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助けることは、できないけれど

 今週の仕事は、いつも以上にしんどかった。とは言っても仕事の内容は、普段となんにも変わらないのだけど。じゃあ何が大変だったのかというと、それはやっぱり「人間関係」なんだよね。

 昔、アメリカのある工場で、ひとつの実験が行われた(急にどうした)。「ホーソン実験」と呼ばれるこの試みでは、『作業条件と生産性の関係』を調べるために、照明の明るさを変えたり、労働条件や待遇を変えたりして、それらが生産性にどう影響するのかを調査したらしい。

 実験からわかったのは、作業条件と生産性の間には、期待していたような相関関係がなかったこと。そして生産性への影響という点では「人間関係」の方が重要だということが示された――らしいけど、そりゃそうでしょって僕は思っちゃった。だって僕らは感情の生き物なんだから。

 作業条件や待遇さえよかったら、何でもやります、がんばりますって人もいるだろうし、それより職場の雰囲気や、自分の気持ちを大切にしたい人もいるでしょう。人参をぶら下げられたらどこまでも走れる馬もいれば、ただ群れと一緒にいたいとか、自由に駆け回りたい馬だって、きっといるよね。

 だから、いくら(自分にとっては)合理的な判断だとしても、それだけで何でも思いどおりにいくとは限らない、って話です。



 職場でちょっと孤立している子がいて、ときどき声を掛けたり、お菓子をあげたりしてるうちに、色んなことを話してくれるようになった。

「自分は一生懸命やっているのに、他の人はおしゃべりばかりしている」
「自分のいないところで、勝手に話が進められたりする」
「相談したって、どうせ誰も聴いてくれない」

 どうしたものかなと思いながらも、僕には何とかしてあげられるような、権限なんてないから。まずは気の済むまで、話を聴いてあげたいと思った。けれど、落ち着くどころか日に日に、内容がエスカレートしていく一方で。

 そこでこっそりと「こんな話を聴いているんだけど」って、相手の方にも話をしてみると、向こうは向こうで「またか」という呆れ顔。どうも前にも同じようなことがあったそうで、そのときも大変だったという話を、延々と聴く羽目になってしまい。仕事とは違うところで消耗していたというわけ。

 何でも話してもらえる、というのはありがたいことで。それだけ関係性が悪くない証拠なんだけど。どちらか一方の味方になるとか、そういうことが目的ではなくて。ただできるだけ、みんなが仲良くできたらと思っている。

 もちろん、職場の仲間である前に、それぞれがひとりの人間なのだから。好き嫌いがあることだって、ごく自然なことなんだけど。そうだとしても、自分の受け止め方ひとつで、世界が変わって見えるときだってあるから。

 相手のことばに耳を傾けながら「こういう考え方もできるかもよ」って、自分も少しはことばにしたいと思う。ただ聴くだけとか、話を合わせるだけじゃなくて。

 助ける、なんて僕にはできないし、何がいいのかだってわからないけど。余計なお世話なのかもしれないけれど。自分でこうしようと決めたのなら、できる限りのことをしたいと思う。あらいぐまタスケル。

撮影ワールド:White Tile/amanek さん



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