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友達100人なんて、できっこないから。

新学期がはじまって、1ヶ月足らず。

息子は、ピカピカの小学校2年生。

そして、ピッカピカの小学校1年生が入学してきた。「入学」とか「小学校1年生」とか、そんなような言葉を聞くと、反射的に頭の中に流れてくる歌がある。


いちねんせいになったら〜
いちねんせいになったら〜
ともだち100人できるかな♪


息子の通うオルタナティブスクールは、1学年の定員は8人まで。同じ敷地内にある中学部まで合わせても、全校生徒は72人まで。

スタッフさんを含めても100人には届かない。

この学校の中の全員と友達になっても、
100人と友達になるのは不可能だ。

そもそも、全員と友達になるなんてもっぱら不可能なことであるよ、と頭の中に流れてくる歌の歌詞にツッコミを入れた。


3週間足らずの春休みは、久しぶりに息子とべったり過ごした。

冬休みは短いしイベント盛りだくさんであっという間だったから、こんなにべったりと息子と過ごすのは、小学校1年生の夏休みぶりのような気がした。

小学校1年生の夏休みは「息子といっしょに、お互い楽しい夏休みを過ごすためにはどうしたらいい?」ということを一生懸命考えて、工夫して過ごした。思い返してみると、小さな思い出がキラキラしている、そんな夏休みだった。

この春休みだって、そうやって一緒に過ごせばよかったんだと思う。

でもどうしても私が「息子とべったりモード」に切り替えることができなかった。


その理由を考えてみると、
ある映像がポンッと頭に浮かんでくる。


春休みがはじまってすぐ、朝9時頃だっただろうか。ベランダに出て洗濯物を干していた。

幼稚園がいっしょだった同じ年の男の子が、マンションの下の公園で1人で野球の練習をしている。

そうか!もうそろそろマンションの下の公園くらいだったら、1人で遊びにいってもいいよね!

そう思ったとき、なんだか肩が軽くなった。ここだけの話、「しめしめ。」と思ったのだ。

「りんりん〜!◯◯くんが1人で野球してるよ。いっしょに遊びたかったら行ってきてもいいよ。」

「遊びたかったら行ってきてもいいよ。」を変換すると「どうか遊んできておくれ。」だった。ちがう小学校に行くことになって会うことが少なくなっていたけれど、ちょこちょこ顔を合わせたり遊んだりはしていたので、息子は喜んで公園に行くだろうと、ウキウキしながら返事を待った。

「ぼくは野球したくないし、行かな〜い。」

「野球じゃなくても、ちがうことして遊ぼ〜って誘ってみたら?」

「うーん・・・気分じゃないからやめとく。」


息子はワンピースの漫画をペラペラめくりながら、そう答えた。

予想外の展開に、絶望する私。「気分じゃない」と言われたら、もうそれ以上言う言葉は見つからなかった。

そして次の日も、そのまた次の日も、その近所の子は1人で野球の練習をしていた。そして私と息子は、全く同じやりとりを繰り返した。

「遊ぶ気分じゃない」じゃなくて、
ただ「遊びたくない」んだろうと察した。


「母ちゃん、今日なにするー?」

まだまだまん丸いフォルムをした息子が、キラキラした目で私に問う。反射的に「かわいい」と思う。同時に「そろそろ私とばかり居てはいけないんじゃないか」と思う。

春休み、学校の友達との約束は1つもない。近所の子たちとも、1度も遊ばないのだろうか。

急に不安が押し寄せてくる。

私が息子と楽しく過ごそうとすればするほど、息子は友達と遊ばなくなってしまうのではないか。逆に、私と過ごすのが楽しくなさすぎたら、友達と遊びたいと思うんじゃないだろうか。

不安に支配されて、今思えば、変な方向に思考が動いてしまった。

「母ちゃんと遊んでもつまんない」と息子に思わせなければ!と思ったのだ。

大人と子供が遊ぶとき、大人が「楽しもう」と思わなければ、どこまででもつまらなくできてしまうものだ。だから、「母ちゃんと遊んでもつまんない」と思わせることはすごく簡単なことなのだ。

私と息子は「つまらない春休み」を過ごした。



春休みがもうすぐ終わる頃、すごく生々しい夢を見た。

小学校3年生か4年生くらいの私が、教室の窓際の席に座って、小説を読んでいる。大好きなよしもとばななさんの小説「イルカ」。生温い風が窓から入ってきていて、髪がそよそよとなびいている。

「おーい!ともよー!ともよー!」

窓の外から、私の名前を呼ぶ声がする。窓から身をのりだして、その声のする方向を見てみると、運動場でクラスのみんながドッチボールをしていた。

「そんなところで1人で本なんて読んでないでさ、みんなでドッチしようよ〜!さみしいじゃん!」

「そんなところで」って、ここはすごく居心地がいいのにな。「1人で」って、本は1人でしか読めないのにな。「本なんて」っていうけれど、私は本が大好きなのにな。ちっともさみしくないのにな。

そもそも私は、ドッチボールが好きじゃないのにな。


「今から行く〜!」

みんながいる方に向かって大声で叫ぶ。

まっ黄色のシオリを、今読んでいたページに挟んで、パタンと本を閉じる。教室を急いで飛び出して、廊下を走る。走りながら、なぜだか涙が止まらない。

私は今、本を読みたかったのに!

本を読みたかったのにーーー!!!!


そこでハッと目が覚めた。
35歳の私の目からも、涙が流れていた。
時計をみると、夜中の2時すぎだった。

すごくすごくリアルな夢。夢だったのに、教室の匂いを覚えている。夢だったのに、あの生暖かい風の感触を覚えている。夢だったのに、あの悔しくて涙が出るときの頭に血が集まる感じを覚えている。

夢の中の私は、けっきょくドッチボールに誘われて断われはしなかったけれど、少なくとも1人で本を読む勇気があったんだなぁと、ボンヤリ思った。

現実の私は、どんなに読みたい本があっても、1人で居たくても、そんなことはできなかった。休み時間ごとに、仲良しグループで集まって固まることが当たり前だった。そうしないと「友達のいないさみしい人」「友達の少ない、暗くてダメな人」だと思われてしまうと必死だったように思う。


友達がいないことは、さみしいこと?
友達が少ないことは、ダメなこと?

友達がいると、さみしくない?
友達が多ければ多いほど、良いこと?


寝室の白い天井を見上げながら、頭をグルグル働かせていると、息子の姿が頭に浮かぶ。




息子の通う学校が、テレビで取材された。松岡修造さんが学校に来たそうだ。YouTubeに動画があがっていたので見てみたら、息子が映っていた。


プロジェクトの時間だったようで、息子は1人で粘土に熱中していた。ふざけて笑かそうとする松岡修造さんに気づいて、一瞬顔を上げる。表情を1ミリも動かさずに、また粘土の世界に戻っていく。松岡修造さん、撃沈。


息子だけじゃない。

みんな自分が今やっていることに熱中していて、松岡修造さんに気づかない。からみにいかない。

松岡修造さんはきっとさみしかったと思うけれど、私は「すごいな」と思った。そして、息子がうらやましいなと思った。

周りには、いっしょに学んだり遊んだりできる仲間がいる。でも、1人で学んだり遊んだりしたいときは1人になれる。

私は、そんな環境に身をおいたことはなかったから。


友達って何なんだろう。

よくいっしょに遊ぶ人。
いっしょにいて楽しい人。
気の合う人。
好きな人。
信頼できる人。

改めて考えてみたけれど、よくわからない。


でも例えば、本当はやりたくもないドッチボールをなんとか一緒にやったからって、友達になれるわけではない。


それだけは確かだと思った。


もし、1度一緒にドッチボールをやったらもう友達だ!なんて思える人がいるのなら、友達100人なんてあっという間にできちゃうだろうなぁとは思うけれど。



「りんりん、猫カフェ行ってみない?」


つまらなく過ごすことを目標にしていた春休みがあと数日で終わる頃、私は息子を誘った。私は猫が大好きで、息子も猫が大好きだから、いっしょに楽しめると思ったのだ。

「行く〜!!!」

息子と久しぶりに遠出をした。



昔働いていたアメリカ村。ゴチャゴチャガチャガチャしているけれど、いろんな格好や髪型をしている人がいて、いろんな色があって、自由な気持ちになれる。なんだかちょっぴり外国みたいな独特な雰囲気のあるその村が、私は好きだ。

その街にある猫カフェで、息子とキャッキャと楽しんだ。

そのあと、アメリカ村の真ん中にある三角公園の前を通ると、グルグル巻きのポテトを食べている人がいた。息子がそれをどうしても食べたいと言った。私も食べたかった。でもどこに売っているんだろうか、お店が見当たらない。

「あの、そのポテトどこで買ったんでしょうか?」

ドキドキしながら、グルグルポテトを食べている見知らぬ人にお店の場所を聞いてみると、丁寧に道を教えてくれた。

息子と肩を並べて、念願のグルグルポテトを三角公園のコンクリートに座って食べていると、知らない人に話しかけられた。

「あの、そのポテトどこに売ってましたか?」

お店の場所を丁寧に伝えたら、お礼を言われた。その人たちがちゃんとグルグルポテトのお店のある角を曲がったことを確認したあと、息子と顔を見合わせた。

アハハハ!と笑いがこみ上げてくる。みんなあのグルグルポテト食べたくなっちゃうんだねって、しばらくケラケラ笑っていた。


息子と楽しい時間を過ごすのは、久しぶりだった。

ここ数週間、「母ちゃんと遊んでもつまんない」と息子に思わせなければ!そして「友達と遊びたい」って思わせなければ!と思って過ごしてきたのだから、当たり前だ。


なんて無駄なことをしてしまったんだろう、と思った。戻れるのなら、春休みをもう1度やりなおしたいくらいだけれど、そんなことはできないから。

今ここからまた、
息子との時間を楽しもうと思った。


いちねんせいになったら〜
いちねんせいになったら〜
ともだち100人できるかな♪


夢の中の生暖かい春風と、
いつも自分の気持ちに正直な息子が、

その歌の呪いを、ほんの少し溶かしてくれたような気がする。


それでもやっぱり、

息子が「みんな」で遊んでいる姿をみるとホッと安心したりする。

「みんな」から離れて、1人でポツンと遊んでいると、モヤモヤが湧いてきたりする。

そんな自分の気持ちに気づくたびに、
その歌の呪いは、なかなか根深いものなのかもしれないなぁなんて思う。

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