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メリー・モナークin大原田 第三話

「お母さん……ワヒネ、出たかったんだ……」
 姉ちゃんが、呆然としたように呟いた。
 その言葉を聞いて、母さんが長い髪をくるくると頭上に巻く仕草を唐突に思い出す。腰まである髪の毛が、母さんの手によってどんどん球状に丸まっていくのが不思議でたまらなくて、それを押さえている髪ゴムを引っ張って、子供の頃よく怒られた。
 あの長い髪の毛、そういえばいつ切ったんだろう。今の母さんは、肩にもかからないショートカットだ。いつの間にか、俺の頭の中の、母さんのヘアスタイルはそれで固定されている。
 俺が子供の頃、母さんは熱心にフラダンスを習っていた。姉ちゃんが、お祭りで見たフラダンスに履くパウスカートをとても気に入って、それで母娘で習い始めたらしい。娘のための習い事は、いつしか母さんにとっても真剣な習い事になっていた。
『ケイキ』というのは子供を指す言葉で、俺は物心ついた時から、姉ちゃんたちのレッスンについて行き、ごく自然にフラダンスを踊るようになった。姉ちゃんはケイキソロで優勝するほどフラにのめり込んで、教室でも輪の中心にいるみたいな女の子だった。母さんは、いつから踊ってなかったんだっけ……?
 俺もケイキクラスのチームで3位の賞状をもらったことを、ぼんやりと覚えている。幼い子供たちが、器用に腰を振って踊るだけで、大人たちはとても喜んでくれるので、最初はそれが楽しかった。でもだんだん花柄ばかりのフラより、強そうなキャラに憧れはじめて、気付いた時には俺はフラをやめていた。そのあと母さんと姉ちゃんだけは熱心に続けてて……あれ? 
 姉ちゃんは大学受験前フラを突然やめた。母さんは、その時もうフラをやってなくて。いつの間にうちにフラが無くなったんだろう。
「母さんって、いつフラやめたんだっけ? 父さんのせいでやめてたりする?」
 姉ちゃんを見て、父さんを見た。父さんは難しい顔をしたまま鼻の頭を掻いている。
「パートから正社員になったって時にやめた。私が中学入った頃。私、家計が苦しいのかなって思ってた。だけどさ、子供いて、フルタイムやって、家事全部やって、フラにも集中するってかなり厳しいからやめたってことだよね?」
 日記の文字を目で追いながら姉ちゃんは続ける。
「ワヒネが優勝した時、お母さんも出ればよかったのにって、私言った」
 姉ちゃんは、誰に言うでもなくそう言った。その声は、怒りを抑え込むような小さな声だ。父さんにだろうか、それとも自分自身にだろうか。
 やべえぞこれ……と俺は慄く。それなのに、父さんが余計な一言を加えた。
「ワヒネって、その、最後とかあるのか……?」
 あっちゃー! 父さん、その質問は多分今じゃない。姉ちゃんは怒りのあまり涙目だった。
「ワヒネっていうのは成熟した女性を指す言葉。あの頃お母さん、40歳ぐらいでしょ。毎年大会に参加するのは難しいのよ、すごくお金がかかるから。だから、チームのみんなが次に出場するのは2年後か3年後か分からない。年齢的には、45歳ぐらいまでがワヒネだけど、次に出場ってなったら、母さん、多分ワヒネチームじゃなくなるかもって思ったと思う。もちろん、ワヒネより上の年齢のチームもあるよ。だけど、ワヒネとして出場したかったお母さんの気持ち、お父さんには分からないと思う」
 そこまで言ってから、姉ちゃんは大きく息を吐き出した。
「お父さんがフラダンスのことについて詳しくないのは仕方がないと思う。でもこれ、お母さんがやりたかったことも全然知ろうとしてなかったってことだよね? パチンコ行くのと変わらないなんて……ね、本当に全く協力しなかったの?」
「母さんが、そんなに真剣だとは思ってなかった。その……ただの趣味だろ?」
 趣味だろ? の「ろ」のあたりで姉ちゃんが強めに息を吸った。間髪入れずに俺は姉ちゃんの顔の前に手のひらを広げる。
「落ち着け姉ちゃん、マジで母さん起きる!」
 姉ちゃんはその言葉に一旦息を止めた。うまくコントロール出来たぞとほくそ笑んでいると、俺をひと睨みした後、その手を払いのけ、それから変声期かよと思うほど低い声で言った。
「お父さん、最低……。趣味だから何? 趣味だから応援する価値がないの? 家事子育てをしてると真剣に趣味をしちゃいけないの? ていうか、お母さん働きに出ても、結局何の手助けもしてないよね? 踊りたかったお母さんの夢を、趣味だからって決めつけて、それだけで、奪ったってことだよね?」
 姉ちゃんの怒りのオーラが目視出来るほどに揺らめいていた。我が家の男性陣がぐうの音も出なくなるまで叩き潰そうという気概を感じさせる、一刻も早く、話を本題に戻さねば。
 俺は焦って父さんに向き直った。
「父さんは、これを読んで、今までの自分にショックを受けたんだよな? 母さんが、好きで自分の言う通り動いてくれると思ってたら、かなり憎まれてるぞと気づいてしまって、今、猛烈に反省してるんだよな? そんで、あれだよ、フラッシュダンス! って思ったんだよな?」
「フラッシュモブ」
 姉ちゃんが涙目で鼻をかみながら言うが、とりあえず無視をする。父さんは小さく小さくなりながら、細かくうんうんと頷いていたが、フラッシュモブの話題が戻ると、もう一冊、日記と書かれたノートを取り出した。恨みつらみがもう一冊……と恐ろしくなったが、その日記は付箋が一枚。2021年と最初のページにあった。

8月○日 ようやく花乃が東京から帰って来る。真太郎さんと真咲とみなと市場で海鮮を買ってくる。コロナが始まってからやっとの帰省だから奮発!
市場に行く途中、砂浜で若者が一生懸命踊ってるのを見た。何かの練習かな。とっても楽しそう。ずっと集まって練習出来なかったんだろうな。いい笑顔だった。
なぜか花乃と真咲の子供の頃を思い出す。一生懸命だったなぁ!

 何故この日? と思いつつ、あの夏の日が頭に浮かぶ。
 海に出てからの一本道、みなと市場へと続く道がすごく渋滞していて「やっぱりみんな外に出たいのよねぇ」と母さんは、海を眺めながら言っていた。長いコロナ禍で疲弊した人たちが、少しずつ県外に出始めていた頃で、だけど、まだまだいろんなことに制限があった。せめて海や川で楽しみたいと田舎に人が集中して、各地で問題も起こってるとニュースがよく取り上げていた。だから渋滞中、俺は車のナンバーをボーッとチェックして、なんなら少しイラついていた気がする。
 あの時、踊ってる若者がいたかは全然覚えていない。ただ、母さんは姉ちゃんが帰ってくるのをすごく楽しみにしたから、ぜんぜんイラつかないんだろうなと思っていた。
「てかさ、これでなんでフラッシュモブ? 踊りが観たいなら、ショーとかミュージカルとか、母さん好きそうなんじゃね?」
 当時を思い出しながら、疑問に思ったことを父さんに向かって言う。
「いや、これで思い出したんだ。母さん、フラダンスしてた時もだけど、ヨサコイとか、マーチングバンドとか、とにかく一生懸命な人を観るのが好きだったんだ」
「で? 俺らが一生懸命母さんにサプライズでフラッシュモブをやったら喜ぶと? そうくる? そうくるもんかー!?」
 父さんに向かって、いやそれはないわぁ、と言おうとしたその瞬間、姉ちゃんがすぐに口を挟んだ。さっきまでジットリと凄んでいたはずの目が、すでに輝いている。
「いいじゃない、フラッシュモブのサプライズ、家族総出でフラダンス! お父さんが言い出したんだからね? 途中でこんなもの恥ずかしいとか言い出すの、許さないから!」
 なぜか、フラッシュモブが、家族総出のフラダンスに変わっていた。
「いい? 私はこの舞台をメリーモナークにする!」
 なんだか思ってもない方向に話が進んでいる気がする。


第4話へ続く

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