタどんどん通り過ぎる。
誰かとその場に一緒にいて、これ良いねって話せたら。僕だけじゃ通り過ぎるものに目を向けて、味わって、楽しめる。
誰かと一緒にいるからこそ、見逃すことなく感じられる。
頭が自動モードのままじゃ風船みたいに飛んで行っちゃう🎈
すぐ立ち上がって歩き出しちゃう僕の肩に手を置いて「もう少し座っていて良いんだよ」って留めてくれる人や場所。
おかげで全部を感じられて、やっと「自分全体としてのひとり」になれる。
そういうことってある気がします。
誰かといるから「ひとり」になれる。
もちろん誰でも良いはずなくて、一緒に静かになれる人と。よく言う沈黙OKな人。
森の中みたく静かにいて、自分と心を一致する。そうすると。
感じるものがこれだけあって、実はそれが日々日々あって、ならばちゃんと感じていたい。
それでデンマーク時代に日記を始め、この週刊エッセイになりました。
誰かと一緒にひとりになって、なるたけ自分の全部でいる。
すると暇でも大丈夫。僕の幸せ論パートⅡ。暇に弱い現代ですから大事だなと思っています。
その話もまたいつか。
ーーーーーーーーー
毎日の日記も続けて3年になりました。
暮らしのできごと、考えたこと思ったこと、こう考えれば良いかも…
それを暮らしのエッセイとして連載したい。
そう思うようになりました。
日々の中に、自分の中に、こんなにもたくさん感じられるものがある。
僕らの日々こそ、それだけですごいのです。
なるべく感じきりたくて、日記を書いています。
大したことなくて、わざわざ話すほどでもなくて、SNSにも載らなくて、
仕事や新しい取り組みの眩しさに負けがちだけど、本当は話したいこと。
自分しか自分のすべてを知らない孤独。
それを交わせたら、とずっと思っています。
返信しなくて良い交換日記のような、いっしょにいるから言える独り言のような。
人には言えるけど自分にはかけてあげられない優しい言葉のような。
今週の日記から一つとりあげて書く週刊エッセイ。まずnoteに書いてみます。
よければお付き合いくださいませ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?