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「俺の代わりに稼いできてよ」にモヤる理由


夫に家事育児をしてくれと言うと

「俺の代わりに生活費を稼いできてくれ」

と言われ、妻が言葉に詰まる。

やはり妻には家計を支える覚悟がなかった。


twitterを周回していると、しばしば目にするエピソードだ。

育児に協力してほしいと夫に要求する妻。夫は「やってもいいよ。じゃあ、代わりに稼いできてよ」となぜか得意げに答える。妻は返答に困り、そこで話し合いは終了となる。

「やっぱり女は仕事をしている男の苦労なんて分かってないよね。子供を育てて育てて家のことをしている楽なんだ」と夫が一方的に納得するかたわら、妻は言い切れない悔しさを抱え、それが数年後、数十年後に爆発する。


この手の話を聞くたびに、私はずっと小さな違和感を抱いていた。なぜ妻は言葉に詰まるのか。それは大黒柱になりたくないから、家計を背負う覚悟がないからなのか。他に即答できない理由があるのではないかと。

私も育休復帰前に同じ経験をしたことがある。夫と、これからの働き方について話し合った時、ふと「夫は時短、妻が大黒柱」の案が出た。その時に夫に言われたのだ。「その覚悟はあるんやな?」と。

多分に漏れず、私も言葉に詰まった。違うそうじゃないと咄嗟に思った。思ったものの、それを否定することは「家計を背負う覚悟がない」と思われそうで悔しくて、「覚悟はある」と答えた。けれどずっと、違う、そうじゃない、そういう話じゃないんだと心の心の中で反抗していた。


不思議だった。夫に言われるまでもなく、私が数年単位で家計を担っていた時期があったからだ。結婚してからの数年間、私の方が年収は高かった。家計への支出も多かった。その上でさらに家事のほとんどをしていた。新居探しも、引越しの手続きも、家計の銀行口座の開設もした。婚姻届だって、夫が仕事を休めないというので私が仕事を休んで一人で提出した。

二人の生活に関する細々としたことは私。家事も私。そしして家計支出も私が多い。実質、大黒柱だ。だからこそ、なぜあの時、即答できなかったのだろうと不思議だった。



はっきりしていたのは、大黒柱の覚悟うんぬんを言い出した夫に、私は猛烈に呆れた。呆れて言葉が出なかった。私が大黒柱だった時、夫の仕事や働き方について問うことはなかった。早く帰ってきてくれとも、家事をしてくれとも言わなかった。私の方が多く稼いでいるとマウントをとったこともなかった。夫婦は助け合いだから、私が仕事を休むこともあるし、夫が仕事に邁進したい時もある。上下関係を作るような発言はやめようと、不満も不安も飲み込んできた。その辺りの努力をまるっとなかったことにしていきなり大黒柱発言をした夫に「あんた今まで私が多く家計費出してたん忘れたんか。何か一つでも家族としての義務を果たしてきたんか、してないやろ」とムカついていた。



妻が絶句する、別の理由


話に戻ろう。

妻は「もっと育児に協力してほしい」と言う。
夫は「だったら俺の代わりに稼いできてよ」と答える。

ここで妻と夫の間に、明らかな認識のずれがある。


夫が想定する「俺の代わりに〜」は

「俺の代わりに(育児をせず、家族といる時間を犠牲にして、今の俺のように)稼いでこい」

なのだ。育児には参加しなくていい。その代わりバリバリ働いてこい。、お金を稼ぐことだけに専念して、その重責を担えという意図が見え隠れしている。

そりゃ、言葉にも詰まる。

妻は「夫婦で一緒に育児をする」こと前提だ。夫の提案を受け止めきれず、狼狽える。大黒柱として稼ぐことに、じゃない。育児を捨てることに、だ。

育児のために定時退勤をしたり早退遅刻できない。残業しないと給料が減る。そんな夫側の事情も理解できる。(まあ、この手の事情は当然、妻側にもあり、それでも覚悟を持って頭を下げて仕事をしている妻はたくさんいるので実現不可能ではないはずだが)

それでも妻は一緒に育児がしたい。家族なのだから、親なのだから。それなのに夫は「じゃあ、お前は仕事して。育児はオプションな」ってなる。そうじゃない。



子どもを抱て働く難しさ、育児だけの辛さ


今の日本で、育児の時間をしっかりとりながら、家族全員を食べさせていくのはまあまあ大変だ。共働きでないと家計が成り立たない。それがメジャーになっている。昔のように「夫が一人で働き、妻は専業主婦。マイホームを持って子どもは二人。老後は退職金で悠々自適」は夢物語でしかない。

男女の賃金格差は依然として存在しており、女性一人で家族を養うだけの収入を得ることが現実的に困難な場合もある。一度仕事を辞めて専業主婦になれば、仕事に復帰することのハードルは高い。よい条件の仕事につける人は少なく、「専業主婦をしていた時間があったから」という理由だけで仕事が限られる。子どもを育てながら、あるいは育児にノータッチでも、一馬力で家族を養える女性は男性に比べて少ない。


男女の就労や賃金の差について、私は人の努力うんぬんではなく、あくまで社会の構造や仕組みのエラーだと考えている。私が医師免許を取得して男性と同じだけの収入を得られているのは、私だけの努力ではない。たまたま高等教育に理解があり、高等教育を受けさせてくれるだけの下地を積む機会があり、金銭的にもその機会があった。自分の服を買うことを我慢して、教育費を捻出してくれた母親だったからだ。それは個人の努力ではどうしようもない。


同時に、「育児を一緒にしてくれ」と訴える妻は、少なからず育児に疲れている。一人で育児を担うことが、どれほど肉体的・精神的に追い込まれるか知っている。だから夫一人に育児をさせることに(少しでも情が残っていれば)抵抗を抱く。あんなに辛く、苦しく、孤独な育児を、夫だけに背負わせていいのか。あまりにも過酷過酷すぎるのではないか。それでは、これまで自分に育児を任せきりにして、労わることも省みることもしてくれなかった夫と同じ所業をしてしまうのではないかと。(もっとも、夫に安心して育児を安心して任せられない気持ちもあるだろう。それについては、ここでは割愛する)


育休中の妻は、たいてい追い詰められている。睡眠も足りず、思考を深める時間はない。キャリアに対する不安、育児に対する不安。家庭内でくつろげる時間は少ないし、夫はもはや信頼できない。そんな状況で「よっし!一人で家計を支えるだけの仕事をするぞ!探すぞ!」なんて前向きに考えたり行動できたりはできない。
(おそらく「仕事を探すからあなたが子どもを見ておいてね。生活は少し苦しくなるけど別に仕方ないよね。育児はちゃんとしてね」と伝えたら、同じく夫も絶句するだろう。違う、そうじゃないと)



育児に全振りしろとは言ってないし、育児に全振りしろとも言わないでくれ


仕事のために育児の時間が取れないことはわかる。けれど、よくよく考えると、育児は子供のお世話をすることだけではないのだ。保育園の候補を探したり、見学日を調べたり、予防接種の書類を書いたり、部屋を安全にしたり。毎日お迎えはできなくても、週に一回でも行ってくれれば妻の働きやすさは大きく変わってくる。

育児にフルコミットしろとは言ってない。そんな無情なことは言わない。けれど、少しはあなたの労力と時間を割いてほしい。一緒にできることをやろう、一緒に考えて案を出してくれ、一緒に職場に頭をさげてくれ。仕事をしながらの育児は大変。育児をしながら仕事も大変。どちらも100%望むのは無理だ。なにかを差し出さないと、なにかを得られない。育児と仕事を一緒に背負ってくれ。ともに覚悟を持って、死なない程度の痛みを背負ってくれ。


妻は現実的な妥協を探したい。育児をすることを前提で話をしたい。だから「俺の代わりに稼いでこい」にビックリする。

女性は、出産から新生児育児までが地続きだ。ほとんどの場合、選択の余地なく育児が始まる。「育児と仕事を選ぶ」なんて選択肢はない(もしくは気付けない)。だから「育児か仕事か」と選択できる夫に腹が立つし、なんで自分ばっかりとなる。それでも一緒に育児をしたい。それなのに、その一番大事な根っこが共有されていないことに気づいて「まずはここからなのか」とがっくり肩を落とす。「なんだこいつ」と冷めた目でも見てしまう。


そもそも「大黒柱の覚悟」ってなんだろう?と不思議に思う。人間は機械じゃない。大黒柱だからといって、病気にならない人間はいない。人間である以上、どこかで病気や怪我をするかもしれないし、働けなくなるかもしれない。大黒柱の覚悟を持っていても、ずっと働き続けられるとは限らない。人生は根性だけではどうにもならない。だとしたら、大黒柱である覚悟には、どれほどの意味があるのだろう? むしろ「人間はミスをするし、疲れもする。突然、社会で生きていけなくなる」ことを前提として生活をしていく方が、よほど覚悟があるように思う。



とはいえ、覚悟は持ってもいいかもしれない


ただ、自分と家族を食べさせていく覚悟は持って置いてもいいかな、とも思う。少なくとも自分と子供たちは。その覚悟と自信があれば、まあなんとかなる。

育児をしていると、うまくいかないことばかりだ。労力の割に達成感も少なく、金銭的な報酬もなく、評価もされにくい。そんな環境だから、自己肯定感も自己効力感も地に落ちやすい。実際、私は落ちた。妊娠中から育休中、育休復帰して一年半くらいまでは、自分なんてという妄想に苛まれた。このままじゃ一生、どこにもちゃんと働けないんじゃないか。ちゃんと生きて行けないんじゃないかとばかり考えては、あまたを抱えていた。

だが2年くらい経つと、なんとなく自信もついてきた。それも、ふわふわとした根拠のない自信が。少しずつ積み重なっていく貯金や、読書や、時間とともに。もちろん毎日の生活は大変だし、これからも大変なことはたくさんあるだろう。それでも「まあ、なんとか行けるんじゃない?」と思えるようになってくる。

思考が前向きになってくると、おのずと「養う覚悟」を持てるようになった。1年間の家計の支出を計算して「これなら一馬力でもいけそう」と確認できるようになった。最近では「子どもと2人で転職する」ことも考えている(夫はついてくる気はなさそうだ)。


妊娠出産はイレギュラーの連続だ。慣れたと思えば、また新しい課題が出てくる。さらに仕事まで始まれば、すべてが慣れないことだらけ。カオスだ。自信を失い、考えが後ろ向きになるのも仕方がない。どんな人でも、人生に主体的になれない時はある。嵐のように過ぎ去るのを待つしかない時もある。慣れと時間が必要だ。

「覚悟を持っているか」と問われて絶句した自分を責める必要はない。むしろ勢いで決断せず、違和感を抱けたことはきっと意味があったのだ。

必要な時間と経験を積み重ねて、数ヶ月後、数年後に「覚悟? もちろん、あるよ」と軽やかに答えてみせれば、かっこいい。

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