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メリー・モナークin大原田 第五話

 姉ちゃんが、しばらく実家にいると聞いて少し安心した。
 本当なら大学生の俺の方がよっぽど暇だと思うのだが、正直、俺と父さんでタッグを組んだところで、母さんを悩ませるだけな気がする。さらに俺の部屋の混沌具合を知ったら母さんの病状は悪化するに違いない。病気の人にそこを連想させるのはリスキーすぎる。
 姉ちゃんに感謝しつつ、今後の母さんの入院や、手術の日程、薬物療法の予定を、帰る前におおまかに家族で共有することにした。
 昨日は結局、熱い気持ちに火がついて、母さんが集めているメリー・モナークのDVDを3人で見始めてしまい、そもそも、フラッシュモブをいつ、どこでやるのかも分からないまま気持ちだけが走ってしまった。
 翌朝、冷静に考えたのだが、姉ちゃんの話が本当だとして、余命宣告を受けた本人の家族が踊ってる場合じゃない気もする。
 今の所、母さんは驚くほどに落ち着いていた。痩せたようにも見えるけれど、それが老いなのか、病気のせいか、俺にはよく分からない。分からなすぎて、なんの実感もない。俺は、薄情なんだろうか。
 実感がわかないのは、母さんの食欲にもあった。なんだか俺の知る病人とは違い、妙に食べているのだ。
「お父さんの畑が優秀なのよ」
 と、やたらに父さんの作った小松菜を勧めてくる。小松菜は昨日の晩御飯の謎の煮込みにも入っていたが、今朝はワカメの味噌汁にも入れられ、お浸しにもなり、そして、バナナと共にミキサーにもかけられていた。グリングリーンと鼻から歌が出そうだ。
 父さんは、ついこの間定年退職した後、そのままグループ会社に再雇用となったが、時間にかなり余裕が生まれたらしい。コロナ禍の時にはすでに興味を持っていた家庭菜園にいよいよ乗り出し、田舎の広い庭を利用して、花咲じじいならぬ種蒔きじじいと化してるようだった。今朝も早くから畑の中でなにやら作業をしていた。
 何が嬉しいのか、母さんは、その父さんの新しくできた趣味をやたらに褒め、父さんもまんざらではない顔だ。
「大根も大きくなってる、真咲、持って帰るか?」
「真咲が大根持って帰って料理するわけないじゃない」
 すかさず姉ちゃんが口を挟んだ。
「姉ちゃんだって、東京で大した料理してないくせに」
 小松菜のお浸しを咀嚼しながら言い返す。歯応えがすごいのは、肉厚だからか、茹でが足りないからか、普段生野菜をほとんど買わない俺にはよく分からない。
「作らないんじゃなくて、仕事が忙しくて作れないの。あと、大根サラダぐらいなら作ったりするもんね」
 そう言う姉ちゃんの目が少し泳いでいるのを確認しつつ
「ここでみんなでサラダにして食べてください」
 と、大根持ち帰りを丁寧に断って、俺は一旦埼玉へ戻った。

 すぐに埼玉に戻ったのにはもうひとつ理由がある。
 姉ちゃんの言う、空手バカのための空手サークルがあるからだ。
 うちの空手サークルは、その名を『舞空ぶくう』という。有名漫画の『舞空術』から取ったらしい。4月には入学生を勧誘するため、毎年、空手の型と似た舞空の演舞を披露することになっている。空手の堅苦しさを和らげるため、流行りの音楽に合わせ、一糸乱れぬ動きで拳や蹴りを繰り出しつつ、磨き抜かれた肉体を披露するのだ。まぁ、堅苦しさを和らげると言いつつ、実戦はしないので、はなから堅苦しさを持ち合わせてはいない。
 元々、漫画をヒントに肉体美を見せつけたい、という理由で発足されたこのサークルは、本気でやっている伝統ある空手部から随分と白い目で見られていたらしいが、ここ数年はYouTubeやSNSで徐々に拡散され、空手パフォーマンスという地位を築いている。特に、現在主将である恩田おんだ先輩のプロデュース力と映像センスが絶妙なため、今や、このイベントを楽しみにしているのは、新入学生だけではない。
 かくいう俺も、その映像の格好良さに入部した口である。実は高校までは空手の「カ」の字も知らなかった。
 高校までは、弱小バスケ部な上、コロナ禍でほぼ活動することなく過ぎ去ってしまい、暇つぶしに始めた筋トレで肉体美に目覚めたあたりで、このサークルの舞空パフォーマンス映像と出会った。姉ちゃんが俺を空手バカと言っているが、あれは空手のことしか考えてないバカ、という褒め寄りの発言ではなく、本当の空手も知らないバカ、という極めてただの悪口である。
 しかし俺はこの1年、誰かと戦うためではなく、ひたすらに己の肉体と美しい型の研究を続け、ついにお披露目という段にきていた。舞空というからには、舞空術に見えるよう、ジャンプしながら技を繰り出したり、そのジャンプの補佐、リフトもある。そのための体力や筋力をつけるため、俺はかなりストイックに練習をしてきた。サークルには、空手経験者はもちろん、ダンス経験者や体操経験者もいる中、それに負けじと練習を重ねて来たのだ。空手バカの名に恥じない男になっているはずである。
 そもそも、いよいよ形になって来たところで、嬉しさのあまり、一度姉ちゃんに舞空の動画を送りつけたのがまずかった。 
「いや、素敵だよ。みんな格好いい。でも弟のナルシストぶりを見せつけられた姉の心境も考えてほしい」
 の文字と共に、目も口も横棒一本のみで表現されている絵文字が送られて来た。そこから姉ちゃんは時々「空手バカ」という、ただの悪口を弟に向けて放つ。
「ただし、君の隣はなかなかの男前と見た」

 隣の男前というのは、同じサークルの江田えだ友也ともなりである。彼は、小学生からの空手ガチ勢であるにも関わらず、なぜか浮ついたサークルの方に入って来た上、初心者のへなちょこな拳の俺にも優しかった。
「真咲は、体の動きのポイントを逃さないからすぐ上手くなるよ」
 そんなことをサラッと言って俺を照れさせるこいつは、正直、パッと見は大した男前ではない。しかし男も惚れそうなしなやかな肉体を持つ上、なぜか汗の匂いが爽やかだ。
 そんな友也を、あの短い動画で、男前だと見抜いた姉ちゃんの審美眼、なかなか侮れない。
「あれ、もう実家から戻ったの?」
 食堂でうどんを啜っていたら、その友也がリュックを肩から下ろしながら言った。ゆるゆるとしたグレーのトレーナーに、寝癖なのか、無造作を演出しているのかわかりにくいポサポサとした短い髪の毛が、逆光で妙に光って、起き抜けの子供のようにあざと可愛い。ただのボーッとした顔つきの男のはずなのだけれど、脱ぐとすごい体だというそのギャップ、知る人が知れば、バズるのではないかと密かに思う。
「思ったより母さん元気だったし、ずっと実家にいると、姉ちゃんから下男げなんのような扱い受けるからさぁ」
「下男? どんな扱いだよ」
 友也は、元々細い目をさらに細めてくくくと笑いながら、リュックから拳より大きいおにぎりを出した。ラップに包まれたそれに、別のラップに包まれた海苔を出し、嬉しそうに海苔おにぎりを完成させる。もうだいぶ見慣れた光景だが、出会った頃は、そのおにぎりを見て、お前、マメだな、偉いな、とひどく感心したのを思い出す。
「いや、白米丸めるだけだぞ? 金もかからないし、中にミートボール入れるだけでもご馳走気分だぞ?」
 そう言って熱心におにぎりを勧めていた友也は、飽きることなくほぼ毎日、白米を丸めては、中に何かを埋め込んで、美味しそうに食べている。
 その見慣れたおにぎりを見ていたら、うどんを啜る手が止まった。なんだか不意に、家に1人になった父さんが、白米に小松菜を乗せて、1人で食卓に座る風景を想像してしまったのだ。
「男って、切ない生き物だよなぁ」
 つい、口からこぼれ出る。
「ん?」
 おにぎりにかぶりつきながら、友也が怪訝な顔をした。
「こうして若い時はおにぎりだろうがうどんだろうが、1人で食べてても悲壮感ないけどさ、嫁がいなくなった食卓で、1人白米食べてる老後を想像すると、胸が痛い」
 すると友也が真面目な顔で言った。
「それは、男も女も切ないだろ? 家族で食べてた食事が1人きりになるのは、胸が痛いよ。それとも、ご飯を作ってくれる便利な人がいなくなるのが切ないって意味?」
 ご飯を作ってくれる便利な人。
 あまりにも辛辣で、あまりにもまっすぐ突き刺さった言葉に、俺は一瞬言葉を失った。友也は、怒っているわけでも、軽蔑してるわけでもない、ただまっすぐな眼差しで俺の目を見ている。唇に、海苔が付いていた。
「姉ちゃんがさ」
 海苔を見ながら言う。
「姉ちゃんが?」
「俺や父さんにずっとイラついてて、それがめちゃくちゃ怖いんだけどさ」
「……おう?」
「イラついている理由が、なんか今、ちょっとだけわかった」
「そりゃよかった。下男じゃなく弟に戻れそう?」
 友也は、またくくくと笑うと、唇に海苔をつけたまま、さらにおにぎりにかぶりつく。


第六話に続く


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