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Sei

廻 rin

最近、15年ぶりに家族ぐるみで仲のよかった幼馴染に会って、ごはんを食べた。小学校に上がる前の6歳の頃が最後でもう初対面のひと同様に相手を少し引いた目線から見てしまうかなと思っていたけれど、そうでもなかった。会ってすぐになんだか懐かしい空気を空間が纏っていたし。SNSだけ繫がっていてこれからも進展はないだろうと思っていたところに連絡が来たものだから最初は大学生にありがちな投資に勧誘なのか?と少し疑ってしまったことを反省したい。今までの15年間分の出来事を話していてお互いに色々な波のある人生だったんだなとしみじみ。気付いたら5時間は話し込んでいた。いま私が属している環境外にいるひと、普段は各々に違う環境で生きているひととの会話はやっぱり楽しい。環境のギャップが大きければ大きいほど面白い。そういう人と話す機会があることに感謝したい。
生きていると不思議で思わぬところで人生と人生が交じ合うことがある。神の思し召しなのかな。なんて、ロマンチックに考えてみたり。

沁 shin

わたしは今年入ってから引っ越したのだけど、この選択は正解だったなあ。引っ越してから良いことが多い。地域のひとたちの優しさに包まれている。近くの駅から自宅へ帰ろうと歩いていた時の話。時間は午後9時ちょっと前ぐらい。大通りだけど電灯が弱くて歩くには薄暗く人気がない道を一人で音楽を聴きながら歩いていたら目の前から華奢なおばさんが歩いてきた。そのまま通り過ぎるはずが「ちょっと!あなた!」と声をかけられ吃驚してイヤホンを無意識に外し返事をした。「もう少し歩いて行ったらベンチに座っている変なおじさんがいるから気をつけて」と手を口に当ててひそひそ話をするように教えてくれた。分かりました、とお礼言うとなぜか飴をくれて、わたしはまた歩き始めた。ベンチがあるポイントが見えてきた。おじさんが座ってる。あまり綺麗な服装じゃない。嫌だなと思いながら最大限にベンチとの距離を取り近くまで歩いた。横を通ろうとした時、おじいさんがブツブツと何かを言いながら立った、これは不味い、怖すぎる。早歩きをやめ、その場を走った。よくわからない日本語で叫んでいる。電灯が十分に明るいところまで走って一安心。道端に変なひとはたくさんいるから東京に来てから慣れたけど変なひとがいるとわざわざ教えてくれるあのおばさんの優しさになんかジーンときてしまった。

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