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こしたてつひろ先生の掲載デビュー作など、あまり知られてない初期作について


前置き

こしたてつひろ先生

こしたてつひろ先生は、『コロコロコミック』で「ドッジ弾平」「爆走兄弟レッツ&ゴー!!」を描いた漫画家です。

現在は、コロコロ系の無料漫画サイトで、「ドッジ弾平」の娘世代が活躍する「ドッジ弾子」を連載しています。

 

デビュー作

Wikipediaの「こしたてつひろ」の項には、「『拝啓サラダボーイ』でデビュー」とあります。

これについては、単行本の著者略歴に書かれている通りです。

ただ、これは厳密には「連載デビュー」という意味。

それ以前の「掲載デビュー」の読切が、また別にあったりします。
(『週刊少年サンデー増刊号』誌上にはじめて載ったのは1984年

しかし、検索したところ、『拝啓サラダボーイ』より前の読切のことは、ネットではほとんど話題になっていないようなので……。

今日は、Wikipediaの「作品リスト」にも載っていない、こしたてつひろ先生のデビュー初期の読切について、紹介してみます。

 

『黄泉の国からこんばんは』

(ここまでは有名な話)

こしたてつひろ先生は、最初から『コロコロ』作家を目指していたわけではありません。
最初は『少年サンデー』に持ち込みをして、そこでデビューしました。

 

まんがカレッジ

当時のサンデーには、「まんがカレッジ」というのがありました。

『週刊少年サンデー』1984年10月増刊

締日も決まっていないし、賞金もないので、「新人賞」とは若干違うのですが……。
「最優秀作」に選ばれると、その作品が即座に『少年サンデー』増刊号に掲載されます。

 

受賞

のちのインタビュー(1985年12月増刊号)によると、こした先生は1984年の春ごろに『少年サンデー』に持ち込み。
そのとき、先生は19歳でした。

それから半年くらい後、1984年10月中旬~11月初旬ごろに描いた作品が、「まんがカレッジ」の最優秀作に。
1984年11月30日発売の『少年サンデー』増刊号に掲載されます。

『週刊少年サンデー』1984年12月増刊

受賞作の掲載を「デビュー」と呼ぶかはケースバイケースですが、「こしたてつひろ先生の掲載デビューは1984年11月」という言い方は可能です。

先生の近況は、このように語られていました。

「岩手県生まれの19歳」
「現在、アニメーターの学校に通いながら、ひまをみつけてがんばってまんがをかいています」
「土日を使ったりしては、いろんな先生のところでアシスタントをやってます」

(本名の出典)

Wikipediaでは「出典が示されない」ということで記述を消しているようですが、

URL

いちおう、この84年12月増刊が、商業出版物としては最古のソースになるのかな? と思います。

 

デビュー作

かくして、『黄泉の国からこんばんは』という読切が増刊号に掲載。

『週刊少年サンデー』1984年12月増刊

ストーリーは、主人公の水野くんが、最近 交通事故で死んだ女生徒の幽霊に会うというものでした。

この幽霊、メガネの取り出し方がエッチです。

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