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何をそんなに画面を見ているのか

そんなつもりはなくても人のスマホ画面が見えることがある。

私の働く店は後ろから料理を渡すシチュエーションが多く、うっかり見えてしまう機会が多い。みんな何をしているのかというと、ゲーム、動画、漫画が多い。あとはLINEなどで人と連絡をとっていることもままある。

最近、どこに行ってもみんなスマホとにらめっこしている。かく言う私も人のこと言えんのかというと口ごもってしまうけれど、料理を持ち後ろから声をかけてもスマホの画面からまったく目を離さない人を見ると、なんだかなぁと思ってしまうこともある。

今や私たちの生活に必要なことは全てこの小さな箱に入っている。最初は電話だったはずだけど、時計、電卓、手紙、カメラ、思い出、本や漫画、映画館すら。宝箱なんてかわいいものじゃなく、まるで四次元ポケットだ。いいや、パンドラの箱かも。

手に持つと重たかったものも、家に帰らなくては確認できなかったものも、その場所に行かなければ見れなかったものも、片手に持つこれ1つで済むのだ。そんな便利なものがあれば食いつかない方が無理ってもんだよな。

スマホで事足りるようになったものは、これからなくなっていくのだろうか。例えば紙の本とか、映画館、便箋と封筒。私にとっては失われると寂しいものばかりだ。

ただ、スマホをはじめとしたデジタルツールが便利になっていく一方で、それらの良さを改めて実感することも増えた。

先日、文具女子博という文具を愛する人たちの熱気あふれる祭典に行ってきた。そこではカメラを必死に向ける人は少ない。みんなが一心不乱に文具を手に取り、目で見て、お迎えしていく。吐息が届くような熱気が、心地いいなと感じた。

結婚おめでとうとネットの招待状にメッセージを打ち込んだけれど、結婚式で手書きのメッセージカードをもらったら「あの子ってこんな字だったっけ」と、手に染み入る温度を感じた。

電子書籍に一度切り替えたけれど、紙の本を開いたらしっくりくるなぁとすりっと撫でたくなった。

電子化したからこそ、あぁいいなぁと思うアナログの良さを生活のあちこちから実感するのは私だけではなくて、だからきっとスマホで済ませられるようになったことも、消滅はしないのではないだろうか。

メタバースの一般化が進んでいく中、小さな画面を覗くのを超えていよいよバーチャルの世界にどっぷりと入っていく時代がやって来るのだろう。それでもアナログの良さは忘れずにいたいし、だからこそ実感していきたい。

嗜好だけではなくてあくまで「ツール」だということも、もっと意識しなくてはいけない。酒は飲んでも飲まれるなっていう言葉がある。お酒を飲む人間は、いいところだけを自制心を持って利用していかなきゃいけない。(自戒を込めて…)

少し前、災害時の準備をしているときに、私は家族の電話番号すら覚えていないのだなと無力感に苛まれた。すでにこのスマホの電池が切れたら私は何もできない人間になっているのかもしれない。

便利なものに飲み込まれてしまわないように、しっかりと地に足をつけ、使う側であり続けたい。


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