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博士の愛した数式

 備忘録の投稿を不定期ではありますが、少しずつ再開しようと思います。

 その理由として、常に記事を書いていたいと言う気持ちがあります。

 現在、エッセイと物語を投稿していますが、作品自体は先月に書き終わっています。

 ですから僕の中でフラストレーションがたまらない様にしたいのです。


a.中古本を購入する。

 今日は11月4日(土)である、気になる事を書こうと思う。

 10月31日に、アイデンティティを書き終わって、4日経つけど次に何を書こうかなと思う自分がいる。

 以前、ある映画監督さんが古本屋で、立ち読みしていて、この本を映画にしようと思いついたらしい。

 日本アカデミー賞を受賞した、博士の愛した数式である。

 僕はこのエピソードが頭の中にあったので、僕も同じ様に作品を描きたくなった。

 3日の文化の日に、近所の図書館に資料を返却しに行くと、図書館祭りが開かれていた。

 図書館の入り口で、中古本の販売をしていた。

 僕は500円分購入、50円の本6冊と100円の本2冊である。

 今日の午後、20分程単行本を開く、養老孟司さんのまともな人という作品である。

 iPadをしながら、宙ぶらりんだなと思いつつ、時間が勿体無いので散歩をする。

 散歩をしながら、エッセイ・私が私を愛する事も投稿が終わるので、ショートショートをまともな人を読んで、思う所を物語に出来ないかな?と考えた。

 でも、ひらめきなのでどうなるか分からない。



b.最大の問題

 僕は明日やる事がない生活をずっとしている。

 深刻ではないにせよ、少し問題だなと思い始めている。

 やる事と言うのは、仕事じゃなくて良い。

 1日、ダラダラせずに過ごしたい。

 昔の人は頭が良かった、何もできなくても、何かしら自分を生かす方法を見つけていた。

 まともな教育を受けれなくても、自分の想いがどうすれば、どう動くのか?ちゃんと理解していた。

 だから無駄な言動なんてしなかったのである。

 僕も想いの渦の中にいて、この場所から抜け出したい。

 でも書いても書いても、何も変わらない。

 もし、書く事で僕が成長できるなら、こんなにも作品を書く必要はなく、何度か描けば僕の辿り着く場所も分かるし、何も見えない不安も解消されたかもしれない。

 僕の不安や悩みが、他人に何度話しても解決できない所が最大の問題である。


c.僕の立ち位置と表現したい事

 他人に期待したり、期待させたりせずに、僕のすべき事だと信念が持てれば良いけど、ぐらぐらと揺れる意思は、いつも僕を支えてくれるものを探している。

 僕はこの事は、結構他人をイラつかしてしまうと感じている。

 僕は創作についても、ダラダラしている様で、周囲に迷惑をかけたりする。

 僕はまるで駄目だな。




d.乞食

 人として落ちていっているなら防ぎようがない。

 それを運命として受け入れるしかない。

 生きていると、その様に自分が下がっていくのを感じる時がある。

 例えば、神様が天上界で悪さをして、人間界に落とされると言う話を、聞いたことがあります。

 そんな感じで、僕もどんどん気持ちのレベルが落ちていくのです。

 僕は土下座をしていて、顔を地面に擦り付けている様な感覚になる時があります。

 これは、病気と言われればそうかもしれませんが、僕はいつかこの下げても下げても下がっていく、乞食の様な想いを物語にしたいと思います。


e.責任の取り方

 有るだけで落ち着かせる事ができるなら、沢山の質問に答えられる必要がある。

 何の支えも用意出来ないのなら、僕がこの居場所にある意味はないのではないだろうか?

 例えば、男は家族の中でいてくれれば良いと言う、でも実際にはいざという時に責任を取れないと中心にいる意味はない。

 これは社会でも同じで、何もしない人間程、最終的な判断を迫られる事が多い。

 だから、有るだけで落ち着かせると言うのはとても難しい。

 社会の一員として認められている事は言うまでもない。



 
 今日は取り止めもない話をした、時々自分でも解決できない様な話をしたがる時がある。

 頭の中に博士が愛した数式があって、作品を数回見た事はあるが、博士の恋が何とも煮え切らないと思ったのを覚えている。

 僕の想いの渦が丁度そんな感じなのだ。

 どう話せばみんなに伝わるのだろう?

 それでは、また。

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