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「子どもがいてもバリバリ働けます」は言わない

ワーキングマザー生活も、もうすぐ2年になろうとしている。やっと2年、ようやく2年、まだ2年。ワーママ歴が10年、20年を超える大先輩たちがいる中で「ワーママのなんたるか」を語るにはまだまだ若手。暗中模索、試行錯誤の日々。ワーママライフの攻略本は、現在進行形で作成中だ。

それでも、この2年間で「やっておいて良かった」とことがあるとすれば、それは「子どもがいてもバリバリ働きます、とは絶対に言わなかった」ことだろう。



子どもは子宮に戻せない


「仕事と家庭、どっちが大事なの?」なんて台詞がある。子育ては大変。それと同じくらい仕事も大変。どちらも違う次元で大変で、人生をかけるに値するものだ。だから迷う。限られた時間、一つしかない人生に、価値観の異なるものが一気に重なるのだから、大変でないはずがない。

独身の頃からその大変さがうっすらと見えていた私は、積極的に結婚や出産を望まなかった。40歳とか50歳をすぎて、生殖能力が衰えた頃に伴侶を見つければ良いと考えていた。

それでも縁あって夫と呼べる人ができ、幸いにも子どもを授かった。妊娠が分かった時、これもご縁なのだからと生み育てることを決めた。出産後の産後クライシスも、上長との熾烈な復帰面談も経験した。自信もなくなったし、生きる理由も(ただ息子に母乳をあげるという理由以外で)見失ったこともあった。フルタイム、共働き、リモート不可、実家そこそこ遠目。育児と仕事、どちらも大切で、どちらも価値あることだと理解しつつ、始まる前から両立は大変だと分かっていた。


私はそこまで愛情深い母親ではない。息子のことは大切だけれど、息子のために自分の人生をすべて捧げたいとは考えていない。大人気なくイライラすることもあるし、出勤した直後にお迎えの電話が鳴ったら「なんでこんな時に」と自分の不運を嘆く。大変だと分かっていたし、実際に大変だった。

それでも仕事は辞めたくなかった。育児のために仕事を手放すことは考えられなかった。辞めたらズルズルと復帰できないような気がしていた。仕事をやめたら「育児は母親の仕事」と夫に認識されそうで、絶対に辞められなかった。仕事は自分を自由にするためのなくてはならない手段だった。絶対に仕事は辞めてなるものかと、半ば意地になって覚悟を決めた。

それと同時に、「私はこの子を育てていく。これからの人生、この子なしでは成り立たない」という覚悟もなぜかあった。育児と仕事の大変さを身に染みて感じつつも、その不自由さに嘆くことはあっても、育児をしないという選択肢はなかった。それは親としての義務とか、母親としての愛情とは少し違っていた。ただ一人の人間として、預かった命を大切にしようという「人間の良心」のようなものだった。

生まれた子どもは、もう子宮には戻せない。その摂理に従おうと思った。



残業でもなんでも任せてください


「わたし、定時で帰ります」というドラマがある。その中で、育休復帰したばかりのワーキングマザーが登場する。「残業でもなんでも任せてください」と宣言し、出産・育休で評価を落とすまいと仕事に邁進する。まるで「子供などいないかのように」必死に働き、けれど最終的には追い詰められていく姿が生々しく描かれていた。

「出産してもバリバリ働きます」と胸を張って宣言していたワーキングマザーの姿を、とても印象深く覚えている。子どもがいても諦めたくないとガムシャラに働き、自滅していく姿を見て「まあ、そらそうやろうな」と納得したことも。

なにをどうしても無理なのだ。自力で食事も排泄もできない子どもを抱えて「子どもがいないかのように働く」ことなんて。


出産して改めて驚いたことがある。世の中の男性は、「サラリーマン」「勤め人」と呼ばれている既婚男性は、なぜこんなにも「家庭があることを表面に出さずに働くこと」が上手なのだろうか、と。彼らにだって家族はいる。年老いた両親や、ともに家庭を支える妻や、未成年の子どもがいる。自分で通学できなかったり、突然熱を出したり、家で一人で置いておけない子どもがいる。にもかかわらず「子どもが熱を出したから帰ります」「子どもの健診があるから休みます」と言っていた男性医師の姿は、ほとんど記憶にない。同じことを申し訳なさそうに告げている「ママ女医」はよくいると言うのに。

うちの職場では男性も女性と同じように育児に参加している、そんなの職場が遅れているだけだと突っ込まれるかもしれない。確かにそうかもしれない。けれどやはり、育児参画の男女差は存在すると思うのだ。少なくとも「子持ちの女医」は子どもがいるから休む可能性が高い認識されるのに対して、「子持ちの男医」には「子どもが熱で休む?え?嫁はなにしてんの?」と、育児のために仕事を休むことが想定されていない


出産したら家族が増える。子どもができ、育児が始まる。そうなると「子どもがいないように」なんて仮定はなりたたない。そんな当たり前のことを、私たちは簡単に忘れてしまう。「保護が必要な子どもを優先して仕事に穴を開けること」を「人としてやってはならない重大な罪」だと認識してしまう。そして家事育児介護をパートナーに完全に任せ、「子どもがいないように働けます」と擬態する男性がポジションを上げていく。



この子のために仕事を休むことがあるんやから、ちゃんと一緒に連れて行って


育休復帰前に、何度か職場を訪問する機会があった。上司との面談や、資格申請の書類を取りに行っていた。その度にほぼ毎回、私は0歳の息子を連れて行っていた。ベビーカーに寝かせ、上司と話し合ったり、職場に挨拶をしていた。0歳児を預けられる場所がなかったということもある。だがそれ以上に「これから自分と一心同体になる、自分の職業人生を左右する息子を、職場の人にも認識してほしい」と思う気持ちが強かった。

育児をしていると、出産前と同じようには働けない。保育園が閉まるまでに仕事を終えなければならないし、預かり先がなければ働けない。

子どもがいる限り、私は以前とまったく同じ形では働けない。職場に迷惑をかけることもある。しかし、だからといって子どもを消し去ることはできない。だからこそ、職場には「私と、私の息子をよろしくお願いします」と頭を下げた。それでも、夫と交代で休むことで休日勤務をすることも、平日1日は残業できることも伝えた。自分が出来る範囲で職場と仕事に貢献したい気持ちは嘘ではなかった。


ちょうどその頃、夫の転勤が決まった。たまたま家族3人で新しい勤め先を訪ねたことがあり「ちょっと新しい職場に顔出してくる」と言った夫に、息子はどうするのかと尋ねた。「ベビーカー、持っていくの大変やから見てて」と答える夫に、私は有無を言わさずベビーカーを差し出した。

「4月からあなたも子どものことで休むことがあるんやから、一緒に連れて行って。職場の人にちゃんと挨拶して」

私だけではない。夫とて「子どもがいないかのように働くこと」はできないはずなのだ。



人生を「統合」する大切さ


「仕事をする自分」と「子どもがいる自分」。どちららも同じ「自分」だ。どちらか一方を消し去ることはできない。切っても切り離せない関係だ。にもかかわらず、しばしばこの2つは別のものとして捉えられる。それも、家庭を仕事から遠ざけようとする方向性で。

「家庭の事情を仕事に持ち込むな」とはよく聞く言葉だ。20代のころの私は、その言葉にしたり顔で相槌を打っていた。家庭がどんな状況であれプロなのだから仕事は責任を持ってやるべきだ、と。当時まだ私は子どもがおらず、家庭がどういうものかを知らなかった。家庭も仕事も、人生には両方含まれていて、互いに影響しているという当たり前のことすら気づいていなかった。家庭がないから、家庭を気にせず仕事ができていただけだった。

家庭の事情を持ち込みたくはなくとも、持ち込まざるを得ない時はある。育児だけでなく、親の介護や、家族の突然の事故など。人生において、想定しきれないイベントはたくさんある。自分だけで解決できなこともある。働いているのは人で、ロボットではない。突然のアクシデントや不調はつきもので、それを無視した体制は現実的ではない。

24時間365日仕事にコミットできるのはごく限られた一部に過ぎない。男性医師にはその働き方ができる人がまだ多いし、彼らにそんな働き方をさせてしまっている制度上の問題もある。私が休めるのは、代わりに働いてくれている人がいるからで、それは「甘え」ているだけかもしれないし、そういう声を否定はしない。だからこそ、男女問わず、すべての人が家庭を切り離さずに働くにはどうしたらいいのだろうかと考えている。


「私が思うに、理想的なワーク・ライフ・バランスは、仕事と家庭をそれぞれ独立したカテゴリーとして扱うのではなく、仕事と家庭を統合したものと考えるべきです。人は職場であろうが、遊びの場であろうが、基本的には同じ自分に変わりないのです」
——『True north リーダーたちの羅針盤』


書籍の中で「自己の統合」という言葉を見つけたとき、私は自分がなにをしたかったのかをようやく理解した。産後つらい、ワーママつらいとぼやきながらも、息子を連れて職場を訪ね、息子の隣で頭を下げた私がやりたかったのはこれだった。気を抜けばバラバラになってしまう二つの自分を、必死に繋ぎ止める作業だった。

出産後に「子どもがいてもバリバリ働けます」と宣言することは、自己の統合とは真反対の行為だ。それは女性だけでなく男性も同じだ。育児だけでなく、介護や病気でもそうだ。「バリバリ働く自分」と「何らかの理由でバリバリ働けない自分」がせめぎ合う瞬間は誰にでもある。誰にでもあるはずなのに、この「統合」がうまくいかなくて苦しむのは女性が多く、「統合」しなくても何とかなっているのは男性が多い。



欲張りでもわがままでもない。ただ、大変なだけ


ワーキングマザーになって1年8ヶ月。大した経験はしていないが、もしもプレワーママさんに伝えられるとしたら「子どもがいる自分を否定しないで」ということ。そして「育児と仕事をするのは欲張りでもわがままでもない。ただ、大変なだけ」だということも。

人生のある一場面で、仕事と家庭がぶつかり合う瞬間は必ずある。そのとき、その両方を望むことは欲張りでもわがままでもない。どちらも人生において大切な要素だ。だが限られた時間とリソースの中で、すべてを100%得ることはできない時もある。制限された状況の下で、悔いのない判断を下すのは大変だ。だが、それだけだ。

なにかを得るためにはなにかを差し出さなければならない。自分がなにを大切にしたいのか、どんな人生を送りたいのか。自分や家族の価値観が鍵となる。内省や自制も必要になる。自分らしさを貫くには、自信と覚悟がいる。それは大変かもしれないが、生涯をかけて、ゆっくりと続けていくだけの価値はあると私は信じたい。

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