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メリー・モナークin大原田 第八話

「『あの花花』って、アイドルグループじゃあるまいし……」
 私は、画面に映る3人の青年たちの顔を眺めながら顔を顰める。
 ちょうど、リモート業務が終わった時にビデオ通話が来たので、つい出てしまった。真咲がドアップで
「姉ちゃん、姉ちゃん!」
 と叫んでいる。いい歳して5歳も離れた姉に、そんな嬉しそうにビデオ通話をするかねぇと呆れていると、後ろから、ポワポワとした素朴な顔をした青年が
「ああああ! あの、どうも、江田です、江田友也と言います! ええと、花花コンビ、現役の時、よく動画観てました! あと、横浜でやったコンペ観てました。あと、あと、ふくしまとひたちなかのイベントも観てましたぁ!」
 と、懐かしい記憶を掻き立てる地名を続けるのでギョッとする。
 さらに後ろから、端正な顔立ちの、いかにもモテそうな青年が顔を出した。
「花花コンビって、さっき初めて耳にしたので存じ上げなかったのですけど、なんかすごいフラダンサーさんって聞きまして。あの、今回、大原田家のフラッシュモブの話を聞いて、ぜひ、協力させてもらいたいと思いまして。サークルの代表やってます、恩田と言います」
 丁寧な挨拶だが、なんとなく呂律が怪しい。こいつら全員、飲んでいるのだろうか? と訝しがりながら
「あの、すごいフラダンサー? ええと、どんなふうに聞いているのか分かりませんけど、私はただの一般人でして……ちょっと真咲、どういう説明を?」
 と真咲に言うと、
「いや、なんも説明してないって。友也が勝手に興奮しだしたんだよ。いやまさか、姉ちゃんが円花さんと花花って言われてたのを知ってる奴がこの大学にいるとは思わないから、俺もビビって! 通話する? って聞いたら、この騒ぎになっちゃってさ」
 『花花』
 まさか、真咲の友達で知っている人がいるとは夢にも思わなかった。
 それを喜べる気持ちにはなれない。円花の実力で輝いていた花花。そうとは知らず、自分の実力を過信して、呆れるほど前面に出たがっていた私。それが私の花花時代。
 思い出しただけで、恥ずかしさで記憶を取り外したくなる。髪の毛を切った時、全部まとめて切り捨てたはずなのに、あっさりそれは私の脳の一部に大切に保管されていることを突きつけてくる。
「友也くんだっけ。ええと、何を覚えてるか知らないけど、大昔の花花の話題はちょっとごめん……、古い話だから、あんまり騒がないでほしい、です。あと、ええと、恩田さん、ご協力いただけること、ありがとうございます。とても嬉しいです」
 手短に挨拶をして、もう切ろうと思った時だ。
「あ、待ってください。今回のパフォーマンス、配信したいと考えてるんです。もちろん、大原田さんのご家族を映し込まないよう配慮しますし、フラッシュモブの理由も、出さない方がいいのであれば出しません」
 恩田さんは、イラついている私の顔をまっすぐ見つめて誠意ある話し方を続けた。自分の方が年上のはずなのに、なんだか恥ずかしくなってしまう。私はいつまでもあの頃の記憶で乱されると思い知る。バレないよう少しため息をついて画面正面に向き直り、居住いを正した。
「あなたの作った動画、SNSで観てます。弟が真面目に、そしてとても楽しそうに練習してるの、うちの両親も喜んで観てます。あなたなら今回の動画も素敵な仕上がりになると思うし、我が家の記念にもなるので、是非。ただ、「お涙頂戴サプライズ」みたいな題目にするのはやめてほしいです。母が、画面に映るのを嫌がった場合も配慮をお願いします。できれば、配信前に確認させてください」
 恩田さんは、それはもちろんです、と言うや、真咲がまた全面に出て来て
「姉ちゃん、俺の舞空動画、興味なさそうな反応だったのに、ちゃんとチェックしてくれてんの!? えー、姉ちゃん意外! よっ、花花! さすが元フラダンサー!」
 と騒いだので、あとで殴ろうと思った。
「ちなみに、姉ちゃんが男前って言ってたの、この友也ー!」
「えええ!? 俺、男前!? え、花乃さんが!?」
 画面が騒がしくなったので、通話をそのまま切ってやった。友也くんとやらのイメージが全然違う。


 かつての私の部屋は、真咲のトレーニングルームみたいになってしまっていた。何を鍛えるかわからない鉄棒のようなものにぶら下がってみると、ウエエッと声が出た。リモートワークの凝りというより、久しぶりにフラを踊った全身の軋みのような気がする。
 思った以上に体が鈍っていることを再認識してため息を吐いた後「今日の仕事終わったよー」と階段を降りる。
「さっき、真咲から電話きて、うるさかったわぁ」
 お父さんは、ジャガイモと格闘している最中で、それどころではない様子だ。芽は毒だ、と聞いて、窪みという窪みを全部ほじっている。
 お母さんは、その隣で楽しそうにサラダの準備をしていた。
「病気になるのも悪くないわね」
 お父さんに視線を送りながら、細く切った大根をきれいに盛り付けている。
「真咲なんて?」
「空手サークルが盛り上がってるみたいだよー」
 そう伝えると「いいわね、若いって」と、嬉しそうに笑う。
 お母さんは、手術の前に薬物治療をして、癌細胞が小さくなってから、切除手術をするという流れになった。入院の必要もまだなく、副作用も強く出ないタイプなのか、あまり様子は変わらない。むしろ、ここ最近は、ずっと楽しそうにしているお母さんを見て、リモートワークにさせてもらって良かったと思った。
 離れていたら、ただ闇雲に心配してしまうばかりで、お父さんにもっとイライラしてしまったかもしれない。
 一緒に行った病院でお医者様は「抗がん剤がとても合っているみたいです。あまり気分も悪くならないようだし、良かったです」と、爽やかに笑った。
 家族が聞いたら、とても喜ぶだろうこの報告を、私はあえてしていない。必死になってジャガイモを剥くお父さんの背中に、ごめんね、と呟きながら、でも、この光景は切羽詰まったからこそだろうと思い直す。
 もうしばらくしたら、薬の副作用で脱毛が始まると聞いている。


 3月になって、2度目の抗がん剤治療を受けに行く日、お母さんは、なんと昼ごはんを持参した。
「だって、お腹減るんだもん」
 そう言うお母さんに、看護師さんが次々と言葉をかけてくる。
「こんなに元気な人、珍しいですよ、私、初めてかも……」
 確かにお母さんは元気だった。異常とも言えるほどに元気で懸念していた食欲減退もあまり見られない。無理してるんじゃないかと返って心配になるんです、と看護師さんに言ったら
「多分、それは取り越し苦労だと思います」
 と、真剣な顔で言われた。
「長く勤めてますけどね、お母様、前向きだし、薬は合ってるみたいだし、無理して元気を出そうと思っても、ここまで元気なフリは出来ないものです。多分、本当に調子がいいのだと。生命力と運が強いのね、そういう人、稀にいるって先生も驚いてました」
 そう言って、お母さんを信じていいわよ、と肩をポンっと優しく叩かれた。
 あまりの太鼓判に呆気に取られた帰り道、車を運転しながら、お母さんに謝ることにする。
「ごめん、あのさ……お父さんと真咲に、お母さんのこと、最悪なケースで伝えてる」
 お母さんは目を丸くして「やめてよ縁起悪い!」と運転中の私の左肘をパンっと叩いた。
「ごめんごめん! でもさ、お父さんも真咲も、すぐ大したことないって思い込むでしょう? ちょっと腹が立ったのよ、お母さんがしんどいことも気が付かない、疲れたらなら休めって言うくせに、自分は何もしない、部屋が汚くても死なないだろって、すぐそうやって、誰かが身の回りを整えてくれるって信じてる態度」
 お母さんは、
「あんたも大学入るまでそんな感じだったけどね」
 とクスクス笑った。
「そ、そうかもだけど!」
「ありがと。心配してくれてるのね。確かにね、腹立つことも多いけど、花乃と一緒で、みんな家族を思っているところあるのよ。お父さんの無農薬野菜作りなんか、ますます腕が上がってるんだから! 真咲も、ああ見えて、家族を明るくすることに一生懸命だし」
「あれは、素じゃないの?」
 私が笑うと、お母さんも「結構頑張り屋さんよ、あの子」と笑った。
 それから、膝を叩く。
「そういや、お父さん、全然私の症状聞いて来ないから薄情な男だと思ってたけど、花乃の話でショック受けてるのね!」
 なるほどと納得しているお母さんを見て、夫婦は案外想い合っているらしい、大した会話をしている様子もないのに不思議なものだと思う。それから、いや、いやいや、と思い直して言った。
「お母さん、ごめん、もう一個謝ることがある」
「ちょっと何よ、やめてよ」
 大袈裟に顔を顰めて見せるお母さんに、日記を家族で読んでしまったことを伝えた。お父さんが、初めて自分を振り返ってショックを受けている、というところまで話す。一瞬シンっと静まったので、やばい、これはいよいよ本当に怒られると思った時だった。
「やっと読んだのね、お父さん!」
 待ってましたとばかりに喜ぶ声にギョッとした。
 読むなよ? 読むなよ? は、つまり「読めよ!」の裏返し也。
「あんたたちが小さい頃のお父さん、今と比べものにならないぐらい最低だったんだから! もう腹が立って腹が立って、これみよがしに日記をテーブルに置いてね。少しはこっちの気持ちも考えろって思ってたのに、あの人、全然読まないの! そういう生真面目さはさ、家事育児の手伝いで発揮すりゃあいいのに!」
 お母さんは、その後も怒涛のようにお父さんの悪口を言った後、「ここへきてようやく届いたかー」と、まるで昔に宛てたラブレターが、時空を超えて届けられた映画の感想を言うように清々しい口調で言った。どうやら、あれは、お父さんの遅すぎたファインプレーだったようだと、一人、目を丸くする。
「で、花乃たちは、最初から読んだの?」
 そう言われて、お父さんが抜粋したところだけだよと答えると、お母さんは意味深な含み笑いをしながら、
「お父さんとの出会いも書いてあるからね」
 そう言って、両手で口を押さえて笑った。
 その顔を見て、看護師さんの言葉を思い出す。こりゃ、本当に信じていいかもしれない。


第九話に続く

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