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東京キライ

大学に入って一年が経った。相変わらず友達は少ないし、バイト先でも劣等感で日々精神をすり減らしている。

友達が少ないことは、容姿、コミュニケーション、性格(社交性含む)のおおよそ三要素に原因を見ることができる。容姿については、大学入学後、ハイエンドのブランドの服を少ない貯金をはたいて買ったりしていたが、高校までは勉強しかしてこず、特に平日はずっと自習室にこもっていただけなので、全然基礎が身に付いておらず、うまくいかない。髪のセットなども同様だ。最近は貯金もないので、美容院に行けていない。

大学生なんだから、働け!と思うだろうし、実際親にも毎日言われている(ノイローゼになりそうだ)。が、働きたくても働けないのだ。夏休みには重い腰を上げて単発バイトに向かったが、男に用意されたのは結局工場での仕分け作業で、前述の通りそもそも体力がないので、しんどい。また、仕分け作業のルールなどが覚えられない。何度言われても本当に覚えられず、叱責をもらい続け、もう二度と働きたくないのだ。事務作業はそもそもパートのおばちゃんとかが占領しているので、募集が入らない。働ける人からしたら何を甘えたことを、、、と言いたくなるだろうが、本当に働けないのだ。

それゆえ、バイトは高校時代の塾に温情で拾ってもらい、英語専門の採点スタッフ、および個別指導のみをやっている。同期は合格後、正規のチューターとして雇ってもらえたが、自分はやはり生徒を持ち、受験指導をするような人間ではないというのが露骨にバレている。
頭脳労働が得意、と傲慢になるつもりもないが、それしかできないので頭脳労働なら本気でいくらでもシフトに入りたいが、ないものは仕方ない。

このバイト先では、難関大学の普通の学生が過ごすであろう学生生活を体現している人が多い。飲みに旅行にドライブに…といった具合だ。バイトの掛け持ちをしている人も多い。二、三年の先輩ともなると、扶養を外れる人もザラにいる。
自分はめんどくさい精神性の持ち主で、そういう大学生像に従って生きることが全てではないと価値観としては理解しているくせに、いざそれを体現する同僚たちを見ると、それに憧れることをやめられないでいる。
音楽の趣味だってそうだ。バイト先では、いわゆる、少し爛れた恋愛観を謳うラブソングが溢れる邦ロックと、健康的な日焼けしたようなj-popが主に流行りだ。
だが、自分は不健康なシューゲイザーロック、インディーロックや、シティポップの方が好きでそれを曲げたくない。 音楽を聴ける時間は有限なので、少しでも自分が好きなジャンルの追求に時間を割きたい。

結局、自分の音楽の趣味を少しでもわかってくれそうな人を見つけては、勝手に押し付けていくことを繰り返している。何度でも繰り返すが、自分は本当に嫌な精神性の持ち主で、要は自分が好きなものだけを語ることだけで、相手から一目置かれたいような本当にゴミクズなのだ。「いや、俺のことはどうでもいいから、この〇〇と△△を聞いてくれ、それが俺の全てなんだ」みたいなことを繰り返すディスコミュニケーション野郎といえばわかるだろうか。これはバイト先の人間だけに限った話ではない。

そういうことを繰り返すたび、いい加減にしたいと思っているし、今までに健全なコミュニケーションを学ばなかった代償がコレだ…とうつ病みたいな顔した文学部みたいな顔した工学部生として毎日生きている。

話を大学生像のあたりに戻そう。先輩方はみな就活への意識が高い。文理を問わず、学部就職する人たちは2年次からインターンに行っている。3年生で就活をしていない先輩の方が少ないイメージだ。だが、コレまでの流れからして自分が普通に就活をするような人間であると思う人はいないだろう。

無論真っ当にするつもりなど今のところ毛頭ない。

まず自分は大学院に進学する予定だ。それが自分を2023年3月10日に俺を落とした大学の院であれ、今現在在籍している大学のものかはわからない。前者はハードルが高く、しっかり試験に通らなければならないため落ちる可能性はあるが、後者ならば口頭試問のみで済むため、なんとかそれまでは踏ん張る予定だ。院の研究室の教授に取り入り、なんとかコネで就職をするのがまず一つのプランだ。実現可能性は高そうと見ている。

第二のプランは、博士課程に進学し、そのままアカデミアに残って生き残ることだ。現在日本の博士課程を卒業した学生のその後の待遇は良いものではない。だが、少なくともやりたくもない仕事に骨を埋めるくらいなら、精一杯アカデミアで自分が好きな理論の追求をして死にたいものだ。自分はかなり理論家、というより夢想家に近いところがあり、例えば経済学での将来の株式価格を記述する、ブラック=ショールズ方程式というものがあるが、そういうものを見た時に、数学的な美しさに恍惚としたり、もっと実用に耐えうるモデルにはならないか?ということは考えるが、そのモデルを実際に運用する方向にははあまり食指が動かない。なぜなら、その運用にあたっては、美しさから無縁のドロドロとした人間関係をクリアしなければならないからだ。人間関係を完璧に記述するような数理モデルがあればと何度思ったことか。
 また、英語は幸いなことにそれなりに得意なので、海外の大学を目指せるぐらい有能な人間になれたらそれは生き抜く可能性を増大させるだろう。それを目指すくらいなら、普通に就活しても通るだろう、と思うかもしれないが、
それは「怠惰を求めて、勤勉に行き着く」というものだ。

大学に入ってから麻雀を打つようになった。

第三のプランながら、自分が最も力を入れているのが、資格習得だ。
具体的には、保険数理、年金数理などを扱う「アクチュアリー」だ。司法試験などにも並ぶ、超難関資格だが真剣に今現在勉強を進めている。およそ5年ほど合格にはかかると言われているようなので、大学院進学と並行して進めていきたい。先ほど、数理モデルに興味はあれど、その運用に興味がないと書いたばかりだが、それは時と場合によるというか、いわゆるアカデミックな自分の進路とこのアクチュアリーとしての進路は真逆に位置付けており、前者を選ぶのであればどこまでも理論を追求するだけで、後者を選択するならば、自分の心を押し潰してでも既知のモデルを用いて業務をするだけだ。

東京って嫌な街

どんな未来であれ、自分一人が文化的な暮らしをできるだけの金を稼ぐことに対して妥協はしたくない。だが、通常のタライに揉まれるような就活はしたくない、適性がないので脇道を通るつもりではいるだけだ。
大学に来てわかったことがある。東京というのはどこまでも金がものを言う都市なのだ。そんなの元々都内で生活を営む人間からすれば、当然かもしれない。だが、この事実は都内出身の裕福な同学の学生がバイトもせず遊び倒している一方、金に困って毎日野菜ジュースで凌いでいる自分の存在を自覚したとき、これは肌感覚としてまざまざと感じさせられた。
東京は、金を払わずに滞在できる場所が全然ない。公園だってベンチが撤去されていく(コレはホームレスが留まってしまうかららしい、この事実を知り俺はかなりリベラルになった)。
大学で華やいでいるのはお金を得てきちんとブランド物の服を着こなし、香水をつけているような学生ばかりだ。
そういった「市民権」を手に入れるために、無限の努力をしなければいけない事実には酷い眩暈がするが、そこで逃げたら自分はこの先一生人並みすらの幸せを手に入れることすら叶わないだろう。戦うべきフィールドはいつだって目の前にあるのだから…


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