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「良い消費」より「小さな生産」を。 できるだけ多くの「死なない」のために/メーン会場さん (冷凍都市でも死なない/屋上)


「ローカル」とは何だろうか、と考える。

「地方創生」が叫ばれて久しい昨今、「ローカル」といえば「地方」のことだと思われることがほとんどである。
「地方」といえば、人口が減り続け、狭い人間関係に苦しみがちで、文化の多様性は少なく、息抜きの場として空虚なショッピングモールがある。そんなイメージを持つ人も多いだろう。

でも、本当にそうだろうか?
「ローカル」は、地方だけのものだろうか?
反対に「地方」のイメージは、本当に地方だけのものだろうか?

よくよく考えてみると、人口が減り続け、狭い人間関係に苦しみがちなのは、いまの日本全体の課題でもある。
都会だって、文化の多様性がしばしば課題になる。ディベロッパーが厳重に管理する公共の公園が話題になるなど、都市もまるごと空虚になりつつある。

日本全体が「地方」化する現在。
そんな中での「ローカル」は、「地方」のことではなく、「居場所」のことを指すのではないだろうか?
なんとなく愛着があり、なんとなく帰属の意識を持てる「居場所」。
「ローカル」で「クラフト」することに焦点を当てるメディア・トーチライトの立ち上げにあたり、ぼくがどうしても最初に話を聞いてみたい人が、東京にいた。

ネット上で活動を見ていたときから、彼らの周りには「ローカル」があるように感じた。
土地に依拠しない、それでも確かに「ローカル」と呼べるはずの何か。
話を聞くことで見えた彼らの「ローカル」は、「小さな生産」の活動にあった。

クラフト活動そのものがローカルであること。
その「死なない」活動の現在地について、オンラインで話を聞いた。

(聞き手:さのかずや)


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メーン会場 | 野口羊 (のぐち よう) @ktzgw
「屋上」や「冷凍都市でも死なない」をやっている、フリーランスの編集者兼カメラマン兼ビデオグラファー兼ライター。1994年生まれ。


※今回のオンラインインタビューには、Mozilla社が提供する無料VRチャットルームサービス「Hubs」を利用しました。



家族が寝静まった後、ひとりでジャムをつくっていた学生時代

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ー今日はこんな感じですが、よろしくお願いします(笑)。

メーン会場:よろしくお願いします(笑)。なんか、いいですね。アバターにプロフィール画像貼ってみましたが、何だかわからなくなってますね(笑)。


ーまず、メーン会場さんの1つ目の取り組み「冷凍都市でも死なない」について。一番古い記事が2017年2月のようなんですが、始めたのはそのタイミングだったんですか。

メーン会場:そうですね、そのぐらいの時期に。長い準備期間があったわけではなく、年末か年明けぐらいから始めたのかな。もうけっこう記憶が曖昧なんですけど(笑)。

ー始めようと思ったきっかけを聞かせてもらえますか?

メーン会場:はい。当時シェアハウスで暮らしていて、そのメンバーと2人でつくったんです。そのころ「冷凍都市でも死なない」をつくる前提として考えてたことがあって。

ひとつはある時期まで友達が少なくて、鬱でもないんですけど、暗い気持ちになる、みたいなことが多くて。大学2年ぐらいまで実家から学校に通っていた時期、家族が寝静まってからキッチンで1人でジャムとかつくってて。

ージャム、ですか。果物を煮詰めて……?

メーン会場:そうです。なんですかね、ジャムつくるぐらいが一番手頃というか。簡単にできるものとして身近にあって。それをやってる時間は平和というか、無になれる。だからすごい良いなあと思って。そういう様子をツイッターに上げたら、けっこう見てくれる人がいて、「こういうのは楽しいな」ってことに徐々に気づき始めたんです。

そういう状態から、実家を出て友達と3人でシェアハウスで暮らしはじめたんですけど、みんな料理好きで。そのルームメイトで「冷凍都市でも死なない」を一緒につくってる人が郷田いろはというんですけど、彼女も料理好きで、料理したいタイミングで料理をする、みたいなことをしてて。
なんか単に楽しいだけでやってるけど、実はそれが生活の中ですごい重要なことなんじゃないかなと思うようになって。それによって、それこそ「死なない状態」に自分があるというか。それをやっていることによって生きられてる、みたいな部分があるなっていうのはずっと思ってたんです。

作品をつくるみたいな大層なことではないけど、手を動かしてなんかやってみる。散歩とかでもいいんですけど、なにかやってみることによって、暮らしがそんなに劇的に良くはならないけど、マシになる、みたいなことってあるなと感じてて。ちょうど自分もそれによって生きてるんじゃないか、みたいなことを考えてたんで、「一緒にWebメディアをやってみよう」ということでつくったのが、この「冷凍都市でも死なない」っていうサイトです。

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参考にしたものが2つあって。まずは「男の趣肴ホームページ」っていう超古い、レガシーWebサイトなんですけど。あらゆる物のつくりかたが書いてあって、たぶん全部自分でつくることが趣味のおじさんが、1人でやってるんですよね。食べ物で言えば「白菜漬けをつくる」っていうのを見ると、もちろん白菜漬けのレシピが載ってるんですけど。

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レシピに「塩を入れる」と書いてあって、そこに「塩を手作りするレシピはこちら」ってリンクがあって、塩のつくりかたが書いてあるんですよ。

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塩70g、にがり20ccをとるのに必要な材料
海水 5リットル

そこからやるんだ、みたいな。これだけつくる術があったら物理的に「死なない状態」になれるな、っていうのと、インターネットにこういう情報がまとまって公開されてるのがすごいな、と。これの見た目と内容がいまどきなことをやったらいいんじゃないか、みたいな話をしてました。

あともう1個、存在を知ってすげーいいなと思っていたのが、スチュアート・ブランドという人が1968年にアメリカで刊行した「Whole Earth Catalog」っていう本です。時代的にベトナム戦争とか冷戦とか、世界の危機みたいなものがすごい身近に感じられてた時代だと思うんですけど、そういう時代に生きるための術というか、それこそサバイバルのための道具、自分で学習して生きていくための本、そういうものがめちゃめちゃ紹介されていて。いまって、戦争も身近にないですけど、別の方向性でヤバい時代を生きているというか、ヤバい世界を生きているなみたいな、なんとなく自覚があるんですよね。全然状況は違うんだけども、その中で生き延びていくというか、死なないためにやるメディアとして、これは参考になるなと思って。当時全文PDFが買えたので、買ってパラパラ見てました。

というようなことがあって「冷凍都市でも死なない」ができた、っていう感じですかね。

ーなるほど。「ヤバい世界を生きている自覚」があるということについて、なんとなくわかるんですけど、どういう部分を「ヤバい」と思っているんですか。

メーン会場:僕もそれをうまく説明できたことがなくて。自分の中にも体系立ててそういう思想があるわけではないんですけど。なんですかね……。

生きられている人は生きられているけど、そこから疎外されてしまった人にはめちゃめちゃ生きづらい世界だな、ということはずっと思っていて。それ以外の状態を見たことがないので、あんまり想像できない部分が大きいんですけど。だから自分の中には確固として「こうだから、ヤバい」みたいなことはないけど、うっすら「けっこうディストピアだな」と思いながら生きてるというか。


「生きる」ほど大層でなく、せめて「死なない」ために

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ー「冷凍都市でも死なない」っていうタイトル、ひとめで気にかかる人が多いと思うんですけど、このタイトルを決めるときにどういう議論があったんですか?

メーン会場:いくつか案があって、「生存のための◯◯」とかもあった気がするんですけど。なんですかね、「生きる」っていうよりは、そんなに大きく出られないというか。自分たちのやっているようなことって、そんなに大きいことは言えないなと思ってて。せめて「死なない」ためにやっているというか、消極的だけどもポジティブみたいな。

こういうのつくるとき、いつも思いつく限りの案をめちゃめちゃ書き出して、その中から選ぶようにしてるんですけど、「死なない」っていう感じがしっくりくるなと思って。「ディストピア的な状態でも死なない」みたいなことを言いたかったんですけど、「冷凍都市」はそれを4文字で端的に表現できるワードだと思ったんですよね。NUMBER GIRLも好きなので(笑)。

ー「冷凍都市の暮らし」わかります(笑)。こういうウェブサイトを作った経験はこれまでもあったんですか?

メーン会場:ものすごい昔にYahoo!ジオシティーズで作ったりしたことはありましたけど、ちゃんとWebサイトをつくるのは初めてのことでした。当時はWordPressとか知らなくて。郷田がちょうどコーディングを勉強しはじめで、ひとまずサイトを作ってみる練習みたいなところもあったので、HTML・CSSをほぼ手打ちのめちゃめちゃローテクで作りました。最初のデザインを私が作り、郷田がコーディングをやるみたいな感じで作ったんですけど、メディアというよりむしろ「男の趣肴ホームページ」に近いような。さすがにそれだと更新がしづらすぎて、一時期止まっちゃってたんですよ。更新の仕方を本人が忘れてるみたいな。いまはWordPressになってるんですけど。

ーいちからつくってたんですね。「冷凍都市でも死なない」を立ち上げて、最初の時点から反響はあったんですか?

メーン会場:思ったより反響があって嬉しかった記憶がありますね。「ラムレーズンの作り方」の記事を最初に出してるんですが、それはけっこう反響があった記憶があります。ラムレーズンって自分でつくるものだと思われていなかったせいか。

ーそうした「作り方」の記事は、アクセス数を稼ごう、とか、「ラムレーズン レシピ」でググって引っかかるものにしよう、とかは考えてたんですか?そこはあんまり意識してないようにも見えるんですが。

メーン会場:あー、当時フリーのライターみたいなこともしていて、ちょっとした記事を書いて、数千円もらうみたいな仕事をしてたんですけど、虚無感というか、「この記事、誰が読むんだろうな」って自分で思うような記事を出したりしてて。出しても1日経つと誰にも読まれくなっちゃったりするので、なんか、あんま意味ないなと思って。そうじゃなくて、もっと何年後でも読める記事にしよう、っていうのは、最初からずっと考えてたことではありますね。

SEOとかは全く意識していないんですけど、ツイッターでメディアのURLで検索すると、いまだに古い記事を見て「ラムレーズン作りました」ってツイートしてくれてる人がいたりして。最初から「何年後に見てもいい記事」を目指す前提でつくってよかったな、とその度に思ったりしてます。

ー3年経っても見つかるのはすごい。どうして最初に上げた記事が「ラムレーズンの作り方」だったんですか?ジャムをつくっていたことと関係があるんでしょうか。

メーン会場:個人的に保存食がすごい好きで。保存できる物がめちゃめちゃ好きなんですよ。それこそ「冷凍都市でも死なない」をつくったときのコンセプトとも繋がるんですけど、いま作っても1ヶ月後、1年後食べられるみたいなのが良くて。おいしいものを買っても、食べたら終わっちゃうじゃないですか。でも保存食を作れば、1年後でもおいしい。むしろ1年後2年後のほうがおいしくなってるって、生きる希望だなと思って。

太宰治が、作品の中で「冬に夏の着物を送ってもらって、夏まで生きようと思った」みたいなことを書いていたんですけど、そういうことだなって思って。数年寝かせたラムレーズンしか使わないパティシエもいるらしくて、本当に寝かせれば寝かせるほど美味しくなるんですよ。だからそれを最初に持ってきたかもしれないですね。最初のほうは書いている内容がマジで保存食ばっかりで。煮沸消毒のやり方とか、瓶のラベルの貼り方とか、コルクの栓のとめ方とかを書いてましたね。

ー保存食のあとは、夜の散歩とか、ピクニックとかの記事もありますよね。だんだんメーン会場さん以外の人が書く記事も増えていますが、何か変化があったんですか?

メーン会場:最初はレシピとか載せようと始めたんですけど、それだけやってもあんま広がりがないな、っていうのも思っていて。自分の書きたいことだけ書くならブログでいいんですけど、他の人に関わってもらって、「死なない」ためのやり方、選択肢を広げるってことを考えると、いろんな人に書いてもらった方がいいし、幅広い内容があった方がいいなと思っていて。それでなるべく広げているっていうのはありますね。

ー最初の時点で「こういう人にこういうことを書いてもらおう」みたいなのは決めていたんですか?それとも途中で「次はこの人に書いてもらおうかな」みたいな感じだったんでしょうか。

メーン会場:最初はツイッターを見て、同じようなことに良さを見出していそうな人に話しかけて、書いてもらう、みたいな感じでしたね。あとは「これを寄稿したい」と連絡をもらって記事にしたものも1、2個あったり。最近だと鯛さんという方が夜釣りをやってるのを見て、「死なない」ために釣りをやってる感がすごくて。これはぜひ書いてもらわねばと思って、こっちからオファーしました。

ーなるほど。それはいろいろインターネット見てる中で、たまたま見つけるんですか?

メーン会場:そうですね。ツイッターなんで自然と似通った人が集まってくるというか、フォローしてる人も同じような物に良さを感じる人が増えてくるんで、そこから見つけることが多いです。本当はもっと広げたい気持ちがあるので、「死なない杯」という公募のコンペをやってます。公募にして、誰でも応募できる形にすれば、もう少し幅は広がるかなと思って。2017年と今年(2020年)開催しました。

ー広げたい気持ち。「死なない杯」は、もっといろんな人と関わろうという目的で始めたんですか?

メーン会場:そうですね。「冷凍都市でも死なない」の記事として書いてもらうことより、「死なない」方法が集まって共有されて、それで結果的に世の中の人々が、少しでも「死なない」状態になればそれでいいかな、みたいのがあるんで。より幅広く、よりいろんな人にその感じがリーチして、いろんな人が見てくれる状態になったらいいな、と思ってやってます。書く人も見る人も、もうちょっと遠いところにリーチできればというか。

活動からリアルスペース、「屋上」へ

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ーそうしたウェブメディアの活動から、リアルスペースをもつ活動体「屋上」が立ち上がったのは、どういうきっかけだったんですか?

メーン会場:大学が芸大で、自分は芸術学科という美術史とか美学を学ぶ学科にいたんですけど、あんまり勉強に熱心になれるタイプじゃなくて。むしろ周りの人と一緒にやる、アーティストのサポートというか、イベントの企画、展示のキュレーションみたいなことをやったりする立ち回りが好きだったんで、ZINEとか美術雑誌みたいなやつを作ったりしてて。

あと、作品の記録撮影みたいなことも在学中からやってたんです。作品を作っても記録してくれる人がいないことがけっこう多かったんで、別にそこまで写真が好きというわけでもなかったんですけど、記録する人がいないなら自分がやるか、ってカメラを買って。イベントとか展示の記録を小さく仕事としてやるようになったんです。

そういう仕事がもらえるようになってくると、1人でこなせないものがたまに出てくるんで、それを人と一緒にやったりして。そういう仕事や、「冷凍都市でも死なない」などの活動を一緒にやってた繋がり、それらが一緒になったのが「屋上」のはじまりです。

ーそこから現在の「屋上」に至るまでは?

メーン会場:2018年ごろ、「冷凍都市でも死なない」のきっかけでもあったシェアハウスが解散してなくなるときに、「場所があったらいいよね」ってことを話していて。仕事を一緒にやれる環境としてもいいし、集まれば個人で受けられない仕事もできる。そのプラットフォームとして「屋上」があったらいいよねと。場所を持ちつつ、そこから繋がりが広がるようなものをやりたいよねということで、お店を借りるに至る、みたいなのがざっくりした経緯です。

ーお店「屋上」がある場所は、東京・西日暮里の路地裏のスナックの跡地ですよね。

メーン会場:そうですね。もともと2年間空き家だったボロボロの元スナックを、自分たちで改装して借りてるって感じです。場所をずっと探してたんですけど、ランニングコストをなるべくかけたくなくて。本当にうまくいくかどうかもわからないし、長く実験的にいろいろできる状態でありたいので。でも人が来づらかったら元も子もないから、物件を探しつつ、準備段階みたいな感じで別のレンタルスペースを借りてイベントをやったりしてたんですけど。

そしたら普通に賃貸物件サイトで安い物件を見つけて。もう2年間丸々空いてて、部分的に壁が腐ったりしてて、やばい状況だったんですけど、DIYすれば使えるだろうと。周りに物件をDIYしてカフェにしたり、ゲストハウスにしたりしてる人たちのことを見てたので、これはいけるなっていう感じで借りて始めましたね。施工は2018年の10月ぐらいから始めて、2019年の1月に本オープンしました。

ーオープンも早い段階でというか、最低限直した状態ぐらいで。

メーン会場:そんなに手はかけずって感じですね。壁の石膏ボードはあまりいじってなくて。っていうのも石膏ボードを廃棄物で捨てるのめちゃめちゃ大変なんです。屋上のメンバー、ほとんど誰も車運転できないんですよ。で、近所にロイヤルホームセンター南千住店というのがあって、そこの配送サービスを使うと、便があいていると午前中に買うと午後に届けてくれたりするので、それを使って材を買って。壁紙を全部剥がして、上に塗ってどうにかするみたいな。なるべく最小限の労力で、とはいえ誰も経験なかったんで手こずりましたけど。改築中の様子をツイートしていたら、いろんな人が手伝いに来てくれたりして、っていう感じでやってました。

ーそうして「屋上」に活動体がまとまっていったんですね。


よい消費よりも小さな生産、つくることと根源的な何か

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ー発明家の藤原麻里菜さんが「冷凍都市でも死なない」と「屋上」について書いた記事で「『ていねいな暮らし』よりも切実な『死なない暮らし』」と書いていました。「死なない」という話はありましたが、そういう「ていねいな暮らし」ではない、ということに対しても意識的だったんですか。

メーン会場:どうなんですかね。「冷凍都市でも死なない」を始めてから、「ほぼ日」ぽいって言われることがあったんですよ。それまで「ほぼ日」のこと知らなかったんですけど。「ほぼ日」って<なるべく良い消費をする手助け>のような内容が多い気がしていて。でも「冷凍都市でも死なない」は<生産をやろうよ>っていう姿勢でありたいというか。すっごいちっちゃくてもいいから、生産をやると楽しいよ、っていう姿勢でありたいというか。そこはけっこう違うかなと思ってるとこですね。

ーそうか、「良い消費」じゃなくて「小さな生産」をやろうよ、という姿勢なんですね。

メーン会場:そうですね。

ーなんかすごくわかります。メーン会場さん自身が「つくることに救われた」みたいな部分が学生時代の経験であったんだと思うんですけど。そのつくることの楽しさとか、つくることで死なないでいられるみたいなこととか、そういうことをもっといろんな人に知ってほしい、そういう人が増えてほしい、という感覚があるんですかね。

メーン会場:そうですね、最近「屋上」は何をやっていくべきなのか、みたいなことをけっこう考えていて。つくることって、高度なものがアートとか芸術だと思うんですけど。そういう物って生活には必要ないとされているけど、実は人間という存在の前提条件として、すごい必要不可欠なものなんじゃないかな、と思っていて。

この辺はまだ思考がまとまってないんですけど……多木浩二(1928-2011)という批評家がいるんですけど、彼が晩年にした講義をまとめた本があって。その本の中で「世界はいまもう戦争化している」というようなことを言ってて。

もう戦争が常態化してしまった世界にいるという前提で、多木浩二が話してるんですけど。その中で、哲学者のカントが Kunst っていうことを言っていると。Kunst ってドイツ語で、「芸術」とか「技芸」とか訳されるんですけど。芸術文化としての Kunst と日常生活の技としてのKunst 、その両方を守り抜いていかないと、希望は生まれませんってことを言ってるんです。

カントが本当にそういうつもりで言ってるのかわかんないですけど、Kunst を芸術っていうよりは、人間の日常生活を含んだもっと広い意味で多木は捉えていて。それこそが人間が生活する上での前提条件であると。戦争は Kunst を奪ってしまうが、Kunst がないと実は人間は生きられない。その Kunst を守り抜いていくことこそが、その戦争化した世界を生きていくことだ、みたいなことをが本に書かれているんですね。

ーさっきの「ヤバい時代を生きのびる方法」にも通ずる話ですね。

メーン会場:その辺を読んでいて、つくること、芸術をやることってすごい高尚なことに聞こえてしまうし、とっつきづらい、別に必要ないと思われてしまいがちですけど、それこそが実は人間の存在の前提を作っているのでは、みたいなことを最近考えていて。例えばジャムをつくる、ちょっとしたものをつくる、みたいなことも、そういう意味ですごい重要なのではないかなと思っています。

「冷凍都市でも死なない」で、つくる楽しさを知ってほしいっていうのもあるんですけど、それ以前に生きる上で必要だからっていう、切迫感までいかないけど、もうちょい切実なことなんじゃないかなっていう気がしてます。

ー「冷凍都市でも死なない」を立ち上げた時点でもそうだったかもしれないですけど、同じような活動をしてる人を探して、いち参加者として参加しようとは思わなかったんですか?最初から自分で、自分たちが中心となってやる想定だったんでしょうか。

メーン会場:同じようなことをやってる人って、あんま見たことがないというか。知らないだけなのかもしれないんですけど。スペースを持ってこういう活動をしている、メディアをやっているって、美術の世界やオルタナティブスペースだとけっこうあるんですけど、でもそれって主にアートに限定された活動じゃないですか。「屋上」はもともと芸大出身の人が多いっていうのもあって、そういうものを身近に感じつつ、でも「屋上」はアートじゃないんだよな、みたいなのもあって。アートもやるけど、アートを主なフィールドにしていないというか。

世の中の誰とめっちゃ近いみたいなものも、そんなにない感じがしますね。それよりは「自分たちの場所を自分たちでつくる」みたいなところを重要視していたような気がします。誰かと一緒にやることにはすごく意味を感じていつつ、でも自分たちの場所は自分たちで作っていく、というか。


コミュニティの流動性、ローカルの「共異体」

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ー「冷凍都市でも死なない」から「屋上」のようなチーム、場所を作って、いまは仲間がいる状態だと思いますけど、意識的にそういうコミュニティ、場所を作っていった感じなんですか?それとも自然にできてきたような感じですか。

メーン会場:実は「コミュニティ」的にしたくない、みたいのがあって。オンラインコミュニティみたいな感じには絶対したくなくて。ここのメンバーはこの人です、みたいな感じよりは、もっと流動的な繋がりというか。それこそお店って、人間の関わり方としてすごくいいなって思ってて。

例えばスナックって、お店の人と喋るのが目的だ、みたいになりがちですけど、「屋上」は、来た人が喋らないといけない感じを出さないようにしてて。喋っても喋らなくてもいいみたいな、人がいて、いるだけというか。自分がそのお店に行って、自分以外の人も居て、その人が喋ってたり喋らなかったりしている。自分がそこに存在している感じはあるけど、別に関わるわけでもないというか。かたやガツガツ話しに行くこともできるし、関わり方の幅がめちゃめちゃに薄いグラデーションまである、みたいな状態が理想だなと思っていて。

だから、「屋上」はこの人がメンバーですみたいな感じになってはいるんですけど、その外縁については仕切りを設けたくない、っていう感じですかね。

ー実際「屋上」にふらっと来る人も、「この人ノリがわりと違う感じだな」っていうのもありえるじゃないですか。そういうことに対してはどう向き合っているんですか?

メーン会場:あー、「やばいお客さん来ないんですか」ってよく言われるんですけど、あんま来なくて。1,2回あるんですけど、それは人間なんで。あらゆる人がいて、そうなることを避けられないだろうなと思ってたんで、しょうがないんですけど。それ以外は、この人が店にいて嫌だなって思ったこともないですね。

前に「『屋上』の架空の人格みたいなものがあるよね」って言われて。誰でもないけど「屋上さん」みたいなものが見えるというか。架空の「屋上さん」とウマの合いそうな人が自然と来てくれているのかなあ、と思いつつ。でもそれって、そういう人以外には開かれていないっていうことだから、それはどうなんだろう、と思うこともあって。

そこは悩ましいところでもあるんですけど。実際、普段の日常生活だったら関わらないだろうな、みたいな人もけっこう「屋上」には来るんですね。自分たちが絶対しないような話をしてる人がお店に来たりしてるんですけど、それも嫌じゃないっていうか、別にお客さんだからそりゃそうだろうというか。そういう意味では「店」って、すごい懐の広いプラットフォームというか。例えばサイゼリヤで隣に座ってる人が、自分のバイブスからは出てこない話をしたりしても、そんなに気にならないっていうか、そういう人もいるな、と思って終わりみたいな。

だから、自分も店に立ってるときは、「お店の人」と「お客さん」っていう関係になれるんで、そこで普段の日常生活で関わる機会のない人と関われる場所でもあるというか。だからすごい貴重で、ありがたい場だなとも思ってます。

ー「お店の人」と「お客さん」の多様性。それとメーン会場さんがイメージしている、こうはなりたくないオンラインコミュニティ、みたいなものの違いってどういう感じなんですかね。

メーン会場:もっと同質的な感じがするというか。開かないことによって、秘密感を出しているというか。極端な例を言うと「悪いなのび太、この車は3人乗りなんだ、お前は入れてやんねえ」っていうのがあるからこそ成立している感じというか。誰かを入れないことによって成立している感じがする。そうじゃなくて「屋上」は誰でも入れる状態にしておきたい、と思ってはいるんです。なかなかそれも難しいんですけど。

最近考えてたのが、アーティゾン美術館で最近やってたCosmo-Eggsっていう展示があって。ヴェネチアビエンナーレの2019年の日本館での展示を、帰国して再現した展示なんですけど。そこでは共同体じゃなくって「共異体」っていうものがテーマにされてて、ぜんぜん違う人たち、美術家と作曲家と人類学者と建築家のような、分野の違う、やり方も違う人たちが集まって、何ができるか、どういった共存が可能かっていうことを模索する展示だったんですよね。

それを見て、めちゃめちゃいいなって思って。「屋上」も、共同体というよりは「共異体」というか。世の共同体とされているものも、人間って全員違うんで、完全に同であることがそもそもできないというか。だったら「異なる状態で、どうしていったらいいか」を考えた方がいいんじゃないかな、みたいなことは最近思ってます。それを場の仕組み、運営の仕方にインストールするにはどうしたらいいかな、って。いま考えているところで、まだ結論は出てないんですけど。

ー異なる状態でどうしたらいいか考える、すごいわかります。そういう「誰かを疎外しない」とかを意識した原点は、どんなことだったんですか?

メーン会場:そうですね、なんだろう……疎外しないほうが楽しい、みたいな経験はけっこうある気がしていて。シェアハウスしていたときに、ホームパーティーみたいな企画をよくやってたんですよ。なるべくサイゼリヤっぽい料理を作る会とか、年末年始に「ここを実家とする」って言って、実家として人を呼ぶ、みたいなことやってて。

それをやるときにツイッターで呼びかけたら、知らない人からDMが来て、「行ってみたいんですけど」みたいなやり取りがあったりして。知らない人を家に呼ぶってけっこう緊張するんですけど、意外と関わってみたら楽しかったんですよね。

明らかに怖そうな人は断らざるを得ないこともありましたけど、本当はそういう人ともなんか意思疎通できればいいんだろうなとは思いつつ。やっぱ疎外されたら悲しいと思うんで。でもなかなか限界があるので、どうやっていったらいいかをできる限り模索していきたいですね。

ーなにかの線引きが、メーン会場さんの中にあったりするんですか。ここ超えてくる人は入ってきたらキツいとか。

メーン会場:やたらなれなれしい人とか、すっごい何回もDMを送ってくる人は怖いですよね。普通にコミュニケーションとして怖いなって思って無視してしまう、みたいなことはありましたけど。でも、そういう人もネットでのコミュニケーションのやり方が違うだけで、会ったら別に悪い人じゃない可能性もあるとは思ってて。そこをどうしたらいいのかっていうのは難しい問題ですよね。他の関わり方ならもしかしたら関われるのか、みたいなこともあるかもしれないし。

この前「石の服」ってプロジェクトをやったんです。菊岡みなみさんという石ころマニアの人がいて。めちゃめちゃ石ころ大好きな人で、なんでもないその辺に落ちてる石を独自の着眼点で愛でている人なんですけど。石好きの人が他にも何人かいて、みんな観点が違って。地質学者の人は「地質学的に面白い石」みたいな良さがあったりするし、それとは違う人もいるしみたいな。そんな4人の石を集めて服に印刷して、いまは新型コロナの影響で「屋上」を開けられないから、それを販売することによって「着られるイベント」ができるんじゃないかと思って。買って着ることで、場所がなくてもイベントになるのでは?と考えて実施したんですよね。

それだったらどんなに怖い人でも、買えば対等というか。買って着ればもう誰でも対等の立場に立てる、みたいなところもあるじゃないですか。そうやって誰でも関われるチャンネルを作る、みたいなのはけっこう重要なのかなって思ってます。


経済と責任、「つくる」活動が持続的であるために

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ーメーン会場さんが実現したい形というか、こういうのが理想、みたいなイメージってあるんですか?

メーン会場:本当にいま「屋上」をどうしていこうか、「屋上」とは何なのかってすごい悩んでいるので、頭の中がゴチャっとしてるんですけど。まだ固まりきってないっていうか、考え中なんです。「屋上」はふわっとやってきたんですよね。特に誰が責任者、リーダーみたいなことを決めてなくって。「こういうことをやります」みたいなステートメントも特になく、その状態がふわっと共有された形というか、共有されているんだろうなと思いつつやってたら、意外と認識に齟齬が出てしまったりして。これはいかんな、となって。いま、経済的にも自立性が低いので、その辺をかっちりさせてやっていこう、みたいなことを考えていますね。

ーリーダーが誰とか、責任者が誰とかは意識せず、それぞれがやりたいことをやる、みたいな感じだったんですか?

メーン会場:そのほうが平等な感じがするというか。そのほうが組織としていいんじゃないかと思ってやってたんですけど、でも結局それが良くないっていうことに気づいて。

っていうのも、最終的に「私の責任でこれを決定する」っていう人がいないと、自由に意見を出していくことが難しくて。意見を出した人に対して別の意見をぶつけたら、その段階でどっちを優先するか戦わなきゃいけなくなってしまうというか、ブレストする度にバチバチするみたいになっちゃって、あんま良くないなって。

さっき「共異体」という話をしたCosmo-Eggsでも、みんな異なるバックグラウンドを持っていて一緒にやるっていう展示で、制作プロセスがかなりオープンに公開されているんですけど、そこでも企画したキュレーターが最終的に権限を持っているように見えたんですよ。指揮者的な役回りというか。トップダウンに何かやるんじゃなくって、参加している人とちゃんと関わって、どういう人なんだろうっていうのもちゃんと理解した上で、それを引き出していくアプローチとか、そういう丁寧なコミュニケーションをすごくやっていたように見えて。でもその上で、決定権限と最終的な責任はキュレーターが持っているように見えたんですね。そういう感じのことができたらいいのかなと思っています。

なので、一応私が責任者という感じになって、これからいろいろ考えていこうっていう段階ですね。

ー経済的なことを考えず、ただメディアを運営するとか、ただ場所を共有するだけなら、誰が責任者ということもなく、みんなでやりたいことを出し合って話すことから始まると思うんです。それが責任者を決めたほうが良さそうになってきたのは、経済的に自立していく、仕事としてやっていくことを目指すことによって出てきた課題なんですかね。

メーン会場:仕事か仕事じゃないかみたいなことは、そんなにバキッと分けて考えていないというか。そこはグラデーションだなっていう気もしていて、仕事的なこともちゃんとやるし、仕事じゃないこともできる組織であったらいいなっていうのはあるんですけど。

やったことに対しての見返りが、経済的に保障されてる状態はけっこういいことだな、って最近思っていて。どんなに好きでやってても、嫌だなって思うことが出てくるじゃないですか。そのときに、好きでやってるだけの状態だとそこから続かなくなっちゃうな、と思っていて。ウッて思っちゃったら、もうそこでおしまいというか。即ゲームオーバーになってしまうみたいなところがある気がしていて。

それよりはもうちょっと持続的な組織というか、もっと続くものにしたいっていうのがあるんですよね。嫌だなって思うことが出てきても、経済的な見返りがあるから続けられたり、タイミング的にウッてなったときに経済が繋ぎ止めてくれることもあるんじゃないかなと思って。

ーあー、それもすごいわかります。

メーン会場:さっきも話した通り、「屋上」は、コンセプトとかステートメントを明言してないことがいいと思ってたんですけど、それも違うなって思うようになってきて。繋ぎ止めてくれるものはお金だけじゃないと思っていて、例えばこういう目的があって、これを達成したいから一緒にやろうとか。こうするとこういう良いことがあるから一緒にやろう、っていうのをちゃんと共有できていれば、ウッてなっても、続けられる材料になるというか、それがまた繋ぎ止めてくれると思うんですけど。

そこがやっぱり明文化されてなかったので、もっと明文化しようというところです。いまは「屋上」が我々の生活を経済的にはあまりしっかり支えてくれてなくて、それもよくないなって。自分の暮らしが「屋上」によってしっかり保障されてきたら、もっといろんなことができるだろうなっていうのもあって、そこでももっとお金を稼げるようになりたいなと思ってもいて。

いまのところは、仕事だからかっちりせなあかん、とかよりは、持続性のある組織でありたい、みたいな部分のほうが強いかもしれないですね。

ーなるほど。いまやってる活動を続けていく中で、繋ぎとめられるものが必要になる、と思ったっていうか。

メーン会場:それがお金だったり、理念とかコンセプトの部分、目的意識とかだったりするかも、っていうことを思ってるところですね。

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ー「持続的にしていきたい」の根っこは何なんですかね。例えば選択肢としては、趣味でやるプロジェクトだと割り切って、別のことでお金を稼いだりして、そっちはそっちで居心地よくやる、みたいな方法もあると思うんですけど。

メーン会場:そこを考えていて、なかなか結論が出ないんですけど。なんとなくいま思っているのは、この活動単体で持続的にすることが、自分の生存のためにも必要だからかな、と。ジャムを作る的なことにも近いのかもしれないんですけど、「屋上」をやっていることが自分の「死なない性」を高める材料にもなっているので。それが途絶えてしまうと、「死」に近づくというか。

あとは、自分がこういうやり方で「死なない状態」になれたノウハウというか、実績というか、それって自分だけのものではない。他の人にも適用可能なものはあるんじゃないかなとも思ってて。西日暮里でボロボロのスナック借りてお店やって、何とかそれで生きられている人がいるんだなっていう事実を知ってるだけで、それなら自分でもやれるんじゃないかなって思えるとか。

大げさな言い方ですけど、世界が「死なない状態」に近づくというか、生き延びられる状態に近づくというか……そのために持続させたい、みたいなところもありますよね。

ー死なないための持続。持続のためにローコストで続けていくっていうことを考えたら、東京じゃなくて、関東圏でもいいし、どっか地方で続けていくっていう方法もありますよね?

メーン会場:地方でやってる知り合いもいて、いいなと思いつつ、やっぱ東京は好きなんですね。嫌いな部分もめちゃめちゃあるんですけど。地方でやっていける自信もそんなにないというのもあるし。

自分が埼玉の朝霞出身なんですよ。東京からそんなに距離が離れてない埼玉で。だから東京都民ではないし、田舎っていうほど田舎でもなく、程よく「無」みたいな場所というか。何の特色もなく、都会でもなく田舎でもなく、みたいな場所で生まれ育ったっていうのもあって、地方の良さみたいなものはすごい感じることはありつつ、でも自分が居場所を置けるのは、やっぱ東京なのかなって思いますね。

ーそういう感覚なんですね。メーン会場さんは東京のどこが好きですか?

メーン会場:やっぱ人がいるのが一番大きいですよね。東京みたいな地方があったら、そこに行きたいなって思うんですけど、東京みたいな地方はないですよね。でも、自分が東京のど真ん中でめちゃめちゃやっているって自覚も特にあるわけではないんですけど……。めちゃめちゃ東京らしいことをやっているかといえば、どうなんだろうみたいな。

ーいや、東京らしいと思いますよ。東京じゃないと成立しなさそうな感じはありますよね。

メーン会場:あー、確かにそうですよね。東京的なローカルがあれば、別にそこでも成立する可能性はあるのかなという気がしつつ、他に選択肢がないというか。やっぱ人が来てくれることを重要視してしまうと、そうなってしまうんですね。

でも「屋上」のツイッターを見ていると、東京からすごい遠いところに住んでるんだけど「屋上」のファンでいてくれる、みたいな人は一定数いて。そういう人とも一緒にできたらいいなっていうのはずっと思ってることではあります。

新型コロナの影響でお店が開けられなくなってから、「ワンドリンクチケットシール」っていうのを作ったんですね。ドリンクチケットではあるんですけど、貼ると効力を失うっていう設定にしてて。貼ったらもうチケットとしては使えない。そこで貼ることによって価値を消化できるって設定にしたんですよね。それなら遠くに居ても「屋上」に行くみたいな気持ちで貼るっていうか、「俺はこれを『屋上』に来てドリンクと交換するのと同じ重さで、自分の好きなところに貼る」っていうことができるかもなって。

そういう選択肢があると、遠くに住んでいる人でも「屋上」を身近に感じてもらいやすいのではないかと思ってやってみたんですけど、実際にけっこう遠い人も買ってくれたりして、すごい嬉しかったんです。それこそ新型コロナでお店開けられない状況なので、「地方と東京で同じものが見れる」ようなこともいろいろやりやすいかなっていう気はしてて、そこは掘りがいがある気はしてます。


開くことと閉じること、死なない実践は続く

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ーいま目指しているのは持続的にしていくことですよね。その先、ゆくゆくどうしていきたいみたいなところってあるんですか?

メーン会場:それもいま考え中なので、まとまってはいないんですけど。他のメンバーがどう思ってるかわかんないんですけど、やっぱり社会全体が「死なない状態」というか、なるべく普通に健康的にゆかいに暮らせるようになっていったらいいな、っていうのがあるんで。そのためにできることをやる、みたいな。そんなに大きいことはできないんですけど、少なくとも自分たちが死なずに生きていく方法を見つけていくというか。引き続きそれはやっていきたいなという感じですね。

ー目的のために仲間を集める、ということではなくて、周りの人たちと健康的に生きていくためにやっていく、というような感じなんですかね。

メーン会場:そこはいま、どっちなんだろうなって思ってるところでもあって、けっこう悩ましいんですよね。目的があってそのために集まっているのか、人がいてそこに目的がインストールされてるのか、どっちなんだろう、どっちとしてやっていくべきなんだろう、みたいなことをいま考え直すべきかなって。

いままで「屋上」の活動をメンバーだけでやるとかもあったんですけど、もうちょっと広げたい気持ちもあって。それこそ、お客さんがすごいグラデーションで広がってる感じで、「屋上」のメンバーももっとこう、グラデーション状に広がってもいいのかなっていうことは思っています。完全にメンバーではないけど一緒にやるとか。

ーさっきの「関わり方のグラデーション」の話ですね。

メーン会場:そうですね。いま、WebCMに使う映像を撮るみたいな仕事を「屋上」チームで受託したりしてるんですけど。我々はみんな独学でやっているんですね。ノウハウが溜まって、できるようになってるからやる、みたいな感じで。

そのノウハウも我々だけじゃなく、もうちょいいろんな人と一緒にできたりしたら、「屋上」の輪を広げていくことにもなり得るし、いままでなかった可能性が入り込んでくる余地にもなるし。そういうことをしていきたいなと思いつつ、具体的にどうしていったらいいのかは考え中というか。

ーそれで、例えばめちゃめちゃ映像を作るのが得意な人に仕事を依頼しましょう、みたいな感じには、単純にはならないじゃないですか。広げていくにしても、どういう人と一緒にやっていくとか、広げていくことのイメージはありますか。

メーン会場:まさにそうで、広げるってなると、どこに、誰に広げるのかみたいなところも問題になってくるじゃないですか。「屋上」は開かれた場であってほしい、っていうのは最初から思ってたことでもあって、開かれているほどいいと、いまでも思ってはいるんですけど。それがゆえに誰とやるかを選ぶってことは、誰とやらないかを選ぶことになってしまうじゃないですか。だから、なるべく選択しないようにしていたんです。

なんですけど、それはそれでよくないのかなっていうことも最近思いつつ。でも、誰を選ぶか選ばないかっていう基準をどうやって設けるべきかっていうのは、けっこう難しい問題だなと思っていて。選び方如何によっては、開かれた場からもっと閉じた場になっていってしまうだろうし。何を目的として選ぶのか、そういうところを言語化して考えないとなと思ってますね。だから、めちゃめちゃ検討中という感じです。どうしていったらいいんだーという状態です。

ーオープンにやってるだけじゃダメだという課題意識、適度に推進力を生む内輪感、あたりの意識があるんですか?

メーン会場:そうかもしんないっすね。最近、それは取り入れなきゃいけないなと思い始めたというか。

そのへんは実際、さのさんのトーチの話も聞きたいと思っています(笑)。いろんな取り組みを参考にしたいと思ってるので。

ーぼくもまだめっちゃ手探りなので(笑)持続的にやるための方法はみんなで考えていきたいですね。

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■■■ おまけの質問コーナー ■■■

Q: 人生で影響を受けた作品はなんですか?
A: 「ピューと吹く!ジャガー」

Q: 最近注目しているインターネットの人/メディア/コンテンツは何かありますか?
A: くまきち @kmakici 。

Q: コロナが落ち着いたらオススメしたい「屋上」周辺のスポットは?
A: 丸健青果店(異常に安くて見たことない果物がたくさん売っててEDMが流れてる八百屋)。


■■■ LINK ■■■

メーン会場さん(Twitter)

冷凍都市でも死なない

屋上(Twitter)


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取材・文章/さのかずや
編集/阿部光平菊池百合子
動画/タニショーゴ
音楽/増田義基(Yoshiki Masuda)
アイキャッチデザイン/鈴木美里
協力/屋上冷凍都市でも死なない

制作サポート/東城 佑紀

書籍「トーチライト Issue 2022」発売中


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