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【参加者募集中】『話しあうプログラム サカイノコエカタ』をはじめること

『話しあうプログラム サカイノコエカタ』は『東京で(国)境をこえる』というアートプロジェクトのなかの、ひとつのプログラムです。『東京で(国)境をこえる』は「東京には見えないことにされている様々な境界がある」という仮説をもとに、その「見えない(国)境」について考察するアートプロジェクトです。

サカイの多さに驚き、それでもできることを考えた

ぼくはこの『東京で(国)境をこえる』の運営に携わって3年目になりますが、この間、この間、集まった人が様々な境界について話しあうのを見て、聞いてきました。そして、時には運営の立場を抜け出して、対話の場に参加することもありました。(⇩2020年の活動記録です。)
https://tarl.jp/wp/wp-content/uploads/2021/04/kokkyo_archive_2020.pdf

その対話のなかで見つけた、大きな気づきがあります。それは「他者が抱えていることは、いつもぼくの想像の外側にある」ということでした。どんなに相手の立場を想像しようと、ぼくとあなたが、一寸違わぬ同じ気持ちになれることはない。むしろ、ぼくの想像の外側にいることもある。そのようなことが多くありました。それでも、たとえ浅い関わり方であろうと、その抱えていることを、ほんの少しでも一緒に考えたい。それは、あなたが考えてきている時間に比べれば、ちょっとの時間かもしれないけれど、そのことを共にする時間がつくりたい。そんなふうに考えるようになりました。


この人とはなしあいたい!ゲストのご紹介

○「共事者」という関わり方
これは小松理虔さんの言葉を借りると「共事者」という考え方に非常に近いものだと思っています。「共事者」とは、当事者ではないけれど、その“事”を共にしている感覚は持ち合わせている、という意味だと小松さんは言います。
社会ではまだ大きな課題として取り上げられていないものでも、個人単位ではとてつもなく大きな問題になること。その尺度や捉え方が個々に違うから”断絶”は生まれてしまうのはないでしょうか。
「共事者」は、その尺度のすり合わせを可能とし、そしてその第一歩目は「話しあうこと」ではないか、そんなふうに思っています。

『話しあうプログラム サカイノコエカタ』にお呼びするゲストの方々は、現場に立ち実践を行なっている方々です。ぼくは、彼ら/彼女らを敬意をこめて「実践者」と呼ぶことにしました。
それぞれが専門性やプロフェッショナルな分野の持ちつつも、眼前にある”断絶”に対して、例えその専門性が立ち行かなくても、それぞれがそれぞれに別の仕方でその”断絶”と向き合っている方々です。

○実践を見続ける
また、実践者の現場とは別の尺度を持って、コエてきた人を見つめてきたノンフィクション作家の川内有緒さんともお話しします。
川内さんはご自身の著書で、さまざまな越境を実践する人々を見続けたことを文章にされています。直接的な実践から少し距離を持ったかたちで実践をしてきた川内さんの視点は、サカイに対して新しい視点を持てると思っています。

○作品でコエていく
とは言え、話しあうことだけでは見えてこないことだってたくさんあります。ひとつ例を挙げるならば、わたしたちが日本に住みながら、他国間の政治的緊張関係に関して報道などの“情報”だけで実感を伴った議論をすることは、なかなか難しいように思います。隣国の北緯38度線の状況は、その代表的な例かもしれません。
しかし、国と国の”断絶”に焦点を当てて芸術作品を制作した『突然、目の前がひらけて』は、国境に対して別のリアリティを帯びた鑑賞体験をもたらしてくれました。
そこでは、最終に作品をつくることに帰着していますが、プロセスのなかでたくさんの「話あうこと」が行われています。たくさんの話しあいの先で生まれた作品は、境界について新しい視座を与えてくれることを彼女らに学びました。

○新しいサイトスペシフィック
DMZ(北緯38度線から南北に2kmの非武装中立地帯)やドイツのドクメンタのように人々の”断絶”が色濃い場所には、芸術が集い、歴史や現実を再照射する機能を求められる場合があります。このような「サイトスペシフィック」な芸術には、場所固有のものを召喚し再定義する役割が求められてきました。
そして、2020年代に入ると「サイトスぺシフィック」をアップデートしようとしている事例が登場します。それが『大地の芸術祭』です。
DMZやドクメンタほど政治的な断絶はないにしろ、開催地の“越後妻有”という名は「越後のどん詰まり」から来ているという話があります。つまり、ここから向こうは人が住まない、人の行き来が出来ない地域だとされていました。そのような場所でサイトスペシフィックな作品を屋外で展示し続けるということは、地元の方々の理解や協力が不可欠です。それを可能にしているのは芸術祭側と地元の方々の数えられないくらいの話しあいがあったからこそでした。
このように関係性が醸成されてきた大地の上で、芸術以外の新たな「サイトスペシフィック」が生まれはじめています。

FC越後妻有は、2015年に大地の芸術祭のプロジェクトの一環として生ました。発足当初は2人からスタートし、棚田の保全活動や作品メンテナンスなどの芸術祭の運営を行いながら、日々サッカーの練習に励んでいます。
軸足はサッカーに置きながらも三足の草鞋を履く彼女らの活動は、芸術祭とその周辺で育まれている仕事が一体となった活動です。このような形態で活動しているクラブチームは、全国的に見ても類を見ないものになっています。そして履いている草鞋が多いので、必然的に関わる人も多くなります。農作業を教えてくれるじいちゃんばあちゃん、棚田の保全活動を支援してくれている方、仕事の境界を大きく跨いで様々なかたちで協働した人々が、やがて応援スタンドに集まり始めます。
このように大地の芸術祭では、芸術作品に与えられた定義の「サイトスペシフィック」という言葉がその意味を拡張し、まだ言葉で定義付けられていない何かになりはじめています。
FC越後妻有坂口裕昭シニアディレクターの言葉を借りれば「彼女たちは生き方を創造している」のです。
しかし、それでもなお、大地の芸術祭総合ディレクター北川フラムさんは「私たちはまだ徹底的に排他的」といいます。世界中のアーティストと仕事をしてきたフラムさんと共に、わたしたちがなぜ排他的になってしまうのか、また、それまでサカイノコエカタで話してきたことをフラムさんにも聞いてみます。

ぼくが『サカイノコエカタ』から学びたいこと

いつどこでどのような”断絶”が生まれるかわからない社会をわたしたちは生きています。今、目の前に”断絶”が生まれても不思議ではないのです。そして、そのような状況になったとき、わたしたち自身が排他的な行動に出る可能性は誰だってあるように思うのです。
そのような”断絶”をこのプログラムでは『サカイ』と名付け、目の前に断絶があることに気がついた時、わたしたちはどのように実践を行えば良いのか、みなさんで話していきます。それが『話しあうプログラム サカイノコエカタ』です。全てのサカイをコエれば良いというものではないはずですし、コエてはいけないサカイもあるはずです。自動機械的に排他的な思考や行動になってしまい、知らず知らずに自ら境界線を引いてしまう、そうならないためにはどうすれば良いのか。全5回を通し、サカイについて考え、未来のわたしたちの実践にむけて、どんな小さな種でも良いのでみなさんに持ち帰って頂ければいいな、と考えています。

【開催情報】

<開催日時及び参加募集期間>
・第1回 2021年12月1日(水) 18:00~20:00
 「共事でコエていく」
 ゲスト:小松理虔(ローカルアクティビスト)

・第2回 12月21日(火) 18:00~20:00
 「作品でコエていく」
 ゲスト:突然、目の前がひらけて(アーティストコレクティヴ)

・第3回 2022年1月18日(火) 18:00~20:00
 「コエカタを見続けること」
 ゲスト:川内有緒(ノンフィクション作家)

・第4回 2月11日(金・祝) 15:30~17:30
 「協働することでコエていく」
 ゲスト:FC越後妻有 坂口裕昭SM & 元井淳GM兼監督 & 石渡美里選手(FC越後妻有シニアディレクター&GM兼監督&所属選手)

・第5回 2月13日(日) 15:30~17:30
 「コエられなかった先へ」
 ゲスト:北川フラム(アートフロントギャラリー)

※現在第1、2回の参加者を募集中!

<参加対象>
・社会のなかで起こるさまざまな「断絶」(=サカイ)について知見を広めたい方。
・ゲストの活動からサカイのコエカタを知り、自分なりに考えたいという方。
・自らの活動を通して社会への働きかけをされている方や、これからその実践をしたいと考えている方。
・『東京で(国)境をこえる』の活動に興味をお持ちの方。

<会場>
はぐくむ湖畔
(156-0043 東京都世田谷区松原5-2-2 prendre ys 1F)

<定員>
各回8名(先着順)

<イベント参加費>
¥1000(税込)

<申し込みフォーム>
https://forms.gle/fhKn4TFNExURuCW39

⇩その他詳細情報はこちらに。