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雑感

自分の中の一番古い記憶は、父方の実家で妹の為に用意された誕生日ケーキを手のひらで潰してしまったことと、16年住んだ最初の家(借家時代)で夜寝ていた時に、襖一枚隔てた台所で父と母が口論していたのだが、布団にもぐって私は500円玉を握りしめて(これを渡したら喧嘩が終わるかもしれない。どうしよう)と思ってどきどきしていた4歳くらいのときのことだ。500円玉の記憶はとてもよく覚えている。

実家で過ごす1年間はこういうスケジュールだった。
1、2日の夫婦喧嘩が起こる。そこから3か月くらいの夫婦冷戦期間が発生し突然1か月くらい父母が仲睦まじくなり幸せ家族になる。この繰り返し。概ね3周期。仲良い期の時は父から色々な話を聞けて、それが私の理系職の一部になっているところは確かにあるし母と出かけたりもした。
そんな日々が遠く感じるほどの夫婦喧嘩と冷戦期間が定期的にやってくるのでなんとなく家の雰囲気を悟らないと不安で仕方がない。
今はどの期間なのだろうか、と。

夫婦喧嘩期と冷戦期の間に、時々「家族会議」が入る。
大抵父が子供達を呼び出して今回の喧嘩の原因について、みたいな話をし始める。それを正座で聞かないといけない。子供は3人なのだけれど、全員呼び出しの時もあれば私だけとか、バリエーションがある。
私だけ、のときは、大体が私の「やらかし」が原因だった。

私が20歳くらいのときには家庭内別居(1階リビングは父、2階は母と子供達)だった。実家を出る直前くらいに激しめの夫婦喧嘩が起こり、その時母は家を飛び出した。深夜1時頃だったと思う。
私は寝ていたのだけれど父が「全員集まれ、起きろ」というので仕方なく聞けば「今から母を探しに行け。お前たちの大切な母なんだから責任を持って探してこい」とか言っていた。
父はどうするのかと思ったら一人でウイスキー開けて感傷に浸っていてわろた。くそ。

田舎なのでお店もそもそもないし街灯も殆どなく、道路の信号は深夜モード。車なんか通ってない。
私は自転車で近隣を探していたんだけど誰もいない深夜の街中をチャリンコで徘徊していて、それはそれで楽しかった。
もういい歳だったけれど。道路の真ん中をヒャッハー!して自転車漕いでる。
最高。
母は見つからなかった。
というか勝手に帰っててきょうだいもとっくに帰っていた。
なんだろう。皆は母の居場所を知っていたのかな?私だけ知らずに深夜一人ヒャッハー!してたんだな??みたいな感じだった。
帰った私については、誰も何も言わなかった。酷くない??一生忘れない。

その後実家を出て娘を産んで一度実家に帰ったのだけど、孫がいるというのに夫婦喧嘩が始まって黙って家を出てそれ以来帰っていない。
更にその後、父と母で史上最大の夫婦喧嘩をして確か警察が来てとうとう完全に別居になった。
この頃かな?実家に帰ったあたりかな?父が「母が浮気をしていることが発覚した。相手と性的な関係を持っていることも白状した。こんな女なんだ。どう思う?」とか言ってきたので心底気持ち悪いと思った。
私は確か、犬を撫でながら「へえ?馬鹿だね」で会話を終わらせた。確か。
以降もし自分が不倫をしても、絶対にばれないようにしようと思うと同時に、もし自分が不倫をしたら、母と同じなので、心底気持ち悪く、リアルに吐いちゃうかも。そのときは東海道線に飛び込む。
ちなみにこの父の話は本当なのか妄想なのか、とうとうわからなかった。
父は死んだし、母は生きてるけど聞きたくもない。

この話を思い出して書いてるのには意味があって、それは胸糞悪い夫婦喧嘩の話を聞いて過去の自分のこの話を思い出したから、である。
私は、「激しめの夫婦喧嘩を目撃した、多少長いスパンはあれど定期的に目の当たりにした子供は大人になると大なり小なり歪む。」と信じている。私自身がそうだもの。
子供という生物は、「自分はママ(パパ)の味方だよ」とかいうんだけど、その時点で既にどちらも恨み殺したくなるくらいには、もうメンタル病んでいて正気を取り戻すには難しいくらいにひねまがった感情が根付いてしまっている。と思う。かなり高い確率で。
ダメ男(あるいはくそ女)という生物に、「あの人には、良いところがあるから…もっと子供達が大きくなってから離婚しよう」という感情を抱くことはあるが、それは大人の都合であって、子供にとってはどちらもクソでFA。

かくいう私も夫婦関係はどうなのだろうかと思うときはある。
今のところ子供達はこの家族がだいすき!で、嘘偽りはないようなので現状維持を選んでいる。
素敵な人が現れたら…///というのは妄想の中でだけ、なんだけど(推し…)、母の顔を思い浮かべながら、そのとき、東海道線が待っているだろう。

この文章は、自戒を込めたものである。
どこの子供達も、健やかでありますように。





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