プードル的なプードル650匹とダンス
こんばんは。
てらいです。
普段はサラリーマンをしながら、さまざまな発信をしております。
さて本日は、前回の記事に引き続き、私の音楽ルーツに触れていきましょう。
父の実家に眠っていた古いYAMAHAのギターに初めて触れて、ギターに興味を持った少年。
しかしながら自分で購入するほどの意欲はなく、次第にその気持ちと熱意も薄れていきました。
それでも音楽はこれまで以上に好きになり、さまざまのアーティストのCDをTSUTAYAで借りる日々がスタートします。
やはり中学生、さすがにCDをバンバン購入する財力はなし。
それでも必ずポルノグラフィティとBUMP OF CHICKENだけは新譜を購入していました。
中学生になると交友関係も広がっていき、自分が知らない音楽に触れる機会が必然的に生まれます。
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それにしても、なんで人によってこんなに興味を持つ音楽って変わるんだろう。
だいたい小学生くらいまでは、ほとんど同じだと思うんですよ。
それがなぜかどこかのタイミングから枝分かれして、僕みたいにもっぱらバンドばかり聴く少年、HIPHOPにハマっていくヤンキー、アニソンの良さを俺より10年近く早く知っている、尊敬すべきオタク。
その好みに基づいて、割と見た目とかファッションにも影響がある気がする。もしくはそっちが先なのかな?
そんな枝分かれをしている中でも、僕たちの世代の必修科目だったのは、
オレンジレンジのアルバム「musiQ」だったなぁ。
ちょうどみんなの間にあるJ-POP代表だったのかも。
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BUMP OF CHICKENとポルノグラフィティの二大巨頭で埋まっていた僕のプレイリストに、ものすごいスピードとパワーでぶつかってきた勢力がいます。
Janne Da Arcです。
今でも忘れない、中学2年生の秋頃。
クラスメイト(入学した頃は全然そんな感じじゃなかったのに、気づいたらヤンキーっぽくなっていた)に突然、「音楽好きなんでしょ?これ聴いてみてよ」って言われてCDウォークマンのイヤホンを差し出された。
その時に聴かせてもらったのが、「Love is Here」。
当時感じたのは、これまでのポルノやバンプみたいな系統はまた違う、
形にしたら、マルというよりはホシに近いような、そんな感じを覚えています。
そこから私の音楽ルーツはヴィジュアル系まっしぐらなのでした。
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初めて自分のギターを手にしたのは中学3年生でした。
叔父が高校生の頃に購入したというMorrisのアコースティックギターを、
もう使わんからやるよ、と譲り受けました。
そのとき初めてギターを練習し始めたことをよく覚えています。
BUMP OF CHICKENの弾き語りスコアブックを買って。
初めはロストマンのイントロが弾けるようになりました。
そして高校に入り、初めてのエレキギターを購入しました。
本当はバンプの藤原基央さんに憧れて、黄色のレスポールが欲しかったのですが、
もちろん手が届かないので、とりあえず初心者セットみたいな白いレスポールを。
実はエレキギターを買った段階でも、フルで演奏できる楽曲は数曲で、
僕も例に漏れず、Fコードで挫折している少年でした。
ただ、ずっとアコギで練習していたおかげもあって、エレキギターではFコードがすんなりと押さえられる!!!
(一般的にアコギの方がエレキに比べてコードが押さえづらいとされている)
ということでギターの楽しさ全開。
いつかバンドを結成した時のことを夢見て、ずっと家で練習していました。
ちなみに高校で軽音楽部には入部しませんでした。
そこまで自信がなかったことと、「バンドを組んだ状態」での入部が求められたからです。ハードルたっけ。
結果論ですが、同学年の軽音楽部には今でも音楽で生計を立てている方が何名もいて、マジですごい。
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メンバーをそろえてスタジオに入ったのは高校2年生の時でした。
ギターとベースが中学の同級生、ドラムは高校の同級生で、バンプの曲を数曲コピーしたなぁ。
覚えている限りでは「embrace」「真っ赤な空を見ただろうか」「K」とか。
とにかく楽しかったけど、ライブに出よう!とかは考えてなくて、
ずっと部屋で1人でギターを練習してた僕としては、人と音を合わせるだけでとにかく楽しかった。それは今でもずっと根底にあるのかも。
その気持ちがだんだん「人に聴いてほしい」とか「自分の曲を作りたい」とか、すこしずつ欲求が膨らんでいくんだな。
それでも、コピバンでの初ステージはまだ数年先、オリジナル曲がバンドで演奏できるのはもう少し先のお話。
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少しV系のお話を最後に。
Janne Da Arcにどっぷりとハマって、そこからV系街道まっしぐらなんですが、
「振り向けば・・・」がリリースされたタイミングがちょうど自分の中学校卒業と重なったこともあって、
あとVoのyasuがちょっと髪を切って爽やかでマジかっこよかったんですが、そのアー写のポスターが特典ということで、
初めて音楽雑誌というものを購入しました。ARENA 37℃です。
もちろんジャンヌ目当てでしかなかったのですが、せっかく買ったんだしと思い他のページもペラペラと。
それでも当時は、V系というジャンルや見た目にそこまで賛同できず、特に興味を持ちませんでした。
それでもなんとなく直感で気になったのが、ガゼット(アルバム「NIL」のリリース)、雅-miyavi-(「セニョール セニョーラ セニョリータ」のリリース)、蜉蝣(Vo.大佑のインタビュー)、Kagrra,(Ba.女雅のインタビュー)。
ここから、バンドメンバー全員を知ることがガゼットを聴き始めました。
ちょうどアルバム「NIL」がリリースしたタイミングで、すぐにTSUTAYAへGO。そしてハマってすぐ購入。
「もしかして、V系めっちゃ好きなのかも?」と思ってそこからは、
ガゼット、シド、Plastic Tree、ムック、Dir en grey、メリー、蜉蝣、deadman、cali≠gari、ナイトメア、人格ラヂオ、彩冷える、9goats black out、などなど
とにかく隅から隅まで聴きあさりました。
その中でも特に、歌詞を作るにあたって影響を受けたのはシドとPlastic Treeと人格ラヂオだと思います。
自分の書く歌詞にハッピーエンドがないことや、コード進行が意味不明がこと、メロディーの置き方などは確実にV系にルーツがあります。
歌うことの楽しさをポルノに、
バンドをやりたいという気持ちをバンプに、
メロディの置き方をジャンヌに、
歌詞の書き方をシドとプラと人格に。
自分の聞いてきた音楽で、自分の音楽が形成されているなぁと、
しみじみ思う夜でした。
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寺井の音楽編は以上です。なんか思ったより単純に長くてつまらないな。
過去の話を中心に書いていくと、文末が「〜ました」ばっかりになってしまうのが気持ち悪い。
それも含めて自然体ということで、今回はご容赦を。
ちなみに当時のARENA 37℃と同じものをメルカリで見つけたので購入しました。エモすぎて西本より俺の方が中2になっちゃうかもね。
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