全国フェミニスト議員連盟による抗議状の超批判的検討

ゆっくりしていってね!!!!

応用化学専攻で修士課程を卒業して、いまも化学系のお仕事を延々やっているケミカル・クラスタのゆっくりよ!

でも、今回扱うテーマは別に化学じゃないわ。

今回は、Vtuberの戸定梨香さんをイメージキャラクターとした松戸警察署の交通安全啓発動画に対し、全国フェミニスト議員連盟(以下、全フェ連)が抗議状を送付した件について話したいと思ってるわ。

戸定梨香さんの問題の動画(YouTube)

「え? じゃあ何のために化学アピールしたの?」

当然の疑問よね!
まず、大事なのは、私が理工系ゆっくりであるという点よ。
戸定梨香さんの件については、人文系ゆっくりの皆さんが人権や歴史の観点から既に様々な意見を述べていらっしゃるわ。とても勉強になるわね!

テーマ的にそれは自然なことなのだけれど、私のように観点の異なるゆっくりが参加することで、問題の新しい側面を照らせないかと考えたの。

理工系ゆっくりの特徴としては、語句の定義と扱いにクソうるさいことと、「~を実証した(分かった、明らかになった、示された)。」と主張する際に求める証拠水準がクソ高いことが挙げられるわ。
これは、大学院生時代に私自身がさんざん苦しんだから間違いないわ。

で、当然、後輩の月次レポート、学会発表資料、投稿論文等を添削もしてきたのだけれど、今回、「完全にそのノリ」で、「一切の手加減なし」に、全フェ連による抗議状を批判的に読むわ。

そして、後半では「表現物」による影響を総説論文に基づいて論じるわ。

それでは――ゆっくり開始!

抗議状の検証① 「動画そのもの」が悪い

全フェ連の抗議状はここね。これを全部見ていくわ。

まずは最初のパラグラフから行きましょう。

 私たち全国フェミニスト議員連盟は、女性議員が圧倒的に少ない日本社会の政治風土を改革し、女性議員を増やして、男女平等社会を実現しようと活動している市民と議員の団体です。
 私たちは、啓発動画に「松戸市ご当地Vtuberの戸定梨香」を採用した千葉県警、松戸警察署・松戸東警察署に強く抗議し、当局の謝罪、ならびに動画の使用中止、削除を求めます。本動画は、女児を性的な対象として描いており、女性の定型化された役割に基づく偏見及び慣習を助長しています。
全国フェミニスト議員連盟による抗議状 visited 2021/09/19

最初の自己紹介は(どうでも)いいでしょう。要求事項は、①当局の謝罪、②動画の使用中止、③削除の3つね。これもとりあえず要求事項としては了解したわ。問題は次よね。

『本動画は、女児を性的な対象として描いており、女性の定型化された役割に基づく偏見及び慣習を助長しています。』とあるわね。

「本動画は」とあるから、ひとまずこの一文で、全フェ連が動画それ自体を問題としていることは明確ね。ツイッターで全フェ連に擁護的な人は、「動画そのものが悪いのではなく、そのような動画を警察が使ったことが問題だ。」と言ったりしてるけど、抗議状の文面からすると、それは成立しないわ。

だって、警察が利用する・利用しないに関わらず、表現内容も発表場所(YouTube)も変わらないでしょ? いずれにせよ「女性の定型化された役割に基づく偏見及び慣習を助長する」と全フェ連様は書いているのだわ。

この「助長する」という予測・予想が正しいかはまた後に論じるけど、とにかく、全フェ連は「戸定梨香さんの動画そのもの」を非難しているとしか読めないわ。

また、同様の理由から、青識亜論氏が行っている全フェ連への抗議活動について、「警察ではなく、全フェ連を対象としたのが間違っている!」という批判も否定できるわ。
抗議状全体では、「警察の判断の問題」「動画それ自体に属する問題」別個に両方述べられているもの。
そうである以上、少なくとも後者の「動画それ自体に属する問題」に関しては、全フェ連に抗議するのが正当・妥当よ。

さて。さらに中身を見ていきましょう。まず、「性的な対象として描く」に定義が必要だわ。特に「性的な対象」は、ジェンダー理論の専門用語である「性的対象化」(Sexual objectification)を含意しているの? それとも単に日常語として「性的な/対象」と言っているに過ぎないのかしら。これは、かなり大きな違いよ。

仮に前者なら、例えば「性的対象化」の定義を参照して、動画における戸定梨香の描写が、本当にこの概念に該当するかはチェックさせてもらうわ。
そして、該当してなかったら、「性的な対象」という文言は取り下げるべきだと主張するわ。だって違うんだもの。
化学系でいえば、「10%塩酸水溶液は、酸性である。」と書いているのに、実際に調べてみて酸性じゃなかったら、その記述は削除しないといけないって話よ。当たり前ね。

「性的対象化」の定義の一例は次の通りね。ざっくりこういう条件を満たすと「性的対象化」に該当するらしいわ。

「道具性」:対象を自分の目的達成のための道具とすること。
「自律性の否定」:自律性や自己決定能力を欠いたものとして対象を扱うこと。
「不活性」:行為者性や活動性を欠いたものとして対象を扱うこと。
「交換可能性」:他の対象と交換可能なものとして対象を扱うこと。
「毀損可能性」:壊してもよいものとして対象を扱うこと。
「所有性」:買ったり売ったりできるような所有物として対象を扱うこと。「主観性の否定」:経験や感情を考慮しなくてよいものとして対象を扱うこと。
小宮友根|炎上繰り返すポスター、CM…「性的な女性表象」の何が問題なのか visited 2021/09/18
※ヌスバウムの元論文はこちら。

どれも戸定梨香さんの動画には該当しそうにないわね。

そして次は更に問題よ。
「女性の定型化された役割に基づく偏見及び慣習を助長しています。」とあるけれど、「A(動画)がB(偏見・慣習)を助長する。」という主張は、根拠となる理論またはデータ無しには正当化できないわ。

もちろん、今回の「戸定梨香さんの動画」について、「確かに偏見が助長された。」というデータは誰も絶対持ってない(時間的にもデータの取りようがない)でしょうから、何らかの理論に基づく「予測」だと思われるわ。

なら、それって何?

ここは最低限、こう書かなきゃいけないんじゃないの?

「~らが提唱した……という理論によれば、本動画でも見られる……という要素をもつ表現は、偏見・慣習を助長することが明らかとなっています。(したがって、本動画には問題があると言えます。)」

じゃないとトレーサビリティが取れないじゃないの。

※トレーサビリティ:直訳すると追跡性。要は後から読んだ人が、その記述内容の正しさをチェックできるかどうか。出典の明記もトレーサビリティ確保の手段のひとつ。

「性的対象化」も同じだけど、何に基づいてその判断に至ったのか読者に分かるようにしていないと、「無根拠」と完全に同じ扱いになるわ。これはマジよ。「本当に『助長する』といえるのか、基づいている理論の正しさを検証してみよう。」と思っても、文章に出典がないから検証できず(トレーサビリティがなく)、筆者の判断を「信じるかどうか」という問題になっちゃうわ。

私は実験のレポートで「これくらいは常識じゃない?」一文だけサボって出典を書かなかったら、それ単体で指導教官からクソ怒られたわ。

「この部分、根拠ないから君の勘だよね? それなんで信用に値するの? 君、論文の解釈を間違えないって保証でもついてたっけ? ついてないよね?」

ってスーパー・モラハラを食らったわ。

話を戻すと、
仮に戸定梨香さんの動画が真に「差別を助長する」なら、例えば、ランダムに1,000人くらい集めて、戸定梨香さんの「動画を見るグループ」と「動画を見ないグループ」に振り分けたら、前者のグループで差別的価値観が統計的に有意な水準で強化されるのよね?
もしそういう実験をやれば、そんな結果が出るはずだ、という論理よね?

それって本当に?

本当かしら?

本当に、しっかり、ゆっくり、主張できることかしら?

はい。私は、たった1パラグラフの文章に対してこの程度は批判するわよ。「なんとなく」「正しそう」とかでは絶対に納得しないわ。

ちなみに後ほど、「差別なんて強化されない(と予測される)。」というまともな根拠のある論証を、私がやるわ。
イチャモンをつけるだけじゃなくて、こっちはこっちで論証しましょう。それが真のゆっくりというものよ。

ただ細かい話になるから、まずは本文を進めていきましょう。

抗議状の検証② 「固定観念と有害な慣行」

 戸定梨香というVtuber(アニメキャラクター)は、セーラー服のような上衣で、丈はきわめて短く、腹やへそを露出しています。体を動かす度に大きな胸が揺れます。下衣は極端なミニスカートで、女子中高生であることを印象づけたうえで、性的対象物として描写し、かつ強調しています。
全国フェミニスト議員連盟による抗議状 visited 2021/09/19

「性的対象物」ね。前記の通り、これが「性的対象化」を意味するなら、少なくとも、ヌスバウムさんはこっちの味方で、「戸定梨香の描写で性的対象化は起きていない」と言ってくれるはずだわ。
この「ヌスバウムさんはこっちの味方」という予測は、出版されている論文の内容に照らし合わせているから、ちゃんと「根拠のある」話よ。

あ、胸揺れがどうのは、他の方がしっかり批判しているから、私はあえて繰り返さないわね。

 国連女性差別撤廃委員会〔原文ママ〕の勧告(2016年)は、日本政府に対して「固定観念と有害な慣行」として、「メディアが、性的対象とみなすことを含め、女性や女児について固定観念に沿った描写を頻繁に行っていること」に懸念を表明しています。公共機関である警察署が、女児を性的対象とするようなアニメキャラクターを採用することは絶対にあってはならないことです。
全国フェミニスト議員連盟による抗議状 visited 2021/09/19

やっと出典を書いたわね!

男女共同参画局のWEBページに、国連女子差別撤廃委員会関連の資料はまとまってるわ。(ちなみに、抗議状では「国連女性差別撤廃員会」になってるけど、正式な日本語名は「国連女子差別撤廃委員会」よ。こういう間違いも本当はダメなのだわ。)

国連女子差別撤廃委員会の最終見解報告書で、該当するページはここね。

固定観念と有害な慣行
20.委員会は、家父長制に基づく考え方や家庭・社会における男女の役割と責任に関する根深い固定観念が残っていることを依然として懸念する。委員会は,特に以下について懸念する。

(a) こうした固定観念の存続が、メディアや教科書に反映され続けているとともに、教育に関する選択と男女間の家庭や家事の責任分担に影響を及ぼしていること、
(b) メディアが、性的対象とみなすことを含め、女性や女児について固定観念に沿った描写を頻繁に行っていること、
(c) 固定観念が引き続き女性に対する性暴力の根本的原因であり、ポルノ、ビデオゲーム、漫画などのアニメが女性や女児に対する性暴力を助長していること、並びに
(d) 性差別的な発言が、アイヌの女性、同和地区の女性、在日韓国・朝鮮人の女性などの民族的及びその他のマイノリティ女性や移民女性、並びに女性全般に向けて続いていること。
CEDAW第7回及び第8回報告最終見解(男女共同参画局 仮訳 PDF文書)

とりあえず最低限、全フェ連の引用は適切だわ。確かに「メディアが、性的対象とみなすことを含め、女性や女児について固定観念に沿った描写を頻繁に行っていること」とある。

また、極めて重要なのだけれど、この勧告文における「性的対象」は明確に「性的対象化」の文脈にあるわ。英語原文だと"sex-objects"となっているのよ。
そして"sex-objects"で検索すると、ぶっちゃけ性的対象化関連の話しか出ない。英語版(本家)Wikipediaでも、sex objectsで検索すると、自動的にSexual objectificationのページにリダイレクトされるのよ。

画像2

Wikpedia検索結果

まあ、もうほぼ間違いなく、国連女子差別撤廃委員会の勧告文は「性的対象化」理論によるものと考えていいでしょう。であれば、それに繋がる全フェ連抗議状における「性的な対象」「性的対象」も、「性的対象化」の意味で解釈するのが妥当だわ。
なら、全フェ連は、「性的な対象」「性的対象」を誰のどの定義に基づいていて書いているのか答えるべきよ。

更に注記――委員会勧告文にある「固定観念が引き続き女性に対する性暴力の根本的原因であり、ポルノ、ビデオゲーム、漫画などのアニメが女性や女児に対する性暴力を助長していること」については、全フェ連の抗議状とは別件だけど、これはこれでまた批判するわ。

抗議状の検証③ 「性犯罪誘発の懸念」

見解をお聞きしたく、以下の質問にお答えくださいますようお願いします。

1、交通事故防止啓発キャラクターに、戸定梨香を採用した理由をお答えください。
2、女児を性的な対象として描くキャラクターを採用することは、性犯罪誘発の懸念すら感じさせるものですが、採用決定過程においてどのような検討をされたかお答えください。
3、ジェンダー平等の視点から、このようなキャラクターを起用した警察署の発信をどうとらえているかお答えください。
4、青少年への様々な教育や施策に関わる立場として、この動画をどう考えるかお答えください。
全国フェミニスト議員連盟による抗議状 visited 2021/09/19

質問1,3,4はどうでもいいし、もう長くなってきたから飛ばすわね。

2の質問「性犯罪誘発の懸念」は、先ほどの国連女子差別撤廃委員会の引用「固定観念が引き続き女性に対する性暴力の根本的原因であり、ポルノ、ビデオゲーム、漫画などのアニメが女性や女児に対する性暴力を助長していること」とも類似しているわね。

さあ、ここからが本番だわ!

ていうかもっと早く本番に入る予定だったけど、予想以上にツッコミどころが多かったから、こんな位置まで来ちゃったのだわ!?

「性的に露骨な表現物」は性犯罪を誘発するか?

本当は「性的対象化表現物」と「性犯罪」の関係を調べたかったんだけど、そんなものはなかったから、「性的に露骨な表現物」と「性犯罪」の関係で代用するわね。結論からいえば、これらは因果的には影響しないという話になっているわ。(もちろん性的対象化表現、萌え絵の場合なら関与するのではないかという疑念は一応成立するけど、かなり望み薄だと思うわ。)

「性的に露骨な表現物」は英語で"Sexually Explicit Media(or Material)"、略称SEMと呼ばれていて、かなり実証研究の蓄積があるの。

Milton Diamondさんによる総説論文で、「性的に露骨な表現物」と「性犯罪」の関係が詳しく検討されているわ。

(WEBで全文読みたい場合はこちら。)

一般向けに、まず「総説論文」(レビュー)の説明をしておきましょう。

総説論文というのは、「特定の分野やテーマに関する先行研究を集め、体系立ててまとめることで、その分野やテー マの概説や研究動向、展望を示す」タイプの論文よ。(北海道大学図書館の説明を使わせてもらったわ)。

要は、新しい研究を自分でやったのではないけれど、ある分野やテーマについてこれまでの知見をまとめてみました、って感じの論文ね。
個別論文(原著論文)を一つずつ読むのは批判的検討がめちゃくちゃ大変なのよ。どんなに科学的に間違った奇説・珍説でも、「一応、論文として出版されているもの」は検索するとヒットするのだわ。そういうのに引っかかってないか、自分で全部検討しないといけないの。

その点、総説論文を読めば、ある程度まではそうした奇説・珍説に乗っかってしまうのは避けられるわ。もちろん、世の中に完璧はないけどね。
だから、研究者さんが新しいテーマに取り組む時なんかは、まずそのテーマに関する総説論文を探して読むのが普通よ。

さて。Diamondさんは、「性的に露骨な表現物と性犯罪」を報告した論文をたくさん集めて、「大体こういう見解が支持されているようだ。」と総説論文を通して教えてくれてるわけね。

じゃ、その要約をまずは読みましょうか。

(※私が日本語に訳してるから、厳密には原文を参照してちょうだいね。こうして、「こいつ、翻訳間違ってないか?」「論文の主張をねじまげて伝えてないか?」とかをチェックできるように出典を明らかにしているのだわ。まさにトレーサビリティの確保ね。)

【要約】
ポルノが社会に与える影響について深刻な懸念を抱いている声高な人々がおり、公共の場での使用や受け入れに反対している。そこで本論文では、性的に露骨な表現物の入手可能性に関連する主要な問題を検討した。科学的な調査によると、ポルノの入手可能性が高まるにつれ、性犯罪は減少するか、少なくとも増加しないことがいたるところで明らかとなっている。さらに、性的な表現物は、各個人に広く受け入れられ、使用されているだけでなく、成人がそうした表現物を利用できることに対して一般的に寛容であることも分かった。このような態度は、男女を問わず、また都市部だけでなく、保守的な地域でも見られた。さらに、この結果はアメリカ国内だけでなく、世界のさまざまな国でも同じであった。実際、この問題を科学的に調査した国の中で、ポルノを大人から制限すべきだと主張する国はなかった。唯一、一貫しているのは、大人は子供がポルノを制作したり使用したりすることを制限したがるということだった。
Milton Diamond, "Pornography, Public Acceptance and Sex Related Crime: A Review"(2010)

これだけだと、まだあまりよく分からないと思うわ。

どういうことかっていうと、
もし「性的に露骨な表現物」が性犯罪を引き起こしやすくするなら、

①「性的に露骨な表現物」が手に入りやすくなると、性犯罪率は上がる。
②また、「性的に露骨な表現物」の規制が緩和されると、性犯罪率は上がる。
(逆に、手に入りにくく、規制が厳しくなると、性犯罪率は下がる。)

こういう主張について、データの裏付けが取れるはずだ、と考えるわけね。ごもっともだわ。

そこで、Diamondさんは「性的に露骨な表現物」の入手容易性の変化と、性犯罪・性暴力の発生率の変化を対応させた論文をたくさん集めて、「みんな大体どういう結果を出しているか?」と調べたのよ。

結果、別に「性的に露骨な表現物」が手に入りやすくなったり、規制が緩和されたりしても、性犯罪・性暴力の発生率は減るか、少なくとも横ばいで増えはしなかったと複数の論文で明らかになったのよ。

ポルノが違法で比較的希少なものから合法的なものに変わったとき(あるいはその逆になったとき)に、ポルノが社会全体にどのように影響したかは比較することができる。
コミュニティが比較的多くの性的に露骨な表現物を持っている状態から、比較的少量になったとき、何が起こるか。これを調査した国家別研究の中で最もよく知られているのは、1970年代と1980年代にさまざまな国を研究したデンマークのBerl Kutchinskyの研究である(Kutchinsky, 1973, 1983, 1991, 1992)。当時十分なデータが入手できたデンマーク、スウェーデン、西ドイツ、米国の国々について、Kutchinskyは、約1964年から1984年までの数年間、ポルノがますます入手可能になるにつれて、これらの国々でのレイプの発生率は減少したか、比較的横ばいだったと報告している。1969年、1970年、1973年にポルノを合法化または非犯罪化した3か国すべてで、非性的暴力犯罪および非暴力的性犯罪(例:盗撮等)の発生率も本質的に減少した(Kutchinsky, 1991)。1970年代と1980年代にポルノがますます利用可能になるにつれて、レイプが増加したように見えたのは米国だけだった。しかし、Kutchinskyはまた、米国におけるレイプの記録方法が新しくなっために、見かけ上の性犯罪率が上昇した可能性があると述べている。
Milton Diamond, "Pornography, Public Acceptance and Sex Related Crime: A Review"(2010)

「性的に露骨な表現物」の危険性を叫びたい人たちにとっては残念なことに(そして社会にとっては良いことに)、そういうものがたくさん手に入るようになると、性犯罪率は逆に減ってしまうか、変わらなかったみたいね。

そしてDiamondさんの総説論文には、日本も登場するわ。

これらの観察が非西洋社会に当てはまるかどうかを確認するために、DiamondとUchiyamaは日本の状況を調査した(Diamond and Uchiyama, 1999)。1970年代以降、日本では、あらゆる種類のエロティックな興味やフェチに対応する性的に露骨な表現物が容易に利用できるようになっていた。調査の時点では、これらの表現物はすべて、年齢に関係なく誰でも利用可能だった。
警察の記録によれば、レイプの発生率は過去数十年にわたって着実かつ劇的に減少していることは明らかである。また、レイプの性質も大きく変化している。観察期間の初期には、レイプの多くはギャング(複数の攻撃者)レイプであり、報告されたレイプの件数よりも、レイプ犯罪者の数のほうが多かった。このような状態は今ではますます稀になっている。少年によるレイプの件数も著しく減少しており、1972年ではレイプの33%が少年による犯行だったが、1995年では18%になった。同じ期間に、性的暴行の発生率も減少している。
Milton Diamond, "Pornography, Public Acceptance and Sex Related Crime: A Review"(2010)

まあ、日本で性犯罪が減ってるのはみんな知ってるわよね。
今だったらスマホで更に「性的に露骨な表現物」の入手は容易になったけれど――何ならWEB広告でイヤでも目に入るようにすらなったけど――別にそれで性犯罪・性暴力が顕著に増加したって話は聞かないのだわ。

ついでに言えば、「男は仕事、女は家庭」みたいな古いジェンダー観の支持率の変化も、時系列的に調査・記録されてるわよね。男女共同参画局や総務省がやってるのだわ。

ねえ、時代に逆流して古いジェンダー観の支持率が高まったことって、あったかしら?

公共の場のあちこちに、TPOをわきまえずに、萌え絵が登場するようになると、「良くない」「古い」ステレオタイプが強化され、社会に蔓延するはずなのよね?

忘れた人のために、全フェ連の抗議状からもう一度引用するわ。

本動画は、女児を性的な対象として描いており、女性の定型化された役割に基づく偏見及び慣習を助長しています。
全国フェミニスト議員連盟による抗議状 visited 2021/09/19

「助長している。」というデータはどこにあるの? とりあえず統計上は出てこないけど。増えてないわよ、「女性の定型化された役割に基づく偏見」は。
あえてフェミニストでジェンダー研究者の方の論文から引用するわね。

 東ら(東・鈴木,1991)による、わが国の性役割に対する人々の態度変化についての研究展望では、日本人の性役割態度は、1970年以降、特に1978年以後男女ともに平等主義的な方向に変化し、男女の役割の区分が薄れてきていることが明らかであり、とりわけ、高学歴、管理職や専門職の若い女性が平等主義的態度をもつ可能性の高いことが指摘されている。また、1970年代とそれからおよそ20年を経た1990年代の2時点で、大学生男女を対象にしてジェンダー特性語の分類について同一調査をした湯川ら(湯川・廣岡,2003)では以下のような結果が得られている。まず、時点による変化については、1970年代に比べて1990年代では、典型的な性別規範に準拠した分類が有意に減少していた。すなわち、性の次元における伝統的な男性特性の優位性、つまりジェンダー規範が男性中心に構成され、より明瞭であるという傾向が減少するとともに、男とか女という性別を基準にした分類自体が減少しているという結果であった。性にもとづいて分類する場合でも、従来は男性特性とされていたものを女性特性とする反応が優勢になった。また、これについての性差をみると、2時点での変化は男子により顕著で、結果として男女差が縮まった。しかし、伝統的規範意識からの解放という点では、男子ではそれほどではなく、女子により明瞭であった。1970年代からおよそ20年を経た1990年代現在、青年におけるジェンダー認識は変化し、伝統的な性別ステレオタイプを支持する傾向が減少していることは明らかであった。
(中略)
近年におけるジェンダー規範の減衰や男女平等意識の高揚という傾向は、総理府をはじめとしたさまざまな官民の意識調査や社会統計にも反映されている(井上・江原,1991;1999)。これらの資料から認知的変化の様相を読み取ることはできる。
湯川・石田『ジェンダー認知の変容とその測定方法の検討』(2005)

まあ、もちろん、フェミニストの皆様の力強いご活動・ご活躍のおかげで、「ジェンダー規範の減衰や男女平等意識の高揚」が得られているのかもしれないわ。もしそうだったら――「そうである。」とちゃんとしたデータで示せたら――その点は素晴らしいと思うわ。

でも、「性的に露骨な表現物」にせよ「性的対象化表現」にせよ、こんなにも世にあふれるようになったのに、性犯罪率・性暴力率の上昇も、そして古いステレオタイプの強化ですら、何ら発生しておらず、普通に減少してるのは、単なる統計上の事実だから受け入れてほしいのだわ。

まだ生き残る道があるとすれば、

「性的に露骨な表現物」と「性的対象化表現」は、確かに性犯罪率・性暴力率を上昇させ、古いジェンダー観を復活させる力があり、有害なのだが、その他の要因による減少分の方が大きいため、結果的に総合すると減っただけである。

という説明かしらね?
でもこれ、私が何か付け足すまでもなく、相当苦しい説明だわ。「仮に有害でも、実社会に影響するほど大したものではないんだな。」くらいは返されるしね。この説明が正しいと言える根拠が必要だわ。

Diamondさんの総説論文では、フェミニストの意見の批判も含めた、興味深い研究報告がたくさん紹介されているわ。フェミニスト関係の部分を引用しておきましょう。

ポルノの入手可能性と容易なアクセスに反対する個人や組織は、通常、そのような表現は社会秩序を乱し、レイプや性的暴行、またはその他の性関連犯罪につながると主張している。そのような人々の多くは、こうした表現物に有害な影響があると深く確信しており、その入手可能性を制限し、さらには違法にするべきであるとする。あるいは、ポルノが必ずしも身体的犯罪につながるとは限らないとしても、女性の社会的地位衰退の一因であると考えている。
(中略)
彼らは表現されている行為がすべての女性の身体的危険に直接つながる可能性があるという意味で有害性を主張している。そのような信念の最も強い表明としては、ロビン・モーガン(Morgan, 1980)、アンドレア・ドウォーキン(Dworkin, 1981)、スーザン・ブラウンミラー(Brownmiller, 1975)、キャサリン・マッキノン(MacKinnon&Dworkin, 1988)の著作が挙げられる。
しかし、議論の反対側では、ポルノは喜びを提供する空想の表現であり(Christensen, 1990)、実際の性的攻撃を緩和することができるメディアであり(Wolf, 2003)、性的攻撃の積極的な置き換え対象として機能することができる表現物である( D'Amato, 2006)と報告されている。
そして、カミール・パーリア(Paglia, 1991)、レオノーレ・ティファー(Tiefer, 1986)、NB McKormick(McKormick, 1994)などのフェミニストも、ポルノが社会的窮状と性的制限の束縛から女性を解放し、実際には女性に力を与えると述べている。
たとえば、デボラ・カメロンは、性的に露骨な表現には「女性の解放の可能性」があると考え、それらは「プロポルノ」であると述べている(Cameron, 1990)。
Milton Diamond, "Pornography, Public Acceptance and Sex Related Crime: A Review"(2010)

さらに、性暴力的表現に限定せず、「暴力表現」一般まで広げてみましょう。それなら「暴力的言動」や「暴力犯罪」に関連付けられるの可能性はあるわ。

まあ、表現の人への影響という観点からすれば、暴力的表現と性的表現がそれほど別でもないでしょう。要は「悪い表現」が「悪い心と行動」を生むのかという問題だわ。

そうすると、次の総説論文が挙げられるわ。

この総説論文(厳密にはメタ分析論文)を書いているFergusonさんは、「暴力表現が人の心理・行動に悪影響を及ぼす」という主張に対し、統計に基づく科学的な反論を継続的に行っていることで有名な方よ。
特に上の論文は、101の論文を分析して「実際に悪影響を及ぼすのか?」と検証した内容になっているわ。

101の研究から得られた結果を総合すると、ビデオゲームによる攻撃性の増加(r = 0.06)、向社会的行動の減少(r = 0.04)、学業成績の低下(r = -.01)。抑うつ症状(r = 0.04)、注意欠陥症状(r = 0.03)といった影響は、最小限であるという説が支持された。
(中略)
暴力的か否かにかかわらず、ビデオゲームが子どもの幸福に及ぼす悪影響は最小限であることがわかった。これは、他の変数がコントロールされ、標準化された有効な結果指標が用いられている研究に特に当てはまる。また、出版バイアスは、攻撃性に関する研究の継続的な懸念事項であると言える。
本研究により、ビデオゲームの問題は、貧困、メンタルヘルス、家庭内暴力などの他の問題と比較したとき、子どもの幸福度に及ぼす重要性は相対的に乏しいことが明らかとなった。
Christopher J. Ferguson, "Do Angry Birds Make for Angry Children? A Meta-Analysis of Video Game Influences on Children’s and Adolescents’ Aggression, Mental Health, Prosocial Behavior, and Academic Performance"(2015)

これは少し解説が必要ね。
最初の要約から引用した部分は「なるほど、攻撃性の増加とかはあまり引き起こさないんだな。」という程度の理解でいいんだけど、「他の変数がコントロールされ……」はちょっと分かりにくいわよね。

この部分は、「暴力的なゲームをすると、暴力的な人間になる!」と主張する論文に対する批判よ。

そういう論文は、基本的に調査票(アンケート)を使っていて、だいたい次みたいな質問を並べているの。

1.暴力的なゲームで遊んだことがありますか?
2.そのゲームをどのくらいの時間・頻度で遊びますか?
3.最近、~という暴力的な行動をしましたか?
4.あなたは、~という(暴力的な)考えを支持しますか?
5.……

そして、「暴力的なゲームをプレイする」と答えた人は、「暴力的な考えを支持し、また行動する」とも答える人が多い(回答の間に正の相関がある)という結果を出して、「ほら! やっぱり暴力的なゲームは、暴力的な考え・行動を引き起こすんだ!」と論じるのよ。
(もちろん、もう少し思慮深い人は、「アンケートの回答では、正の相関関係が見られた。」までで止めるんだけどね。)

でも、そういう研究では、回答者である児童が置かれている環境の違い――貧困やメンタルヘルス、家庭の状況――が考慮に入ってないことが多くて、いわゆるスプリアス効果を起こしている可能性があるわ。これがFergusonさんの指摘ね。
このスプリアス効果については、分かりやすい説明をしてくれている本があるから、そこから引用するわね。

 複数の変数の表面上の相関関係が、どれも一つの共通の原因から生じた結果にすぎないということがままある。これを「スプリアス効果(spurious effect)」という。
 スプリアス効果のわかりやすい例として、家にある「灰皿の数」と家族の誰かが「肺ガンにかかる率」の関係を考えてもらいたい。「灰皿」が「肺ガン」を引き起こすわけではないことは誰にでもわかるだろう。逆に「肺ガン」になるとむやみやたらと「灰皿」を集めたがるわけでもない。どちらも「喫煙習慣」からの結果にすぎない。つまり[灰皿←→肺ガン]という相関関係が証明されたとして、両者の間に因果関係はありえない。
谷岡一郎『社会調査のウソ:リサーチ・リテラシーのすすめ』文春新書(2000), p.135.

例えば、「(暴力的なものに限らず)ゲームを常軌を逸してめちゃくちゃ長時間プレイしていて、かつ暴力的に振る舞っている児童」を考えてみましょう。

そういう子って、まず家族との関係があんまり上手くいってなさそうよね。暴力まで振るわれていなくても、育児放棄に近い状態にあるのかもしれない。

この場合、「家族とのコミュニケーションがないか、あっても敵対的ないしは極めて冷淡である。」が、その子の持つ暴力性の真の原因であり、「家庭内で時間をつぶす手段としてゲームを選択していること」なんて、実はどうでも良い問題だった、という可能性はごく現実的な問題としてあるのだわ。その子からゲームを没収しても、何の解決にもならないわ。

そして、それが実際にそうなのだと示したのが、上のFergusonさんの論文よ。

性表現の規制論についても、全く同じ批判が可能よ。「性的に露骨な表現物」にしても「性的対象化表現」にしても、性犯罪を誘因するとか、「悪い」ステレオタイプ信念を強化するとか、たしかにアンケート調査で相関関係を調べては何度も繰り返し言われているわ。
だけど、相関関係は因果関係ではないし、そうした表現物を楽しんでいる人たちがFergusonさんが言うような状況にあるなら、「没収」なんてやっても、ただその人を追い詰めるだけで、少しも問題を改善しないでしょう。

ちなみに、この「相関関係は因果関係ではない。」に関しては、米連邦最高裁における「暴力的なゲームの規制に関する裁判」でも採用されているわ。

カリフォルニア州が制定した暴力的なビデオ・ゲームの子ども向け販売規
制法をめぐる裁判では、米連邦最高裁が2011年6月、州が規制根拠としたAnderson et al. の研究結果について「あくまで相関関係であり、暴力ゲームが未成年者の攻撃的行動を引き起こすと証明したわけではない」とし、規制法を違憲とした[16]。
[16]米連邦最高裁判決(Opinion of the Court in Brown, Governor of California, et al. v. Entertainment Merchants Association, et al., June 27, 2011)
『性的有害情報に関する実証的研究の系譜』(渡辺, 2012)

さて。こうなってくると、逆に性的表現を規制しようとする人たちは、一体何を根拠にそんな主張をしているのか不思議になってくるわよね?

本動画は、女児を性的な対象として描いており、女性の定型化された役割に基づく偏見及び慣習を助長しています。
(中略)
2、女児を性的な対象として描くキャラクターを採用することは、性犯罪誘発の懸念すら感じさせるものですが、採用決定過程においてどのような検討をされたかお答えください。
全国フェミニスト議員連盟による抗議状 visited 2021/09/19
(c)固定観念が引き続き女性に対する性暴力の根本的原因であり、ポルノ、ビ
デオゲーム、漫画などのアニメが女性や女児に対する性暴力を助長してい
こと
CEDAW第7回及び第8回報告最終見解(男女共同参画局 仮訳 PDF文書)

じゃあ、再びゆっくり問いかけたいわ。

「女性の定型化された役割に基づく偏見及び慣習を助長」

「女児を性的な対象として描くキャラクターを採用することは、性犯罪誘発の懸念すら感じさせる」

「固定観念が引き続き女性に対する性暴力の根本的原因であり、ポルノ、ビ
デオゲーム、漫画などのアニメが女性や女児に対する性暴力を助長」

これらの主張の、科学的な根拠って何?

――そんな主張、成立しないと思うのだわ!

以上。

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……さて。記事の本テーマとしてはこれで終わりなんだけど、
ちょっとしたオマケ有料部分を書くわね。

内容としては、私が本気で調査した結果見つけた、表現規制を正当化する側に使えるであろう、現状望みうる最大火力の根拠資料(論文)の紹介よ。

私もまだ完全に対策しきれてないんだけど(数が多い……)、今後も規制派と戦っていくには、「最も強力な論敵」を想定し、それにどう応じるかを考えていかなくてはいかないわ。

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