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どうして証券ウーマンが妊活専門家に?SNS総フォロワー7万人・よし子先生の破天荒人生

「嫁入り道具に!」と通ったマッサージ教室で天職に出会う。

勤めていた証券会社を辞め、街一番の整骨院に「働かせてください」と連絡。

働きながら専門学校に6年間通って資格を取得。そして、SNS総フォロワー数7万人の妊活専門家に——。

スペシャリストの活躍を支援するStoC(Specialist to Consumer)事業を展開するMisfits株式会社の導入事例第一弾は、SNS総フォロワー数7万人の妊活専門家・よし子先生です。

証券会社のセールスとして毎日の業務に汗を流していた彼女は、どのような経緯で妊活専門家として活躍するようになったのでしょうか。

前後編でお届けするインタビューの前編は、よし子先生の単独インタビューを通じて、彼女の人生を振り返っていきます。

構成:井上茉優 編集協力:オバラ ミツフミ

嫁入り道具にマッサージを


物心ついたときから、私の夢は「素敵なお母さんになること」でした。

時代錯誤のように思われるかもしれませんが、三つ子の魂百までとはよく言ったもので、子どもの頃から今でも、私の思いはまったく変わっていません。

子どもが大好きなこともあり、まずは子育てに全力を注ぎたい。そして、仕事や結婚生活も含めた自分の人生すべてを思いきり楽しむことで、笑顔の絶えない家庭を築きたいと考えていました。

そんな価値観でしたから、学生時代の就職活動の軸は「お母さんになったときに役に立つ技術が得られるか」です。

経済のことくらいはしっかり勉強して、子どもに自分の言葉で知識を授けられるようにと、大学卒業後は地元福岡で証券会社に就職しました。

当時の私を知る人は誰も、現在の私の姿を想像できていなかったはずです。それもそのはずで、私自身、経営者になりたいと思ったことも、治療家として生きていきたいと思ったこともありませんでしたから。

では、証券会社の営業として毎日の飛び込み営業に汗を流し、「営業って楽しい!!」と毎日を楽しんでいた私が、どうして治療家の道に進んだのか。

そのきっかけにも、「素敵なお母さんになる」という夢が関係しています。嫁入り道具の一つに、マッサージの技術を身に付けようと考えたのです。

「経済の知識を子どもに教えられて、さらには愛する旦那さまや、子どもたちに抜群に上手なマッサージもできる。これで未来の旦那さまをメロメロにしよう!!」

そんなことを考えているときに見つけたのが、近所のカルチャーセンターが開催していたマッサージ教室です。プロを目指すような場所ではなかったものの、働きながら新しい技術を身に付けたかった私には、ぴったりの環境に思えました。

いざ通い始めてみると、教室に通っている方々は、想像以上に年齢層が高いことに気が付きます。マッサージの技術を得るというより、教室仲間のマッサージを受けるのを楽しみにしているようでした。

若かった私は「練習相手として引っ張りだこ」です。

素人に毛が生えた程度の技術でしたが、おじいちゃんやおばあちゃんたちは「よしこちゃんは才能があるねえ」と褒めぎぎってくれます。

そんなことを言われるものだから、次第に私もその気になって……。

「これは私の天職だ」——。

マッサージには年齢も、性別も、国籍も関係ない。自分のカラダひとつで、目の前の人を笑顔にできる素晴らしい技術です。

「未来の旦那さんのために」という気軽な動機で始めたことでしたが、いつしか私は「本気でマッサージを極めたい!!」と思うようになっていました。

「一部上場会社である証券会社の正社員をやめて、マッサージ師になる?」

周りからは大反対されましたが、私はあっさり転職を決めました。

もう、勢いというか、直感というか……。この道を選ぶことが、正しい選択だと疑うことなく直進したのです。

会社員を辞めた私に残されたのは、カルチャーセンターで習ったマッサージの知識と、数える程度の貯金だけ。

「バカな選択だ」と言われました。でも、人から見たら「バカな選択」が、今の私の素晴らしい毎日を創ってくれている。

あの時の私には「エライっ!よく決断した!」と伝えたいです。

「下手くそすぎる」と笑われた日


意を決して証券会社を退職し、転職した先は……実は決まっていませんでした。マッサージを仕事にすると決めたものの、マッサージを仕事にする方法までは知らなかったのです。

フリーターとなった私が最初にしたのは、退職金を投じてマッサージの集中講座を受けること。マッサージを仕事にする前に、できるだけ技術を高めておこうと思ってのことでした。

その集中講座が終わる頃、市営バスに乗っていると、「堺整骨院」という名の、ある整骨院が目に留まりました。後に、私の人生を変えることになる整骨院です。

玄関の外までお客さんの靴があふれている様子から、素晴らしい技術があると容易に想像できました。

自宅に戻った私は、一目散に受話器を手に取り、その整骨院へと電話。「働かせてください!」と申し出ました。

ところが当時、その整骨院では女性の治療家を募集しておらず、即答で断られてしまいます。

でも、運命めいた出会いだと思っていましたから、そう簡単に諦めるわけにはいけません。「無給でも、たとえ雑用でも構わないから、技術を教えてほしい」とお願いしました。

しかし、今度は「整骨院では、柔道整復師の国家資格がなければお客さんに施術はさせられない」と言われてしまいます。しかも、資格を取るためには、東京か大阪で専門学校に通わなければならないというのです。

マッサージで生きていく決意をしたのはいいものの、やはり勢いだったため、私は何も知りませんでした。集中講座で技術を身に付けたところで、それを仕事にする資格はなかったのです。

正直、これからどうやって生きていけばいいのか分からなくなりました。だって、カルチャーセンターで習ったマッサージの知識と、数える程度の貯金以外に、私が持っているカードはないんです。

でも、覚悟を決めていましたから、なにがなんでも雇ってもらうしか道がなかった。

自分の技術がまだまだだとは理解していました。でも、どうにか風向きを変える可能性を捨てきれなかった。

だから「私の施術を受けてください!!」とお願いしました。

ただ、施術が終わった瞬間に言われた一言は、私が欲しかった言葉とは正反対。「下手くそすぎる」と笑われてしまいました。

近所のおじいちゃんたちに喜んでもらうためのマッサージと、お客さんの痛みに向き合うプロの施術には、やはり天と地の差があったのです。

さすがに「出直してこい」と帰されてしまうかなと思いました。

でも、オーナーから出た言葉は意外なもの。「今日の午後から来てください」という温かい言葉でした。

技術の伸びしろを買ってもらえたのか、証券会社を退職してきた覚悟が伝わったのかは分かりません。

ただ、どちらにせよ、私はこの日「とんでもないあたりくじ」を引き当てていたようです。

下手くそだと笑われたその日は、私が身体のプロとして生きていく幕開けの日となりました。

指先に魂を込める


整骨院で働き始めてからは、とにかく勉強と練習の毎日でした。

私が新人だったからではありません。あとから知ったのですが、私が勤めることになった整骨院では、どんなに経験豊富な先生でも、毎日の努力を惜しまないのです。

朝早くから勉強し、昼間は指先に魂を込めて施術する。この地道な努力の繰り返しが、玄関に靴があふれるほどの人気の理由だと知りました。

痛みを訴えて来院したお客さんの痛みが、和らぐのではなく治る。曲がってしまったお客さんの腰が、真っ直ぐになる——。毎日のように、奇跡のような光景を目にしました。

とはいえ、感心しているばかりではいられません。今よりもっと努力しなければ、彼らには追いつけませんから。

どうしたものかと焦り始めていたころ、転機が訪れます。大阪と東京にしかなかった柔道整復師の専門学校が、ついに福岡にも開校したのです。

すぐに「専門学校で勉強して国家資格を取りたい」と、当時付き合っていた現在の夫に話しました。でも夫は、「僕のためなら、そこまでしなくていい。もう結婚しよう」と(苦笑)。

たしかに、資格を取るにはお金も時間も膨大にかかりますから、夫が止めに入るのも当然です。「嫁入り道具のために、わざわざ学校に通うのか」と思ったでしょう。

でも、その言葉を聞いて、気が付きました。私の原動力は、家族の疲れを癒すためだけではなくなっていたのだと。

技術を身につけた先に目指すのは、家族の幸せだけではなく、目の前にいるすべての人の幸せだったのです。

結局、柔道整骨師の勉強を3年、鍼灸師の勉強を3年と、合計6年間も専門学校に通いました。

その甲斐があって、私に治せる痛みは着実に増えました。知識も技術も以前より格段に成長し、なによりお客さんの笑顔が自信を付けてくれました。

ただ、一つだけ気になることがありました。どんなに懸命に直そうとしても、施術では治せない痛みがあったのです。

オーナーやほかの先生にも相談して、最適な施術を探ろうとしたのですが、その痛みに有効な治療法は見つかりません。

いったい、どうしてなのでしょうか。

そして、なにが原因なのでしょうか。

最終的にたどり着いたのは、その痛みは「身体の中から生じている」という可能性です。だから、押しても、ほぐしても、一向によくならない。

生活習慣が悪かったり、ストレスが慢性的に蓄積されていたりすると、冷えや痛みを外からの施術だけで治すことは難しくなります。整体の領域では、なかなか解決できない問題です。

私はこれが、どうしても悔しかった。

目の前のお客さんを笑顔にするために、会社を辞めて、人生をマッサージにかけてきたのに、どうしようもできなかったからです。

そこで、身体のねじれや歪みなど「身体の外側だけ」をみる治療をやめました。「身体の外も中もみれる治療家」になろうと決めたのです。

すべての痛みに寄り添いたい


勉強していくうちに知ったのですが、外的要因から生まれる痛みとは違い、身体の中から生じる痛みには、「こうすれば治る」という正解が存在しません。

年齢や性別によって身体の構造は異なりますし、さまざまなストレスに対する耐性にも個人差があります。

だからこそ、専門家が最適な治療をするのはもちろん、より患者さんに近い目線で話をできる存在が必要でした。いくら専門家でも、自分の経験したことのない痛みに向き合い、その内面にまで寄り添うのは、簡単なことではないからです。

患者さんの痛みを自分のことのように理解できる人が、治療する側に増えたならば、患者さんに真正面から向き合えるのではないか——。

そう考えてオーナーに提案したのが、「ケアする側とされる側が同じ目線で話をできる、女性専用の治療院」です。

女性には、女性特有のストレスや身体の悩みがあります。これらに寄り添うとき、必ずしも国家資格は必要ないと考えました。必要なのは、出産・育児の経験や、誰かの助けになりたいという思いです。

しかし、オーナーの答えは、私の期待に反するものでした。グループ内で治療院を開くのではなく、「独立して、自分で経営しなさい」と言われたのです。

この整骨院に出会ってから、独立して開業するなんて考えたこともありません。技術や知識をゼロから学ばせてもらった恩を、一生かけて返していくつもりでした。

だから、最初は「なぜ?」と納得がいきませんでした。「整骨院を一緒に大きくしたい!」と言ってるのに、と。

でも、話していくうちに、私の提案を真剣に受け止めてくれているからこその提案だということが分かってきて……。

オーナーは、私がドアノックで入社を希望したこと、そこから学校に通い、子育てと仕事を両立させてきたこと……言ってしまえば「私の職業人生のすべて」を知っていました。だからこそ、「自分でやりなさい」と背中を押してくれたのです。

「やりたいことがあるなら、自分でやりなさい。そして、経営という新たなステージに挑戦しなさい」。

話を終えたとき、「ここまで私のことを理解し、一番に考えてくれるのは堺先生だ」と感じました。それと同時に、与えてくれたチャンスを無駄にはできないと覚悟の気持ちが湧いてきました。

開業への不安や、恩返しできていない後ろめたさは一度心にしまい、私にしかつくれない治療院をオープンしよう。そう、心に決めました。

不妊治療を経験した一人として


経営に挑戦すると決まってから、改めて自分の思いに向き合いました。

つくりたい治療院は、いったいどんなものだろう。いちばん救いたいのは、どんな人たちだろう。

思い浮かんだのは、不妊に悩む人々の姿でした。

以前勤めていた整骨院には、身体の痛みや心の痛みなど、さまざまな不調を抱えた方が訪れていました。なかでも印象的だったのが、「自分の子どもをどうしても愛せないお母さん」と「精神安定剤を飲まないと学校に行けなくなった子ども」です。

彼・彼女らに出会ったとき、根本の原因にあるのは、身体の外と中にある不調であり、これらのはお薬なしでも、まだまだできることがある!と確信していました。

体調が整っていないままに親になると、親になってからさらなる不調が生じてしまうし、親の不調は子どもにも連鎖します。

不調が生じて自責の念に駆られる方を何度も目にしてきましたが、そのたびに不調が生じる前に出会って寄り添いたかったと悔しく感じていました。

特に、不妊治療は数百万円かかることもあり、その期間が伸びれば伸びるほど、お母さんやお父さんになりたいと願う方々を、経済的・精神的・肉体的に追い詰めていきます。とにもかくにも、負担が大きいのです。

だから、妊活をサロンの命題に置くことが、いま私が解決すべき問題にいちばん近い答えだと思いました。

妊活がいかに悩みの深いライフイベントであるかは、私自身も知っています。なにを隠そう、私も不妊に悩んだ一人だったからです。

お母さんになるために歩んできた人生です。結婚したらすぐに子どもを授かるものだと思い込んでいたので、万全の準備をして待ち望んでいました。

ところが、何年経ってもそのときは訪れないのです。不妊の原因もわからぬまま、妊活に効くと聞いたものはすべて試す日々を過ごしました。

そんなときに、医療関係者からの紹介で知ったのが、現在「りんどう」で取り扱っている漢方薬です。「すごく効果があるらしいよ」と。

一般的な漢方薬は、ありとあらゆる種類を試し尽くした後だったので、半信半疑でした。でも、結果は違いました。驚くべきことに、服用してすぐに子どもを授かったのです。

整体の技術と、オリジナルの漢方、そして自分自身の不妊治療の経験をかけ合わせれば、きっと多くの人を救うことができる、と直感しました。

崖っぷちで訪れる、再びの転機


女性のための治療院「りんどう」をスタートしてみると、私の想像をはるかに超える効果を、患者さんが証明してくれることとなります。

不妊治療や流産など、つらい経験をしながらいくつもの病院を渡り歩いてきたみなさんが、りんどうのケアで妊娠し、不妊治療を卒業していくのです。

最初は近所の方や、昔からの知り合いにだけ宣伝して回っていたのですが、いつしか口コミでその成果が広まり、サロンがあふれるぐらいの患者さんが来てくださるようになりました。

その光景はまるで、市営バスから見た、あの整骨院のようでした。

ただ、一筋縄ではいきません。経営者としての私には、高い壁が何度も立ちはだかりました。

まずは、ビジネスモデル。サロンで必ず処方している漢方薬の原価は高く、りんどうは効率的に利益を出せるわけではありませんでした。

利益がなければ、投資もできません。SNSやホームページの問い合わせ欄には、遠方からもたくさんの相談が届いていましたが、全国への展開は諦めるほかありませんでした。

そして、未曾有のパンデミック。やっとの思いで出店した東京の店舗も、新型コロナウイルスの影響により、閉店を余儀なくされてしまいました。

未知のウイルスが猛威を振るうなか、誰よりも健康を気遣う方々を無理に外出させるわけにはいきません。今まで通りサロンに来ていただくことは難しく、無償で電話相談に乗ることも多くありました。

すべての人の幸せを願いつつも、経営者としては、それを実現できない。手の届かない範囲で苦しんでいる方々の存在を忘れたことはありませんが、だからこそ、苦しい日々を過ごしました。

国の助成金がなければ、とっくの昔に倒産していたはずです。助成金があったとしても、本当にギリギリの毎日で、経営を諦めなければならない崖っぷちまでいっていました。

そんなとき、再び転機が訪れます。

経営に疎く、またSNSもほとんど触らない私の前に、「SNSのプロ」として紹介されたのが森泰輝さんでした。

当時はまだ気付いていませんでしたが、私はこのとき、2つ目のあたりくじを引き当てたのです。

*後編へ続く


Misfitsの森泰輝です!誰もがSNSのパワーを享受できる未来に向けて事業を創っています。書いてほしい記事のリクエストがあれば教えてください!