神田財務官[一緒にやらないか]に反論

こちらは力のある文章だが、いかにも官僚的でもあり、よく読めば矛盾に満ちている。

一、明日の日本を、世界を担うことになる新世代の皆さん、今の社会をどう思いますか? 合理的思考があれば危機感を持たざるを得ないはずだ。でありながら、何やっても無駄だ、と不満と虚無感のみ漂う大衆民主主義の中で埋没してないだろうか。否、自分でやれることがある。社会的責任を果たすだけでなく、自分を含めた社会のあり方を所与でなく対象として考えられる場、それが財務省だ。

大言を吐いたなら、その言葉に責任を持つべきです。世界を、日本を担ってきた。そして日本は衰退している。そしたらこれは財務省のせいということになります。

そもそも財務省は世界を担っているのでしょうか?
財務省は、社会の一部を担っています。他の仕事と同様に。
それが主に日本に限られるのが財務省です。
日本が世界の中心であった1980年代ならいざ知らず、現代では、財務省よりGoogleに入社した方が、世界に対してより大きな社会的責任が果たせます。
1980年代から今まで、社会の在り方を考えてきて、今の日本があるのなら、それに対する総括の言葉が必要でしょう。
現状の日本経済がおかしいのは政治家のせい?それとも国民のせい?
確かにそうかもしれません。世界情勢の問題、人口減少・少子高齢化の影響も大きいでしょう。
しかし、もしそれらのせいだというのなら、財務官僚も普通の仕事と同じで「社会のあり方を所与としてしか考えられない団体」です

1財務省の使命は減じたか。

 私の経験からは逆だ。変質したが、寧ろ、より高度で大きい仕事が期待されている。私の入省時、55年体制といった構造下、絶大な権限をもちつつも、制度の円滑な運営者、時には、言語ゲームの肝煎という側面さえ感じられた。そして、黒澤の「生きる」をみて、何か変えたい、と素朴に思いつつ、幕末の志士や坂の上の雲の主人公達に与えられた機会を羨ましく思った事もあった。

 翻って今、財務省は国家運営の中枢を引き続き担っているが、制度改革の主宰者という新たな任務の色彩が強く感ぜられる。我々は民族生存、世界繁栄の闘いの前衛にいるという実感だ。急変する流動的事態の下で危機的状況からの脱却を模索する、政策手段の進化、更には、社会観・パラダイム転換の苦悩は、困難ではあるが、極めて知的付加価値の高いエキサイティングな過程である。

 また、日本の世界に及ぼす影響は、日本経済の発展と世界の相互依存の進展の結果、これまで我が国が経験したことのない程、遥かに大きく、財務省の政策レバレッジは極大化している。国際経済の運営、国際秩序の形成に深くかかわり、我々のイニシアティヴで世界を動かすことが日常化してきている。更に、民主主義の進化に伴い、利益構造の多元化(の顕在化)、説明責任の増大を含め、政策調整・意思決定コストが高まり、我々にコンセンサス形成努力において新たなチャレンジを与えている。

巨額の税金によって民衆の経済が目に見えて疲弊しています。それ以外の政策でもしかしたら重要な貢献があるのかもしれません。しかし、税金こそ財務省の最大の任務であり、国家こそ税金です。他のどんな政策がうまくいっても、税金運営に問題があるなら財務省は失敗しています。今の日本の徴税・分配が健全だと胸を張っておっしゃるなら、財務官僚は無能の集まりと言わざるを得ません。


2財務省が社会を背負うと言うのは思い上りではないか。
 勿論、哲人王に全く及び得ない我々の判断は、後世の歴史の審判を仰ぐより他ない。我々が常に正しいと信じるのは傲慢である以上に愚劣である。後知恵だが、失敗もあったと思う。理性的な判断をするには、気負い過ぎないことも肝要である。
 しかし、他方、財務省ほど、情報と政策手段(予算、税制、財投、為替等々)が集中している組織が他にあろうか。また、余りに広く、時に抽象的な国益を背負っているため、いわば、財務省は国の縮図であり、省益という概念自体、惹起し難い。従って、国家、世界の視座でものを考えうる比較優位と、そうすべき義務が自ずと付着するのである。君も入ってみれば、短期的な社益、省益に拘泥しない議論の正統性、それに勇気付けられた自由闊達な精神風土に驚くであろう。

財務省には情報と政策手段という権益がそんなに集中しているとは存じ上げませんでした。
それだけの権益があるなら、予算削減しましょうよ。それこそ財務省の得意技じゃありませんか。そして予算削減の中で成果が減ったとき、財務官僚にこう言われるわけです。

「財務省は納税者への責務を果たせ」「魅力と競争力に欠ける財務省」。「タテ割り」「タコツボ」「相互不干渉」「今のままでは生き残れない」「内向き、閉鎖的、競争しないムラ社会」。
https://kyoiku.yomiuri.co.jp/rensai/contents/44.php

まあ良く言ったもんです。自分たちは責務を果たしていると思っていならすごいもんです。

恥ずかしながら哲人王という言葉は知りませんでした。でも「先ず隗より始めよ」というのは知ってますよ。元の意味は少し違いますが、現在の意味は、何かやるときはまず自分から、ということです。
あと、哲人王を調べたら、かのアドルフ・ヒトラーが哲人王を意識して哲人総裁を自称していたそうですね。

4財務省はネガティヴ・チェック、他省庁や民間にケチをつける存在にすぎないのではないのか。

 私の経験は、いや、極めて、創造的、建設的な存在という実感だ。例をあげよう。

(例2)君も携帯電話がトンネルで通じなくなる不便を感じたことがあろう。総務省予算担当主査時代、財務省は、この問題を克服するため、新たな仕組みを総務省に提案し、実現した。具体的には、税収に迷惑を掛けず、電波利用料を有効活用する補助制度新設の形で、携帯電話の通話地域拡大を図ったわけである。

ここで書いている文章は、進学校の先生が授業をサボって部活ばっかりして、甲子園に行って自慢しているようなもんです。
繰り返しますが税金こそ財務省の最大の任務です。税金や保険料が問題だらけなので、他の手柄を語るのは些末の事になります。
優秀な人がなにか影響力のある行動を実現したこと、それ自体は戦術家として有能であることを示します。しかし、その結果が良くない方向に行ったり、最も重要な課題に取り組んでいなかったりした場合、戦略としては失敗になります。戦略は戦術に優先します
要するに、財務省は小手先ではいろいろ意味がありそうなことをしているけど(しかも財源と権益が大量にある恵まれた環境で)、結局のところ、日本のかじ取りに失敗している無能集団と言わざるを得ません。
それと、電話代が下がらない理由の一つは財務省にあるということですね。
トンネル内で電話が通じることがどれだけ日本の国益になっているか、僕にはよくわかりません。まず第一に、電話回線は現在ではほとんど使いません。Wifiこそインフラです。そして、少なくとものぞみではwifiはトンネル内では使えません

(例3)我が国のバリアフリー化の遅れに忸怩たる想いをしていないか。障害者、高齢者が誇りをもって生きていける、更には社会に貢献できる環境を形成することは、文明国家の当然の責務であるとともに、社会費用を社会資産に転換し、経済合理性に適う。他方、財政は危機的状況、単なる補助金は許されない。 そこで、国土交通省予算担当主査時代、他の歳出を削減しつつ、乗降客数、高低段差の一定の条件に適う駅全てのエスカレーター、エレベーター設置を法的に義務付けて、民間事業者の役割を明確化することとセットで、時限補助制度を導入した。ノンステップバスについても、価格インセンティヴに整合的な費用対効果の高い支援制度を創設した。

エスカレーター・エレベーター設置費用は誰が払ったんでしょうか。もしかしてJRと私鉄が払い、その分運賃に足されているんでしょうか。それは本当に国益に叶っているんでしょうか。

北海道や九州の電車が相次いで路線を縮小し、高齢者が車無しでは生活できない社会になってしまっている一因がこのエレベーター設置義務化ではないでしょうね

世の中のあらゆることには、メリットとデメリットがあります。自分の仕事の成果とメリットだけを語り、天下国家を論じない様は、滑稽と言うほかありません。

(例4)国際援助が有効活用されているか国民として疑問があろう。これからは経済力に頼れず、知恵で国際社会にプレゼンスを示さなくては日本民族は、名誉ある地位を占めることはおろか、生存さえ危ぶまれる。 今ある資金を最大限、効率的に世界経済の発展、貧困削減に役立てること、現在の経済力をより持続可能で制度的な力に転化することが喫緊の課題だ。こうした考えにたって、開発政策課補佐時代、世界銀行審議役時代、数々の国際協力改革に従事した。世銀における制度大改革や重要な開発政策における日本のプレゼンス向上、我が国ODA・OOFの費用対効果向上・合理化、説明責任向上等々、枚挙に暇ない。 特に、援助の金額に頼らない、知的支援と国際合意形成における貢献による各途上国の開発支援や、途上国債務問題の合理的な処理を主導したのは財務省である。最近のイラク、アフガン、スマトラ沖地震の被災国の復興支援においても極めて重要な役割を果たしている。  勿論、以上の例示は、相手省等、カウンターパートの志ある人々との共同作業である。財務省の手柄というつもりもないし、共に苦労した人々に拍手を送りたい。しかし、財務省が極めて主体的な役割を担ったことも事実であるし、また、あらゆる分野で様々な組織の優秀な人々と、時には激論を交わしつつ、より良い社会への作業を共にできることも財務省の醍醐味である。因みに、私がお世話になった官民の人々は、今も、私の良き先輩であり、友人であり、相談相手であり、ひいては生涯の財産である。

大学に対する意見を見るに、このODAに関する手柄を手放しで信用できません。

途上国に対しても同様に上から目線で「合理化」を主導してないと良いと心より願っています。

財務省は所詮、政治の僕ではないのか。

 政治が価値の権威的配分とすれば、財務省の仕事は、政治の従僕ではなく、それと寧ろ一体不可分である。政治過程において、財政構造改革といった、より総合的、長期的なビジョンとそれに基づく政策を提示することも我々の役割である。素晴らしい政治家でも、選挙の支持基盤の制約から、本人の意思に反し、なかなか納税者全体の立場にたちきれないこともある。

 また、年金問題に見られるように、将来世代の利益が代議制を通じては代表され難いこともある。そこで、我々が客観的な分析に基づいて政策主張し、合意形成に向けて説得に努めなくてはならない場面が多々出てくる。そして、実は多くの場合、その方向で成就する。勿論、消費税のように10年かかることもあるが。

(例5)国交省予算担当時、整備新幹線新規着工問題が勃発した。我々は、財政負担を抑制すると共に、予算計上する以上は費用対効果等の観点から後世の国民に説明できる方法にしたい、と考えた。政府与党における真摯な議論の結果、野放図な新規着工は見送られ、既定予算の中で財源を捻出すると共に、限られた財源を既着工区間に重点投資する結論となった。

整備新幹線延期より年金・医療問題を何とかしてほしいです。

6財務省は、仕事ばかりでつまらないのではないか。

 これはありえない。時代は大きく揺れ動いている。制度の変革者は創造性を逞しくすべく、頭を柔らかく、あらゆる刺激を取り入れなくては良い仕事はできない。また、理性的で持続可能な仕事のためにも健全な心身の維持が必要だ。だから、趣味や家族、友人との語らいは欠かせない。国家危急の折には一緒に徹夜してもらうが、そうでない時には、大いに自分の趣味を楽しむとともに、仕事を離れて幅広く勉強し、鋭気を養って欲しい。心配要らない。財務官僚にはその時間はある。私も入省以来、60カ国以上旅行できているし、数千冊を読む時間があったし、今も毎週テニスで汗を流す等、スポーツ、芸術に充実した暮らしを両立させている。そのことに上司の奨励こそあれ、一切、批判はない組織だ。

大昔から現代まで、本省に行って潰れた役人ゴマンといるんですが、仕事ばっかりがあり得ないって言い切るのはさすがです。
目の前にある問題を、特殊事例たった一件で否定する、論理学を超越した説得、さすが財務省、さすが神田財務官です。

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